悪魔と女神
どうしてこのスイッチを押した瞬間にビオラとゲイルは苦しみだしたんだ?
……だめだ。思考がまとまらない。
ただ、状態を見た感じビオラが相当重症なのに対し、ゲイルは比較的マシな苦しみ方をしている。いったいこの違いが何なのかはわからないが、とりあえずゲイルなら何か知っているかもしれない。
そう思ってゲイルに話しかけようとした瞬間、逆に何者かに話しかけられた。
「外にいる悪魔を、ワープゾーンを使ってこの広間に集めろ。ここならかろうじて影響が少ない」
そう言ってきたのは、ついさっきまで戦っていた魔王だった。俺がそんな魔王に対して質問しようと思った瞬間、スイッチのある場所のすぐ隣に緑色で直径三メートルほどの円が浮かび上がった。
「これがワープゾーンなのか?」
「あぁそうだ。時間がない。急ぐのだ」
いったい何が起こっているのか全く分からないが、とりあえず危険な状況ということだけは分かった。
ここがシェルターのようになっているのだとしたら、ビオラたちは置いていくのが正解だろうと思い俺は一人でワープゾーンに向かおうとする。
「待っていてくれ。俺がすぐに何とかしてくるから。それまで何とか耐えてくれ……」
そうビオラたちに言葉をかけ緑の光へ進んでいく。そこに割って入ってきたのはゲイルだった。
「……オレも行く」
「大丈夫なのか?」
「あぁ。オレが苦しんでいたように見えたのはビオラと違って……って、今喋っている時間はないな。とりあえず後で説明するから急ぐぞ」
「あ、あぁ」
俺はそう言葉を返して、緑色に輝く円の上に立った。瞬間、まばゆい光が俺たちを包み込む。
そして、ようやく目を開けられるほどの光量になり目を開ける。
そこは地獄だった。
魔王城の門の前に設置されたワープゾーンに飛ばされた俺たちが見た景色。それはもはや魔界とは呼べないものと化している。
「なんだ、これ……」
空を覆っていた暗闇には大きな亀裂が入り、その隙間から見えるのは巨大な何かの装置。そして、その装置に、地上にいた悪魔たちから紫色の霧状の物が吸い取られている。
そして、吸い取られている悪魔たちは苦しみながらもがいている。形容するなら阿鼻叫喚という言葉がふさわしいほどの、この世の終わりみたいな光景がそこにはあった。
「とりあえずこのワープゾーンに、全員誘導すればいいんだよな!」
「……あぁそうだ。オレは西に向かうから、お前さんは東に向かってくれ」
「わかった!」
少しでも悪魔たちの苦しみを和らげるために、俺はゲイルと共に悪魔をワープゾーンへ誘導し始めた。みんなもっと困惑して言うことを聞いてくれないかと思ったが、迷っている時間もないほど辛いらしい。
「城の前にある緑色の光を目指してください! そうすれば幾分か楽になるはずです!」
その言葉を町中に伝えながら走り回る。幸いにも魔界は広くないのですぐに担当範囲を一周すると、次は動けなくなるほどに憔悴しきった方を運ぶ作業に移った。
すべての作業が一通り終わり、街にいたすべての悪魔たちが魔王城へと非難完了したことを見届けると、俺はゲイルと合流した。
「俺のほうは終わったぞ! そっちはどうだゲイル?」
「オレの方も問題ねぇ……」
歯切れが悪そうにゲイルは答える。その曇った顔は、明らかに彼の心情に変化があったことを告げていた。
「大丈夫かゲイル、顔色が悪いぞ」
俺がそう言うと、ゲイルは苦虫を嚙み潰したような苦悶の表情を浮かべた。
「……オレのせいだ。オレがみんなに外の世界を見せたいと思っちまったばっかりに、犯してはならない禁忌をしちまった」
「一体どういうことだ? 今のこの状況について何か知っているのか?」
「知っている、というよりすべて思い出した。今まで魔界を形成していた不可視の壁と空を覆っていた暗闇には、オレたちの中の特定の記憶を封じ込める作用があって、そのせいで忘れていたんだ」
