諸悪の根源
「なぜ、ここに国王がいるんだ……」
見たところ護衛を連れてはいないようで、一人でこの電気タンクで待ち構えていたようだ。いやな汗が滴る中、国王はゆっくりと覇気を込めて口を開いた。
「悪魔の巣窟を覆っていた壁が決壊した。その意味が分からぬほど、我は愚かではないということだ」
淡々と、粛々と。国王はそう言い放つ。これはつまり、壁を壊してからの短時間で今までの流れを予測して電気タンクに来ると確信を持っていたということ。
いやな汗が止まることはない。
「……だったらなぜあなたは護衛を連れていない。仮に俺たちを待ち伏せていたところで、国王だけが単身で待ち伏せするリスクを考えていないのか」
そう尋ねながらも、俺は心のどこかで分かっていた。この国王は強いと。
しかもその強さは尋常ではない。ただそれを認めたくなかったのだ。故に俺はそう尋ねた。しかし、口から漏れ出す言葉は淡い願望をことごとく打ち崩していく。
「我が、戦場に足手まといを連れる人間だとでも思ったのか?」
その顔に笑顔はない。初めて国王を見た召喚の間での顔には柔和な笑顔があった。しかし、今の国王にあるのは絶対零度の如き殺気のみ。
見たものすべてを絶望の淵へ叩き落すほどの恐怖が、目の前の男から溢れ出している。
隣を見ると、ゲイルはあまりの威圧感に声も出せないようだ。俺は少しでも状況を好転させようと、国王のステータスを調べる。
しかし――。
アルティエーヌ23世
レベル 100
種族 人族
「嘘、だろ……」
「嘘ではない。今そなたが見た数値は、紛れもなく我の物だ」
俺の記憶が間違っていなければ、『イルミス・アルテリア』の上限レベルは99のはず。すなわち、俺の目の前にいるこの国王はゲーム上の限界を超えた場所に位置するのだ。
「いくら国の王様だとしても、こんなことはありえないはずだ……」
「そなたは、目に映っている現実さえも信じないのか? 人はそれを――」
瞬間、国王の周りに禍々しいほどに漆黒のオーラが生まれ、それが部屋中に波のように伝播していく。俺たちはそのオーラが通り抜けただけで、膝から崩れ落ちてしまった。
国王はそんな俺たちを見て眉一つ動かさずに言葉を続けた。
「愚者と呼ぶのだ」
圧倒的、という言葉さえふさわしくない。勝てるビジョンが全く見えないのはおろか、ここから一歩でも動けば死ぬんだろうという確信さえある。
「おおかた、そなたは今このように思っているのだろう? なぜゲームの限界を超えられているのかと」
「なッ……」
今、国王はゲームと確かに言った。あくまでもこの世界のいちNPCに過ぎない国王が、ゲームの世界であることを自覚しているのだ。
恐怖が心の中を支配していく。しかし、国王はそんな俺をおいて淡々と言葉を紡ぐ。
「『運営』と呼ばれるこの世界の創造主は、どうも勇者同志の対立を避けたいようでな。故に、我が国は他の国とは隔絶した強さを運営によって与えられた。それこそ、世界を統一できるほどの力を。そしてわれらの国は歩き始めたのだ」
国王は一度そこで溜めてから、ゆっくりと言い放った。
「世界の頂に立つための覇道を」
……そう言うことか。つまり運営が目指すこの世界の未来は、すべてのプレイヤーが単一の国に所属し、その国が世界を牛耳っているような世界。
プレイヤーはそんな世界で救国の英雄となり、他国との戦争では常勝無敗となる。確かに、プレイヤーはそれによって気持ちよくなっているだろう。
常に勝ち馬に乗り続けられるのだから。
ただ……。
「だったらよ、国王陛下。黒いペガサスの幽閉や、人間のモンスター化の実験、そして悪魔の人工繁殖による魔力搾取。そのすべてが……戦争のためだっていうのか」
たくさんの苦しむ顔を見てきた。
全てに裏切られ誰も信じられなくなり絶望している者も、肉親を奪われ復讐に燃える者も、仲間が傷ついていくのを自分のせいだと責め続けていく者も。
そのすべてが、そのすべてが――。
「あぁそうだとも。それの何が悪いのだね? おおいなる力には代償が伴うことは、世の常だ」
沸々と怒りがこみあげてくるのを感じる。今まで見てきたすべての苦しみの根源が、今目の前にいる。その事実は、俺の視界を黒く染め上げる。
「てめぇ……」
戦力差は絶望的だ。殺すことなど不可能だろう。それに、俺たちがここに来た目的は電力タンクを破壊することだ。
もちろん、そんなことは分かっている。
ただ――。
「一発殴らないと、気が済まねぇ」
「身の丈に合わぬ願望を持った人間は、見ていて哀れだ」
絶対的優位からか、国王が余裕を崩すことはない。俺はそんな奴を眼球が飛び出そうになるほど強く睨みつける。
そして、ゆっくりと剣を握った。
「ゲイル、行くぞ」
「あぁ」
ゲイルも、俺と同じ気持ちだったのだろう。恐怖で震える膝を無理やり動かしながら立ち上がる。
眼前の標的の位置をもう一度確認したその直後、俺たちは走り出す。作戦は至ってシンプルだ。俺が国王と一瞬でも戦っている間に、ゲイルが国王の後ろにある電力タンクへ向かいそれを破壊する。
「喰らいやがれ――ッ!」
全体重を剣に込め、国王に向かって振るう……が。
ピタっ、と。
