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売国奴と謗られた令嬢と護衛の話

作者: 奥羽亜鉛

読みづらいかと思いますが、ご意見を頂けるとありがたく存じます。

 暗い山道を尊大な紋章がついた馬車がこそこそと何かから逃げるように一台走っている。

――この結果は当然だが、やはり納得は行かないな。

 馬車の主、ソフィア・ロガラスはため息をついた。簡単に言うと、彼女は皇太子から事実上の流刑を言い渡されこんなうら寂しい夜道を走っているのだ。彼女はそれに対して不満は多くあったが、かといって現状をそのまま受け入れられるほど達観していなかった。なれば、彼女の嘆息は無理もないだろう。

 馬車が一瞬大きく揺れる。小石にでも躓いたらしい。

 同時に何かが馬車の中でも軽くぶつかる音がした。ソフィアが違和感を覚え、辺りを探すと、それは濃い群青の花を象ったブローチだった。それを彼女はしばらく見つめていたが、やがて何かを思い出したらしく静かに微笑む。

「…差し出がましいですが、それは何か聞いてもいいですか?」

 隣にいた護衛が話しかけてくる。彼の顔は辺りが暗いのもあるが、帽子を目深に被っていることもあって全くと言っていいほど見えない。僅かに肩までかかったウェーブのかかった金髪が見えるくらいだ。

 ソフィアは護衛の馴れ馴れしさに驚きと何故か懐かしさを感じつつも、極めて優美で整った笑顔で返す。

「このブローチは昔ある人から送られたものですわ」

「それはレオーン殿下から?」

 ソフィアは至極残念そうに首を振る。

「なら、それと、貴女自身について教えてくれませんか?」

「…具体的には、何を教えればいいのでしょう?」

「貴女のすべてを」

 彼女は当惑したような表情を浮かべるが――。


「承知しました。いいでしょう」


 ソフィア・ロガラスはロガラス侯爵家の長女として生まれた。父はまあ、如何にも普通の貴族だったが、母は少し事情が違った。

「ご存じかと思いますが、私の母ファラフナーザは隣国ハーシの将軍の娘でした」

「ええ、その話は有名ですね。我がルーム帝国とハーシの三回目だか四回目の休戦条約の取り決めとして行われたとか何とか…」

 ソフィアは大きく頷く。

「貴女と似て非常に美しく……そして儚い方だったと存じ上げています」

「私が美しいかどうかはともかくとして、はい、母は私が四歳の頃に亡くなったと聞き及んでおります」

 聞き及んでいる、というのは当時ソフィアがあまりにも幼すぎたため彼女の母に関する記憶が殆ど残ってないからだ。

「代わりに私の記憶の多くは義母が来て以来のもので塗りつぶされてしまいました」

「エウフェミア様でしたか。気難しい方と聞いておりますが」

「良く、ご存じなのですね」

 目の前の護衛は恐らくは帝国から公的に派遣され、殆ど侯爵家とは関係のない人間のはずだ。にも拘らず、一家のことをここまで知っているとは余程の情報通なのだろう。

「でも気難しいだけで、家を蔑ろにしたり露骨に私を冷遇したりすることはありませんでした。何より家のことを第一に考える方です」

 ソフィアは寂し気に微笑んだ。無理もない。実のところ、この状況が引き起こされたのは多分に件の義母の性格が故なのだ。

「まあ、義母と私の関係の顛末は後々述べさせていただきたく存じます……。いずれにせよ、義母が来てからの生活はどこか軽い緊張を孕んだものでありました」

 簡単に言うと小言が増えたらしい。と言っても、それは躾の範疇だったそうだが、ソフィアは度々義母と衝突したようだ。

「言葉遣いの矯正から、礼儀作法、そして貴族らしい趣味……。必要なこととは理解していましたが、それでも息苦しいモノでありました」

「…」

「だから、私がレオーン皇太子殿下と婚約を結んだ時も喜びと同時にどこか緊張を覚えたのです」

 ソフィアは自覚はしていないものの、彼女は周囲の子供たちと比べて非常に聡かった。そして、それは少なくとも彼女には呪いであったのだろう。彼女は齢六歳にして婚約の意味を理解してしまったのだから。

「……皇太子殿下との初対面は如何でしたか?」

 護衛のその言葉にはきっと、せめて彼女が皇太子に愛されていることを願う一筋の希望があったのだろう。

「まあ、少しショックなものでしたね。私、緊張して素の言葉を出してしまったのですわ」

「男性的な口調で昔は話されていたそうですね」

 ソフィアは周囲の本当に親しい人しか知らない事実を何故一介の護衛が知っているか不思議に思う。だが、人の口に戸は立てられぬもの。大方誰かが漏らしたのだろうと片づけ、代わりに続く言葉を口に出す。

