二次元
聞いてくれ。
妻が画面から出てこないんだ。
こんなに可愛い妻なのに。
こんなに素敵な妻なのに。
君を眺めている時間はすごく幸せだった。それでも、ある日を境に感情を抑えられなくなっていった。
手を繋ぎたい。髪を撫でたい。目を合わせてお喋りしたい。君に触れたい。
とめどなく溢れる願望の、そのどれもが叶わない。
願いを口にしてみたところで、君はただ静かに微笑み続けるだけだった。
液晶画面1枚分の距離がもどかしい。
出来ることなら、今すぐ君のもとへ行きたい。
溢れる願いと涙は止まらなかった。
世界は輪郭を失い、ぼやけて歪んでいく。
このままではいけない。
君の姿すらぼやけてしまっては、僕は誰に向けて願えばいいのだ。
壊れたダムをどうにか堰き止めようと、両目をきつく瞑った。
眼前に一気に広がる暗黒。
どうも涙は止まってくれる様子がない。僕は君のことを考えることにした。
出会った頃の君。打ち解けてきた頃の君。ケンカした時の君。
たくさんの君が、ぼやけず鮮明に描かれていく。
そのおかげで気が付いた。
記憶に残る君はよく笑っていたが──
目を開いて画面に映る君を見つめる。
こちらを見つめる笑顔は、少々ぎこちないものだった。
──ああ、そういえば君は恥ずかしがり屋だったね。
肩の力が抜けた。
気が付けば口角が上がっていた。緩んだ頬を雫が伝う。
「そうか、恥ずかしいのか。そりゃあ出てこないわけだな。」
言い訳じみた独り言がおかしくて、さらに涙を零して笑った。こんな風に笑えたのは久しぶりだった。
そっとスマホを抱き寄せる。
胸が温かいのは機械熱のせいだろうか、なんてつまらない現実がふと頭をよぎった。
現実とはなんとも冷めたものだ。
それでも、そんな現実を温める妄想は嫌いではなかった。
逃げるための妄想じゃなく、向き合うための妄想を。
彼が彼女に願うその行いは、苦しい現実に立ち向かうための耐久手段だった。
「なあ、たまには画面から出てきてみないかい」
恥じらう彼女に寄り添うように、どこか冗談半分で。
無茶な事を言う自分に呆れるように、どこか冗談半分で。
繰り返す。日々繰り返す。
画面に向かって、笑いかけながら。
どうやら僕は、まだ奇跡を信じていたいらしい。
生前の彼女の写真は今も消せないままだ。