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旅路の終わりへ

 幼き我が子を背負い、神父はすでに三のダンジョンと二の街、四つの河を越えた。人間の世界に味方はいない。さりとて魔物たちに我が子を預けるわけにも行かない。彼らは我が子に魔王の道を、すなわち破滅の道を歩ませるだろうから。


 希望の糸があるとすれば、それは人ならざる親友...龍のファフニールであった。彼が待つであろう約束の山頂へ向けて一心不乱に進み続ける。時に幌馬車に隠れて検問を超え、時に槍の雨に頬を抉られ、それはまるで奇跡で綱渡りをするような極限の旅路。我が子に如何なる瑕疵も生まれ持たせない人生を送らせるために必要な行程。


 ただ過酷なだけの旅路なら神父はどこかで折れてしまっただろう。でも彼の肩を支え続けたのは愛した妻の言葉と、守るべき我が子の声。それが彼にとっては何よりの祝福だっただろうから。


 そんな旅路はもう終わる。ほとんどの追っ手は振り切り、最後となるダンジョンへ足を踏み入れた。ここを踏破すれば親友が待つはずの山頂だ。



 麓にある入り口から順に登ってゆき、一日かけてダンジョンの中腹にある安全地帯にたどり着いた。ここは神の加護に満たされているため魔物は踏み入ってこれないのだ。自らに残された体力と状況を客観的に見て、ここで休息を取らざるを得ないと判断した。


「ああ、ようやく腰を下ろせるぞ。」


 追っ手を振り切ってからも何日歩き通しただろうか?呟いた声は自分のものか疑うほどガサガサだった。首から下は悪寒が止まらないくせに、額が茹でたての蛸のように熱を持っている。足も棒のようで、少し力を入れるだけで足のみならず腰にまで張り裂けるような痛みが走る。全身どこをあたっても無事な部分が見当たらないほど壊れてしまっていた。


 人より善行を積んできた自信がある。なのに何故?こんな苦労をしなければならないのだと思う時もある。しかし、籠の中でしわくちゃに笑う我が子を見れば痛みも徒労感も吹き飛ぶというものだ。汚れのない薬指を選び、そっと触れた頬からは燃えそうなくらい熱い高濃度の魔力と柔らかな感触が伝わってくる...命の感触だ。


「しかし、お前の名前はどうしたものか?」


 説明するまでもないが、人の名前は出生後に神殿で検査して授かるものだ。魔王として追われる我が子にそんな機会があるはずもない。魔王としての呼び名はあるのだろうが、そんなもの知りたいとさえ思わない。神ならざる誰かが名前を付ける必要があるのだが...


「まあそれはおいおい考えるとしよう。今は少しでも休息を取らなければ。」


 すぐにでも目を閉じたい欲求に逆らって我が子を守る護符の具合を丹念に検査する。解れが無いと確信してからすぐに手を伸ばせる場所に横たえた。神父自身も凸凹で湿った地面から比較的マシなところを選んで横たわる。上位の神職を希望するものは厳しい試練を課せられる。魔獣蔓延る森の中、薪の上で睡眠を取るのもそのひとつだ。平民出の神父は裏金など使えるはずもなく試練を正面から突破しなければならなかった。故に、この地面も柔らかなソファのように寝転がることができる。


 むしろ問題があるとすれば寝転ぶまでの過程の方で、少しでも筋繊維に力を込めるたび千切れるような痛みが走る。ゆっくり足を伸ばし、腰を伸ばし、十数秒かけてゆっくりと体を横たえ終わった。やっと眠れると一息ついて...そして突然我が子が泣き出した。


「ーーーーーーー」


 けたたましい鳴き声が周囲に響き渡る。安全地帯に魔物は来ないが害意のある人間までは遠ざけてくれないから、急いで立ち上がって泣き止ませる必要がある。こういうのは今に始まった話ではなく、急に泣き出したせいで居場所がバレかけたこともあった。どうして少しぐらい加減して泣いてくれないのだろうか。


「いや、赤子は思い切り泣くのが仕事だ。」


 歯を食いしばって一気に体を起こす。籠の中では我が子が顔を青ざめ震えていた。体温調整機能が狂い切った体では気づけなかったが、ここは予想以上に冷え込んでいるようだ。あいにく暖房の類に手持ちはない。しかし何らかの手立ては打たなくては。


「仕方ない、少し待っていろ...」


 自分の上着を被せ、暫くあやすとどうにか泣き止んでくれた。岩陰に結界を作って隠しておく。


「さて、どこかに宝箱でも湧いてはいまいか。」


 ダンジョンは一つの生き物のようなもので、より強力な冒険者を釣るため体内に宝箱を出現させる。中にある品物が防具であれ炎属性の品物であれ、防寒の役にたつ品物である可能性は結構高い。運が良ければ数歩で発見できるはずだ。


 しかし、一度体に休めると思わせてしまったから余計に辛い。もう少しの辛抱だと言い聞かせながら松明が設置された安全地帯を抜け、暗闇と静寂が支配する回廊をゆく。ここに来るまでは幾多の宝箱があった気がするのに、必要な時に限って見当たらない。


鈍い頭痛が集中力を奪い、


止まらない咳が絶えず自らの位置を露見させ、


澱んだ冷気が肌から体温を奪っていく。


 余裕があるうちに見たダンジョンは古代遺跡のような壁面や装置が各所にあり、どこか人の温かみを残した場所に見えた。しかし現在、低下した視力では暗がりに沈む魔境としか映らない。あらゆる死角には命を狙う魔獣がいる可能性があり、常に警戒しながら進まなければならない。こんな状況で平静を保てる傑物が世界に何人いるか。


 加えて言うなら、今神父の命を狙っているものは魔獣だけではなかった。より研ぎ澄まされた純粋な殺意の持ち主が息を殺している。即ち、魔王の首を狙う人間である。


 神父は不意の一撃を見切った、などと格好の良いことは言えない。どこからか飛びかかる音を聞いて闇雲に前に飛んだ結果、背後からの一撃を回避できただけのこと。


「追っ手...!ただでさえ戦いは苦手なのだがな。」


 刺客は鳶色のマスクに顔を隠し、鈍い輝きを放つナイフを携えていた。群れて行動するタイプには見えないが、先ほどの一撃から見ても一流の戦士には違いない。

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