「記憶を封じ込める?」
だめだ。まだ状況が理解できていない。そもそもここはどこなんだ? それに上空から顔をのぞかせている巨大な機械。
わからないことが多すぎて、これじゃあ何をすればいいかすら見当がつかない。
「なぁゲイル、教えてくれ。魔界って一体何なんだ? それに、お前はどうして他の悪魔と違って平気なんだ?」
俺がそう尋ねると、ゲイルは苦しそうな表情を浮かべた末に静かに口を開いた。
「……魔界なんて場所は、最初から存在していなかった。ここはれっきとした王国の中の場所さ」
「……え?」
「あの不可視の壁は、俺たち悪魔を守るために悪の女神カンナが作り出した、巨大な防御結界だったんだ」
そう言うと、ゲイルは語り始めた。魔界の始まりの物語を。
●●●
それは今から三十年ほど昔の話。まだこの世界に勇者と呼ばれるプレイヤー達が降り立っていなかったころ。
王国はとある計画を進めていた。
その内容は、悪魔を人工繁殖させ王城の地下深くにある巨大スペースに収容して、そこに巨大な装置を取り付けて殺さない程度に魔力を吸収し続けるというもの。
悪魔は幻想種であるため魔力の純度が高く、その価値は非常に高い。そのため、すぐにその計画は進められた。
そうして生まれたのが魔界の前身である《悪魔の巣窟》だった。
人工繁殖によって次々と生み出される悪魔。生まれた悪魔たちに未来はなく、ただひたすらに死を待ちながら搾取される日々だった。
そんな中に、突然変異個体が一匹生まれた。その名こそ、ゲイル。
ゲイルは生まれながらにスキル《完全転移》を習得していて、物心ついたときにそのスキルを使って生きながらえる地獄から脱出したのだ。
「……みんなごめんよ。でも、必ず救う方法を考えるから、待っていてくれ!」
死んだような顔で一点を見つめる仲間や家族を横目に、転移を成し遂げたゲイル。そんな彼を待っていたのは見たこともないような景色と輝く太陽。
しかし彼にそれを堪能する余裕などない。一刻も早く悪魔たちを救助しなくてはならないと考えていたゲイルは、必死になって助けてくれそうな相手を探して飛び回り続けた。
極寒の山も灼熱の大地も超え、いくつもの大陸を回って彼は探し続ける。自分たちを助けられるほどの圧倒的強者を。
だが、そんな存在が簡単に見つかるはずもなく。
「……クソっ! すまねぇみんな。オレは……」
ふがいない自分にため息が出てしまう。これじゃあ一人だけ逃げ出した裏切り者と同じ。悔しさで思わず涙がこぼれた。
――瞬間、その涙を拭きとった者がいた。
「どうしたのかしら? そんなに慌てて飛び回って」
黒く長い髪をたなびかせながら笑う女性が一人。頭に生える二本の角は、自分のものと違ってまっすぐ伸びていた。
「……誰だよ、あんたは」
「フフッ、私相手にあんたなんて言った子は初めてね。いいわ、教えてあげる。私は悪の女神カンナよ」
女神? 俺たち悪魔とは対極にいる存在だろうか。妙な神々しさが彼女にはあった。
「……オレはゲイル。悪魔だ」
「へぇ~、悪魔なんだ。初めて生で見た。それで血相変えて飛び回っていたけれどどうしたの?」
もしかしたら、という考えが頭をよぎりゲイルは抱えている事情を包み隠さず話した。何度も涙と嗚咽を交えながら話すゲイルの言葉を、カンナは表情一つかえず聞き続ける。
そしてようやくすべてを話し終えると、カンナは笑った。
「なら、私と契約する気はない? あなたたち悪魔を地獄から救ってあげるわよ」
「……え?」
確かに救助を求めていた。しかし、いざ助けるといわれると裏があるように感じてしまう。
「……その代わりに、オレは何をすればいいんだ? 奴隷にでもなればいいのか」
ゲイルが恐る恐る聞く中、カンナは「そんなんじゃないわよ」とケラケラ笑った。
「私を楽しませなさい。私を退屈から解放するのよ!」
突然放たれた一言に、ゲイルは唖然として何も言えなかった。