襲撃(生後半年)
よろしくお願いします
夕焼け、冷たい風の吹く路地裏に一人佇んでいた。誘拐事件があったと校長先生が言っていたからだ。防犯ベルも離れたところに投げ捨てて、誰か誘拐してくれないかと待っている。そうしたらどこか遠い場所に連れて行ってくれるかもしれない。純子さんも私がいなくなれば喜ぶと思う。
結局、日が暮れても何も起こらなかった。私ならきっと誰も助けようとしないだろうに、どうして私を狙わないのだろう。
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頭痛と共に目が覚めた。私は人が言うところの悪夢しか見たことがないのだが、転生してからもそうなのだろうか?
カレンダーはないが生後半年ぐらい。ドラゴンは欠かさず世話をしてくれているが、その巨大な牙を見るたび背筋に悪寒が走る。決定的な根拠は...思い当たらないが、あったと思う。このドラゴンは私を食うために育てていると確信している。
周囲を見渡すとドラゴンの姿はなく、洞窟の入り口が奇妙な紋様を印した天幕で塞がれている。奴は毎回ああしてから、窮屈そうに翼を広げて何処かに出かけるのだ。あの程度で私が逃げ出せないと思っているのだろう。
ドラゴンには隠しているが、私は既に自由に歩き回れるほどの脚力を獲得していた。…と言うのも、頭皮を弄ると角のようなものが生えてきているのがわかる。今世の私は亞人ってジャンルなんだろう。鬼人?獣人?とにかく、この異常な成長速度にも説明がつく。
「うっ...おぅら、しぇっ!」
よっこらせ、と心中では言いつつ寝床から這い出た。 よちよち歩きで洞窟の出口へ向かい、布を捲って景色を眺める。何か脱出の手がかりを見つけたいが、ここ数日で何の進歩もない。正直私は焦っている。ドラゴンは明日にでも私を食うかもしれない。死ぬのは一度で十分すぎる。
目を皿にして探していると、何かと目が合った。人ではない......獣だ。痩せほそって目が落ち窪み、しかし牙の間から涎を垂らす熊のような獣が十数メートル先からこちらを見ていた。直感的に分かった。あれは捕食者の目だ。咄嗟に目を逸らして隠れ、数秒間を置いてから熊のいた方向を見る。距離は間違いなく縮まっていた。
(まずい。まずいまずいまずいまずいッ!)
『死んだふりでやり過ごせ』
『走って逃げてはいけない。刺激しないよう、ゆっくり後退せよ。』
『大きく腕を振って穏やかに声をかけろ』
『実はおとなしい生物』
『首だけは守れ』
前世で聞き齧った熊の対処法を次々に思い出す。どれも捕食目的で、しかも4mはありそうな熊に対処できるとは思えない。額に嫌な汗が流れる。洞窟の奥へ這って進むが、隠れる場所なんて見当たらない。
(やばい、死ぬ?私、本当に死ぬ?あの岩陰は......だめだ、小さすぎる。あの穴も駄目だ。どうする、どうする......)
「グァぁ。」
「ひっ!?」
何もできないうちに、熊は洞窟の入り口を踏んだ。鋭利な爪が地面に食い込む。これから数メートル先の私に飛びかかって引き裂くまで、あと何秒?二秒?三秒?どっちにしろ何もできない。
目尻から熱いものが流れる。精一杯に声を張り上げて泣き喚いた。何かの意図ではなく、単なる衝動で。熊は気圧されたかのように一瞬立ち止まったが、それだけだ。何も変わらない。不意に、前世のことを思い出した。最後に泣いたのは七歳、入学式で一人だけボロボロのランドセルを背負っていた時。それから死ぬまでずっと我慢してきた。誰かに弱さを見せられなかったから。第一、誰も助けてくれやしない。子供の時からずっとそうだった。居ても、
そして今日も、誰も助けてくれない。涙で歪んだ視界の向こうから爪が迫る。頭から引き裂かれるのを予感して目を閉じた。
直後、前方から肉が引き裂かれる音がした。 暗殺者のような手並みで、いつの間にか帰ってきていたドラゴンが熊の胸に深々と食いついていた。彼の牙は一本一本が熊の手足ほども大きく、明らかに致命傷だった。鋭い爪を用いた今際の抵抗など気にもかけず、虫のように入り口から放り捨てて、口元から血を垂らしながらこちらに歩み寄ってくる。
「ひっ。」
食われる、と思った。しかし、思いがけず暖かい感触に包まれる。それはドラゴンの翼だった。彼は私を抱きしめるかのように、優しく包んでいた。翼の内側には軟質で軽やかな鱗が生え揃い、まるで毛布のように暖かい。
(もしかして、私を守ってくれた......んですか?)
心が通じたわけではないだろうが、ドラゴンは肯定するように低く唸り、羽で涙を拭ってくれた。果たして、捕食したいだけの家畜相手に、こんなことをするだろうか。ここに至ってようやく気づいた。彼は純粋な善意で私と共に居てくれたのだと言うことを。
胸の奥に、何か暖かい気持ちがこんこんと湧いてくるのを感じた。