憎しみの血潮を激らせて
相変わらずの悪路を行く。
歩き始めてから何時間経ったのだろう?疲労感も相まって足が重い。
「くそ、また硬そうな藪だ。」
前方に障害が出てくるたびに文句とため息が出るし、汚れや擦り傷が必要以上に気になってしまう。
一度帰ろうかと思い始めた矢先、不意に開けた場所に出た。
「____あっ。」
『ワオ。』
後方の狼も思わず声を漏らした。
藪の先にあったのは、何か……異常なプレッシャーを放つ大樹だった。ちょっと気遅れするどころではない。小学校のような閉ざされた環境で、キレてやろう、と決めた教師が放つような絶対的支配感。明らかに尋常じゃ無かった。
そしてその周囲には、変色した鎧と衣服、地面に突き立つ剣や矢、そして人間らしき骨。それも、一つや二つではない。何十人もここで死んでいる。殺し合ったのだろうか。これが、この世界に来て初めて見る『人間』だった。
そのうち、空っぽになった眼窩と目があった。目を逸らしても、また髑髏を見つけてしまう。
「うっ、ぐっ。」
胃の中から中身がせり上がってくるのを感じた。まだ消化され切っていないキノコをそこらにぶちまける。涙が出てくるし、動悸が止まらない。立っていられなくてその場に倒れ込んだ。
何とか持ち直せたのは、狼が近づいて気遣う様子を見せてくれたからだ。やっぱり私に懐いてくれたのかな。動物は人間と同じ情緒を持たないが、逆にそのことに助けられることもある。
「ありがとう。ひとまずここを離れよっか。」
祈りの作法など習っていないが、大切なのは心だろう。合掌して一例、冥福を祈る。振り返った一人と一匹の前に、ただならぬ気配が現れた。
祈りは逆効果だったのか?一塊の骨から白いモヤが吹き出していた。モヤは魔力だ。半透明の神経になって骨を組み直し、まるで生きた人間のように動き出す。スケルトンだ!側の兜を拾い、長剣を引き抜く彼の姿はさながら騎士だった。
戸惑う私に一瞥をくれて、騎士は絶望的な一言を放つ。
『魔族か。殺す。』
アンデッドは生前の人格を一部引き継ぐという。こいつは魔族を恨んで死んだのか。そして、私は『魔族』なのか?でも、お義父様は私を『人間』だと言っていた。
「いっ、いや、違う……。多分、勘違いだ。」
言い終わる暇も与えてくれなかった。長剣を振りかぶるのを見て、全力で横に跳ぶ。衝撃が体のすぐそばを通り抜けた。
『ふふ、よく逃げるじゃないか。』
飛ぶ斬撃、みたいな感じだろうか。一秒前に立っていた地面を見て戦慄、石や死骸もろとも切り裂かれていた。一瞬判断が遅れれば死んでいただろう。この騎士、強い!
半通りくらい対人戦の覚えはある。でも、人と向き合うのがどうしても怖い。相手の悪意を受け止めようとすると、足がすくんで何も考えられなくなる。
だから、避けて避けて避け続け、逃げる機会を伺う。お互い傷一つ追わないままに地面の斬痕が増え続ける。騎士も攻めあぐねていると見え、何事もなく切り抜けられるのではと思った。足首に鋭い痛みが走るまでは。
バランスを崩して倒れ込んだ。運悪く頭に石をぶつけ、硝子体が収縮して視界に星が飛ぶ。見れば、茨が足に巻きついていた。
『茨の足輪、初歩的な草魔法よ。来世に活かせるといいな、幼き魔族。』
立ち上がる暇もなく、騎士が剣を振りかざす。どうすることもできず、情けなく目を瞑った。
確実に首を捉えるはずの剣はしかし、大きくぶれて、またもや地面だけを深く切り裂いた。狼が忍び寄り、猛然と騎士の喉笛に食いつき、押し倒した。その隙に茨を振り払い、体勢を立て直す。
「狼!?何で……」
『おのれ!』
狼は振り払われ、重い脛当てをつけた脚で蹴り上げられた。鈍い音と共に吹っ飛ばされ、私の胸元に落ちてくる。荒い呼吸を繰り返す口からは出血があり、骨も折れているようだ。明らかに致命傷だ。
「どうして、私のために……?」
弱々しく瞬きする瞳からは何も読み取れないが、二つ確かなことはある。私は助けられた。そして、この子を絶対に助けなければならない。
『そんな汚いゴミは捨てて、いい加減かかってきたらどうだ?その方が殉教者ぽく死ねるぞ…!?』
「何が、ゴミだって?」
騎士は目を剥いた。敵から放出される魔力が数千倍に膨れ上がったからだ。地面が波打ち、木々がざわめく。怯え、逃げ惑っていたはずの敵が、まるで怒り狂う鬼の如きオーラを放っている。
『お、おや、随分と強気になったな、しかし声も足も震えているぞ。』
「怒りですよ、これは。」
とは言ったものの、私自身どんな感情を持っているのかはよくわからなかった。でも、逃げる意思なんて霧散した。もう、どうやって相手を叩きのめすかだけ考えている。これはきっと怒りなのだ。
ただならぬ雰囲気を察して、騎士は甚振るのはやめた。彼は生前、六十六聖地の一つから祝福を得た数少ない人間であり、暗殺で悪名を馳せた魔法剣士である。
手加減は辞めて、魔力を纏わせ、射程と威力を強化した剣を振りかぶると同時に、槍のように鋭い無数の蔦を差し向ける。城壁越しに城主の首を取ったこともある、必殺の技だ。最初からこうすれば、決着はついていたはずだった。
対して、私はただ全力で殴りかかる。それだけしかできなかったし、それだけで十分だった。空気が焼きこげ、時空がたわむ。蔦や剣は隕石のような破壊力を受け止めるには矮小すぎた。諸共に破壊されて粉微塵になる。
『私は......おお、死んでいたのか......。」
魂を留める依代を失い、存在を霧散させてゆく骨の騎士。それに取り合わず、私は痙攣する狼を抱き上げる。目の焦点が会っておらず、息が荒い。死んでしまうかもしれない。それは嫌だ。この狼は自分を助けてくれた。見殺しにするなんて絶対に嫌だ。
「すぐに戻るから。」
死体に祈ったら高確率でアンデッドになって襲われるゲームを知っている人は皆ともだちですわ