その剣は国王に止められる。あろうことか、国王の左手の小指で。
「えっ……」
何も言葉が出てこず、俺は呆然とするしかなかった。何せ、曲がりなりにも自分の放った最強の一撃だったのだから。
「そなたは、この国に不要だ」
それは一瞬の出来事だった。
起こったことと言えば、国王が軽くデコピンをしただけ。しかしたったそれだけで、凄まじいまでの衝撃が体中を駆け巡り、一気に壁を突き破って廊下まで追い出される。
全身を電流が流れるような痛みが押し寄せていく。
ゲイルもこの一撃の余波で壁まで吹き飛ばされていて、瀕死状態となっていた。
そして、俺の視界には絶望を告げる一通の電子メッセージ。
《スキル『不屈』が発動しました》
あぁ、結局俺は何も守れなかったのか。と、不意に思ってしまった。
今ここで俺が死ねば、ビオラと悪魔たちは一生魔界に囚われ続ける。そこで死ぬまで魔力を吸われ続けるだろう。苦しみと共に。
それは、俺がこの世界に来る前と同じ。いや、むしろ悪化しているとさえ言える。
「クソっ……」
塩辛い味が、口の中に広がっていく。そんな俺を見ても尚、国王は眉一つ動かすことはない。
「この世界に奇跡など存在しない。強き者が弱きものを倒す、それだけがこの世界の真理だ」
その言葉に、俺は何も言い返すことはできなかった。なぜなら、それはたった今事実という形で証明されているのだから。
それでも何とか足掻こうと、血反吐を吐きながら王を睨みつける。
「我が国の未来のために、そなたらにはここで死んでいただこう」
それは死の宣告。有無を言わせぬ圧倒的なオーラで空間を支配し、俺とゲイルはもうあきらめかけていた。
内臓がぐちゃぐちゃになっているのか吐血が止まらず、満身創痍の状態。そんな中で終焉を告げる一撃がくるかと思われた、その瞬間だった。
「何だ、これ……」
突然地面から緑色の光が漏れだしていく。それはやがて、一つの物体の形を作り出していく。その形は――。
「これは……時計だ」
巨大な時計が地面いっぱいに映し出される。そして、その時計の針は本来と逆の方向に回り始めた。
刹那、その意思をくみ取ったのはゲイルだった。
「諦めるには、ちょっとばかり早かったかもしれねぇな!」
不敵な笑みを浮かべたその刹那、俺の視界から色が消えた。国王は攻撃を今にも放とうとしたまま固まり動かなくなっている。
そんな中、彼女は電気タンクの中に姿を現した。
「ビオラ……」
たくさんの魔力を吸われたうえに大魔術を行使し、今にも倒れそうな彼女の姿がそこにはあった。そんな彼女は、泣きながら抱き着いてくるパートナーと、そっぽを向きながらグッジョブサインを見せる仲間の顔を見ると、苦しそうながらも笑顔を浮かべる。
「……私だけ何もしないわけには、いきませんから」
「ビオラ、そしてゲイル。二人ともありがとう」
ビオラがゲイルの体の時間を過去に遡らせたことで、魔王戦で使ったためにゲイルが今日はもう使えないはずの時間停止を可能にしたのだろう。
見事なまでの連係プレーに、俺は脱帽した。
「……もう、私には体力が残っていません。あとはよろしくお願いします」
ビオラはそう言って廊下へ出ると、そこで横になって倒れた。最後の力を振り絞ってここまで来てくれたのだろう。
「あぁ……ここからは任せてくれ」
仲間がここまでやってくれたのだ。ここから俺が頑張らずしてどうする。幸いにも、体の傷はビオラの時空反転によって治っている。
俺は覚悟を決めると、電力タンクのそばまで行った。そこで、世界に色彩が戻る。すなわち、国王が再び動き出すということだ。
しかし、国王が動き出すよりも早く、俺は電力タンクに向かって思いっきり剣を振るった。瞬間、王城の中から光が消える。
「ぬ、時間停止の魔術か。こざかしい真似をしよって!」
流石の国王もこれには焦ったのか、一目散に俺を殺しにかかる。近くにビオラやゲイルがいるのに、視界にも入らないようだ。
当たり前だ。なぜなら焦ると人間の視野は狭くなるのに加えて、今の俺は《β》を発動しているために赤いオーラが出ていて目立つ。
それがすべて仕組まれたことだと気が付かず、国王は俺めがけて一撃を放つが……。
「電力タンクを壊した俺ばかりに気を取られて時間を稼がれてしまうお前を、人はこう言うのかもな」
半端ない激痛が俺を襲う。それはさっきのデコピンとは比べ物にならない。四肢が飛散し腹に風穴があいたかと錯覚するほどの痛み。いや、実際にはそのレベルの衝撃波だったのだろう。
死ぬほど痛い――が、今の俺は一撃だけならばどんな攻撃にも耐えられる。
俺はもとより覚悟していたため必死に痛みをこらえながら、あえて笑顔を浮かべて余裕を見せながら言葉の続きを言い放つ。
「愚者である、ってな。ゲイル、十秒稼いだぞ!」
「あぁ、十分だぜ!」
俺の煽りが余程効いたのか、国王は真っ赤に顔を染めながら追撃をくらわそうとした。しかし、それよりも早く言葉を紡ぐものが一人。
「対象範囲――設定。座標特定――完了。起動しろ、完全転移」
王の拳が捕らえたのは――俺の残像だった。
「クソがぁ!」
王は怒りに身を任せてそう叫ぶも、その声はむなしく薄暗い電力タンク室の中を響くだけだった。