「ええ。それを聞いた皇太子殿下は甚く気分を害されましてね。その時の言葉は今でも諳んじて言えますわ。なんでも、『女のくせに男と並ぼうとするんじゃない』ですって」

「それは……。ひどい話ですね」

 帝国ではかつて皇妃が帝位簒奪を目論見、結果として国が乱れたとされる事件があった。恐らく皇太子の発言はそのことを踏まえたものだと思いたいが、それでも事件から数百年経った今にそんなことを言うのはいくら何でも時代錯誤である。

「でも、皇太子殿下は誠実な方でしたのよ?自分の主義主張には非常にうるさい方でしたが、ある時期までは、それ以外の部分で私に非常によくしてくれました」

 折について送られてくる贈り物はソフィアの好みを踏まえたものだったらしいし、他の女性に現を抜かすといったこともなかったようだ。

「ですが、貴女と殿下の政治的見解の不一致は最後まで埋めることは出来なかった、と」

 母の祖国ハーシに対して融和的で特に財務関係の法服貴族に好意的な視線を向けられるソフィアと、タカ派的、実際にハーシと国境を接する東方辺境貴族に強い支持基盤を持つ皇太子殿下。皇太子の母アンナ皇妃は恐らくは年々対立が激化する法服派と辺境派の融和を目指して二人の婚約を取り決めたのだろう。

「当然、アンナ皇妃が崩御されたらこのバランスは崩れました。まあ、それでも暫くは平穏な日々が続きました」

 四六時中政治的な会話をしているわけではないから、逆に言うとそこまで二人の間では大きな問題にならなかったのだろう。

「でも、徐々に状況は変わっていってしまった」

「…ええ。残念ながら」

 婚約した時には未だ幼子であったソフィアの腹違いの妹、テオドラが中等学校に入るくらいから露骨に皇太子に接近し始めたのだ。

「テオドラ様は陽だまりの姫君と言われて私の周囲でも人気でしたね」

「彼女は私にはない、決して私が持ちえない物を持っていました」

 簡単に言うと、どこか冷たく、女性から”王子様”と言われる程度には中性的なソフィアに対して、テオドラは明るく、それでいて庇護欲をそそられる女性らしい女性だったのだ。

「謂れのない誹謗中傷もありましたが…。それでも義母はテオドラをよく窘めてくれました」

 そこまで言って、ソフィアの顔が曇る。

「私はその偽りの平穏にかまけすぎたのかもしれません」

 当然のことながら、皇族の結婚とは政治的要素が含まれる。だから、例えそれが皇太子の意見に反するとも、ソフィアは絶妙なバランスの上で自分の意見を表明していく必要があったのだ。

「最初の頃こそ殿下はテオドラを遠ざけていましたが、徐々に容れるようになったのです」

「正直、そこら辺は私にはよく分からないのです。彼女は、言っては何ですが、如何にも男に媚びる感じがして余り好きになれないのです」

 おや、とソフィアは思う。お目付け役なのに、現皇太子妃に喧嘩を売るような言葉を発するとは中々反骨精神があるらしい。

 今際にこうした言葉を聞けたのはうれしいが、一つ訂正しておく必要があるだろう。

「勘違いされがちですが、彼女は結構色々と勉強していますよ」

「それは男の扱いという意味で?」

「いえ、政治や経済も彼女は馬鹿なふりをしているだけで中々詳しいです」

 実際、テオドラに対して素っ気なかった皇太子が興味を示したのはハーシとの外交についての会話からなのだ。さらに――

「彼女は恐ろしいほど殿下と意見が一致していたのです」  

「それは有名な話ですよね」

 無論政治的な話以外の方が多いのだろうが、それでも話せば必ず不和が出るような話題はあると気まずい。そもそも皇太子との結婚だ。そういう話題は避けては通れないだろう。

「それでも義母は侯爵家に傷がつくようなことはやめろと言っていたのですが、殿下が積極的に彼女を引き入れるようでは何も言えませんでした」

 レオーン皇太子は浮気などは決してしないものの、その態度は愛のこもった扱いから徐々に義務的なものへと変わっていった。

「それでも、去年くらいまではどちらかというと貴女に対して同情的な意見が多かったと私は記憶していいます」

「……そうですね」

 男の世界ではテオドラの方が政治的には好ましいという意見もあり半々くらいであったが、女性の社会では圧倒的にソフィアが支持を得ていた。

 けれども――

「去年の冬に宮廷で財務長官の御子息がハーシの間者と通じていた事件で、全てが変わってしまいました」

 子息は国防機密などをハーシに横流ししていたというのだ。それだけならよかったのだが、ソフィアはハーシの血を引いている人間。当然、彼女にも疑いの目が向いていくことになる。

