02 悪役令嬢、スライムになって。青年と出会う
「な、なんですの一体――」
唐突に出会った怪しげな魔法使いの老婆によって、私は何かをされてしまった。
ふと目を覚ましてみると、全身の痛みはなくなっていた。
しかし身体を動かそうと思っても、思うように動かない。
手も足も出せないとはまさにこの事といった感じだが、このままではせっかくの自由気ままな旅が謳歌できない。
「んぎぎぎ……!」
なんとか歯を食いしばってその場を動こうともがいていた。
するとぷるぷるとこれまた奇怪な音が森中に響き渡った。
何か接近してきた。やばい。
こんな音人間が出せるわけがない。
魔物による攻撃か、或いは視察か。
気を張り詰めてその場をじっと静止したまま木の影を見つめる。
ところがいつまで待っても音の主は現れなかった。
肩透かしか――再び動こうとしたその時、またぷるぷるぐにょぐにょと奇妙に蠢く音がした。
やはり敵か。私の動きに合わせて迫って来ているのか。
様子を伺うだけの知性のある魔物。
あの腑抜け城に襲ってくる者の中には、当然魔物もいた。
魔法を操る中級の悪魔には、こちらも自前の氷魔法で対抗したものだ。
そもそも魔法とは元来魔物の扱うものであり、『魔』法を操る『物』だから魔物と呼ばれるようになったとか、気まぐれに読み漁った古文書には魔物と魔法について様々な諸説がある事が記されていた。
勿論魔法を使えない低級な悪魔もいるが。
人間はそこから独自に研究を重ねて魔法を扱えるようになったという。
それでもまだ人間社会では魔法を使いこなせるものは限られており、一部の王族と呼ばれる者たちが操りその支配を轟かせていたという。
言うまでもなく私のことだが。
――とそんなドヤ顔を浮かべている場合ではない。
状況は一転してこちらの不利だ。
何故か私は思うように身体が動かせなくなったし、そんな無防備な私を狙う何者かが森の中でひっそりと息を潜めてこちらを伺っているのだ。
ええい。来るなら来い。
私は天下無敵の元令嬢だぞ。これまで幾多もの死線を乗り越え、お飾りの貴族様連中とは全く異なる進化を遂げた新人類なのだ。
どんな魔物が潜んでいようと、その首もぎ取り冒険者組合に持ち帰って高値で売り捌いてくれよう。
が、またしてもこちらが止まればその音は消えてしまった。
ほぼ私が動くと同時に鳴っていることを考えると、よほど精密に私の動きを模しているようだったが、その音源がかなり近い事に気がついた。
すると今度はその姿がまるで見えない事が気がかりだ。
透明になって私の前に立ちはだかっているとでもいうのか。
それらの仮説が一転して地獄の底に叩き落とされる案件に巡り合った。
「え……なにこれ……」
見えない敵への怒りに震えて思わず伸びたそのぬるぬるとしたものは、紛れもなく私の肉体へと伸びていた。
もっと目を凝らしてよく見てみると、それは細長い半透明な触手のようであった。
私が揺らそうと思えば、そいつはぷるぷるとゼリー状の肉を揺らして先程までの不気味な音を響かせていた。
城にあった資料集などによれば、これは『スライム』と呼ばれる魔物の手だ。
……いや、連中に『手』や『足』なんて概念があるのかどうかは怪しくなってくるのだが。
とにかくこれは間違いなく奴の肉体そのものだった。
最近では洞窟のみならず、人間の街や草原にまで出没するようになったという魔物だ。
しかし基本的に彼らは人間には無害かつ温厚な生き物であり、むしろうっかり踏みつけられてバラバラになる事もある程度の、端的に言い切ってしまえば『弱い』魔物だった。
彼らの生態は実に謎めいている。
まず何を食べ、どこに老廃物を排出するのか。
それはモンスター研究に熱心な学者でさえ、未だその問いに答えられていないほどの難題だった。
彼らが何かを捕食する場面を見たことがない。
表情からも何を考えているのか、どういう思考回路なのかまるでわからない。
そんなぶっちゃけ生きてるのか死んでいるのか計りかねる怪物に……私がなっているとでもいうのか。
いやいやちょっと待て。
たしかに私は国王から城を追放されるほどの悪行(笑)をしてきたけども、だからといってこんな天罰が下るほどの事なんてやった覚えはない。
――とそこで思い出されるのがあの忌まわしき老婆だ。
あいつ、確か私に『怨念を与えよう』とかなんとか言ってたな。
その怨念がこの仕打ちだというのか。ふざけるなよ老ぼれが。
うら若き乙女の肉体をこんなつんつるてんのプルプルゼリーに変えて許されるはずがない。
今この目の前に現れたなら、この触手を喉の奥から突き刺して拷問スライム責めの刑に伏した後に、元に戻す方法を死ぬ前に吐かせるぞ。
戻った後は首を剣で撥ねる。いや正直それくらいやってもいい程の、私なんかよりもよっぽどの『悪行』だ。
しかし何をどう怒ろうと泣こうと喚こうと、老婆はいつまで経っても私の前に現れないし、私も元の姿には戻らなかった。
