彷徨いの果てに
《邪竜の祠編》開幕です
「……なんて言うか、無限に自然が続いているな」
「そうですね。ひたすら同じ景色の中をさまよっている気がします」
ミストたちと廃屋で別れてから既に二時間は経っただろうか。俺はビオラと共に森の中であてのない散策を始めたのだが、いかんせんどこに向かっているのかもわからず途方に暮れていたのだ。
「いやしかし、地図もなしにフィールドに放りだされると人はこうなるんだな」
そう。視界の右上にあるマップには何も表示されていないのだ。その理由は単純で、フィールドのマップは城下町に売っていて、それがないとこのマップを王国内のフィールドに対応したものにできないからである。
要するに、このフィールドは最初に城下町でマップを買うことを想定して作られていたのだった。
「いくらなんでも、ハードモードすぎるだろ!」
俺の悲痛な叫びはすっと森の奥に消えていくが、だからといって事態が好転するわけではない。俺がため息をついたその時だった。
「ライトさん、かなりまずい状況です」
ビオラとはこの二時間で多少仲良くなったものの、未だにさん付けのままだな……。などと悠長に考えている場合ではなかった。
「グゥアアアアアアア!」
クマのような野生のモンスターが突然俺たちの目の前に姿を現した。
俺たちがこの森の中で最も困っていること、それは相手の異常なほどの強さだ。
「何だよ、レベル65って……」
ここがどこかはわからないが、絶対に序盤に訪れるべき場所ではないということだけは分かる。レベル17に上がった俺もレベル48のビオラでさえも負けているのだから。
この世界においてレベルは絶対ではないが、強さを測る重要な指標であることには変わらない。
「あとは、このモンスターが温厚タイプであることを祈るのみだが」
こんな登場の仕方をしておいて、温厚であるはずもないか。だったら逃げるしかないな。
「逃げるぞビオラ!」
「それなら、私に乗ってください。あの相手はおそらくライトさんよりも速いです」
「……いいのか?」
「かまいません。非常事態ですので」
森を散策し始めてからここまで約二時間。何度も強敵相手に逃げてきていたわけだが、ここにきて初めて彼女が騎乗を許可したのだ。
これはつまり、少しでも気を許してくれたということだろうか。
俺は小さく顔をほころばせた。
「ありがとうビオラ!」
俺はそう叫びながら急いでビオラにまたがる。俺が彼女の体をがっちりつかんで振り落とされないことを確認すると、ビオラは全力疾走で駆け抜けた。
「ライトさん、あのモンスターはまだ追いかけてきていますか?」
逃げだしてから少しして、ビオラが俺にそう尋ねてきたので俺は後ろを振り返るがそこにはもうあのモンスターの姿はなかった。
「どうやらもういないみたいだ。助かったよビオラ。本当にありがとう」
「……いえ、別にそれほどのことではありません」
少し小声になりながら、ぼそっとつぶやくビオラ。恐らくこれまで感謝されたことがあまりなく、返答に慣れていないのだろう。
それまでを取り返すかのごとく、俺は彼女に感謝をたくさんしようと思ったその瞬間だった。
「ライトさん。奥に人工の明かりが見えます。どうしますか?」
ビオラがどうやら奥に何かを見つけたらしく、俺に対応を乞う。俺としては今少しでも情報が欲しいので行ってみたいところだが、もし相手が黒いペガサスを見て否定的な反応をした時が厄介だ。
「一応、いつでも不確定転移ができるように準備していてくれないか?」
「わかりました。ただできる限り使いたくないので、万が一の保険としてですが」
「あぁ。わかっている」
この森をさまよっている中で聞いた話なのだが、どうやら不確定転移は残っている魔力の九割を使う特大魔術のようで、できる限り使いたくないようだ。
逆説的に牢屋の場面は、できる限り使いたくないと言っている場合ではなかったということだが、あの状況を考えれば当たり前だな。
「よし。それじゃあ行くぞビオラ」
準備が整うと、俺はビオラから降りてゆっくりと人口の明かりのほうへ近づいていく。そして、ようやくその場所の全貌が見えた――と同時に歓声が沸き上がった。
「ゆ、勇者様がいらっしゃったぞみんな!」
「ついに……ついに長きにわたる苦しみから解き放たれるわ!」
「あぁ、あぁ。夢ではないのかこれは……」
周りのあちこちから、割れんばかりの歓声と歓迎の意が込められた声が聞こえる。俺たちが着いた場所は、人間の小さな集落――村だった。
「どうやら杞憂だったみたいだな」
「はい。私のことを見ても何も感じていない様子です。やはり、呪いに関しては周知されていないのでしょう」
「そもそも俺は呪いなんてないと思っているよ」
「……私もそう信じたいです」
そんな会話をしながら、俺は歓迎されるがままに村に入っていった。
村はよく見ると薄い透明な膜のようなものに守られているが俺たちは問題なく通れるようで、膜をすり抜けると改めてあちこちから歓迎された。そして同時に、村長さんらしき人が出てくる。
見た目の年齢は七十歳くらいで、長く白いひげを生やし、杖によって体重を支えているようだ。
「ようこそ。わざわざこんな辺境の地にある村へよくぞお越しくださいました。我々一同心から歓迎いたします。本日はこれを祝って祭りを開きますので是非ともご参加ください」
「ありがとうございます。ですが、なぜ俺たちがここに来ただけでそんなに喜ばれるのでしょうか……」
ゲームなどでは歓迎される村というのはよくあることだが、ここはゲームであって現実。特別な理由でもない限り、来る人全員に歓声を浴びせ祭りを開くなんてことはまずないだろう。
村長は俺の疑問をすぐに察すると、少し声のトーンを落として低い声で言った。
「詳しいことは祭りの後でお話ししますが、簡単に申し上げますと勇者様のお力をお借りしたい問題があるのです」
なるほど。やっぱり何か訳ありのようだ。それに、いくらマップをもっている他のプレイヤーもとい勇者であっても、この強敵ぞろいの森を抜けてわざわざここまで来た人間はいなかったのだろう。
要するに、ようやく救世主が訪れたと思っているというわけだ。
「一体どうしたものかな……」
俺はこの森を適正レベルで抜けたわけではない。それ故に、これから起こる事態に対処できる自信がないのだ。
「ライトさん。とりあえず今は、集まっているいろいろな方々と交流するのがよいと思います」
「そうだな。そもそも情報が少なすぎるしな」
そう言って俺は、仕事帰りの満員電車のようにぎゅうぎゅうに迫ってくる村人と、にこやかに交流を始めるのだった。
しかしこの時の俺はまだ知らなかった。この村の抱える問題の重大さを。これから始まる新たなクエストの行く末を。