とりあえずこの場を誰かに見られるのもまずいので、私はどこか隠れる場所を探して慣れない身体でぐにょぐにょと森の大地を練り歩いた。
どうなっているんだ私の身体は。
草木が当たる感触らしい感触も無いし、さっきから足元の小石が私にぶつかってくるけどそれに対する痛みもない。
瞳だってちゃんとこうして二つに景色を捉えているし。
強いて言えば若干視界が下がったくらいか。
木々が大きく感じるのは私の身長が縮んだからか。
ちょうど子供の頃に戻ったみたいだ。
しばらく歩いていると、段々この気色悪い身体にも慣れてきたのか、すいすいと地面を這うことが出来るようになった。
なんか人間の頃走ってる時の速度と同じくらいなのに、全く息切れや疲れを感じない。
すごいぞ。これならどこまでも歩いてゆける。
しかし肝心の休める場所は中々見つからなかった。
まあでもこの調子で歩き続ければいつかは見つかるだろう。
そう甘く先のことを見積もっていたら、やがてとんでもない事態に遭遇した。
パキッ、ガサッと。
何かが森の中を歩いている音がした。
今度は私のものでは無い。もっと何か、動物じみた。
平たく言えば人間の放つそれのような存在感と足音が……
「なっ、なんだコイツ!」
その予感が的中するように、森の影から高級そうな青年が飛び出してきた。
まずい――恐れていた事が起きてしまった。
あろうことか人間にこの姿を見られた。
まず間違いなく殺される。
その証拠に彼は腰に携えていた剣を勢いよく取り出して私に向けてきた。
剣の美しくも尖った切先から、私の姿が朧げに映し出される。
そこには青緑色のぐにょぐにょとした化け物がいた。
――ああ、あれが私の姿なんだ。
一瞬夢か幻か、それともスライムに食べられた自分なのかと期待していたのだが。
現実はかくも残酷に、ありえない真実を映し出すものなのだな。
とりあえず今は死にたく無いので逃げるしかない。
しかし逃げようと飛び回った行先に、彼の振り回した剣が突き刺さった。
「化け物め……!」
そのエメラルドグリーンの瞳は、魔物に対する恐怖に怯えて震えているようだったが、同時に確固たる信念を持って私に向かっているものだと伝わってきた。
よくみると歳は10代後半くらいだろうか。
顔の色合いもよく、服装や髪の状態と合わせてもそこそこ大事に育てられたであろうイケメンの好青年だ。
実にもったいない。この姿でさえ無ければ婚約を申し付けるくらいだったのに。
人間だった時代、それなりに異性を惹きつけるナイスなバディであった肉体は、今やすっかりスライム色一色に染まっている。
ちょっとぶよぶよして気持ち悪いくらいだ。
こんなもので迫られたらどこの王子様も裸足で逃げ出すことだろう。
今逃げ出したいのは私だったが、何度やっても身体がガチガチに固まって動かなくなってしまった。
剣に対する恐怖心がそうさせたのだろう。
無意識に地に張り付いたままロックされてしまっている。
「よし……い、いいな。そこを動くなよ……!」
青年の息遣いが荒くなる。
なんだか顔色も段々と悪くなっているみたいだ。
ここまで一度も攻撃らしい攻撃も行わず、ぷよぷよしてるだけの人畜無害なスライムに対して――しかも動かなくなりただのゼリーとなった私に対して、ここまで怯える必要があるだろうか。
などとこんな今際の時だというのに、私の理屈的な脳みそはこうもくだらないことばかり考えていた。
少しくらいこの場をどうにかする妙案でも思いつけ。
そんなんだから無能な王から国を追放されるんだぞ。
振りかざされた剣が私の肉を裂かんとする直前――
「ひぃっ! や、やめてっ殺さないで‼︎」
と甲高い女の声が森中をこだました。
聞き覚えのあるその声は、まさに今私が発したものだった。
人語を喋るスライムなんて今生滅多に巡り会えるものではないだろう。
声を発した私本人でさえ、驚きと戸惑いにあふれていた。
青年も振りかざした剣を途中で止め、私の方をじっと見つめていた。
「しゃ、――喋れるのか……お前……」
「えっ……あっ、はい」
問われて思わずそう返してしまった。
実に間の抜けた声だ。格好悪い。
しかし今は悪態ついて身を危険に晒す必要はない。
まずはこちらの安全と、襲う意思や戦うつもりはないことを話して説得させよう。
だが眼前の青年にそんなつもりは微塵もないようで、喋った不気味なモンスターを前にして、ますます殺気立っていた。
「やはり化け物め……俺がここで貴様を倒す!」
「ひっ、ひいぃ!」
ようやく動くようになった体を目一杯動かし、私は全速力でその場を逃げ出した。
「待て!」
彼も必死で剣を持って追いかけ回してくる。
ど、どうしよう。どうすればいいんだろう。
森の出口が見えかかってきたその時、私はようやく助かったと思ったのだった。
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