「私はまあ、当然関わっていませんし、証拠も勿論出てきませんでした」

「ですが、宮廷内の意見は一気に対ハーシ強硬派に染め上げられてしまった、と」

「ええ、そうです。後はトントン拍子で……。流石の義母も私を見捨てました」

 実のところ、この護衛は元老院での一部始終を見ていた。その中でソフィアに向けられた言葉は”混ざりもの”や”濁った血”などの婉曲な表現から、”売国奴”という直接的なものまで色とりどりであった。

 そして、彼は忘れはしない。僅かとはいえ、皇太子とテオドラの口角があがっていたことを。

「無論、多少は私を擁護してくれる方もいらっしゃいましたが、殆どは先の収賄事件の際に粛清されてしまいました。結果として……」

「北のケルソン修道院まで送られることになった、と」

 その顛末がこの馬車である。それは、無実の侯爵令嬢に用意された結末にしてはあまりにも寂しいものであった。

 さらに言うならば護衛の視点からすると、ソフィアはその生まれからしてどうしようもない流れにずっと左右され、一度も幸福というものを掴ませてもらえなかったように見えるのだ。

「……貴女は何か、いい記憶というものがありますか?」

 護衛は静かに尋ねる。せめて、一つくらいは美しいものが無ければ彼女も彼も救われない。

 それを聞いて、ソフィアは心底嬉しそうに先ほどの青いブローチを見せる。

「昔、未だ母が生きていた頃のことなのですけれども。波打つような金髪の男の子からいきなり告白されたんです」

「彼は何と?」

 ソフィアはくすくすと笑う。

「『俺と婚約してほしいんだぜ』、と。でも、彼はあまりにも細くて女の子みたいな顔していたから、思わず『もう少し男らしくなったら考えてやる』とか言っちゃったんです」

 かつての、未だ自分らしさというものが残っていた時期の甘くて苦い思い出。

「彼は、ああでも、きっとそれを聞いて寧ろ奮起したんじゃないでしょうか?」

「……まるで、本当にその場を見てきたように話すのですね。確かに、彼は暫く唖然としていましたが、突然かしこまって、この青いブローチを渡して言ったのです。『私の名前はキリエ、キリエ・マンダラネス。いずれ貴女を、例えいかなる絶望の淵に在ろうとも、必ずや迎えに来ます。それまでは、それを持っていてください』と。あまりにもロマンチックで、でも――」


 すっかり忘れてたけど、アレを初恋というのでしょうね。


――ああ、本当に良かった。

 

 護衛はソフィアにも見えるほどの満面の笑みを浮かべた。

「どうして笑うのです?」

「いや、本当にうれしくて。だって」

 そこまで言いかけて、馬車が突如として止まる。ソフィアがちらりと外を見ると、そこには鉈や斧を持った小汚い格好の集団がいた。

「……どうやら、私はここまでの様ですわ」

 皇太子からは当面貴族の抗争から遠ざけるために北の修道院に向かってもらうと言われたが、そんな見え透いた嘘はわかる。もとより適当なところで始末させる予定だったのだろう。

「貴方は逃げてください。こんな罪人に付き合って死ぬことは無いでしょう。……貴方も下手人と言うなら、そんなことは言いませんが」

 ソフィアは状況に諦めていた。いや、本音を言えば未だ納得のいかない部分はあるが、実際問題として今更どうこうなるものではないのが現実としてそこにあるのだ。

「いいや、こんな結末は私、いや俺が納得しない」

 にも拘らず、護衛は剣を取り帽子を外す。

「その、顔は――」

「言っただろ、絶望の淵に在ろうとも必ずや迎えに来る、と」

「待て、いや、待ちなさい!」

 ソフィアは護衛に追いすがる。

「昔、男らしいところを見せろとか言われたんだ。ならば、こんないい舞台はない」

 護衛はその金色の髪を風に棚引かせ馬車の外へと一人出ようとするが、ソフィアも鉄扇を出して彼の横に居並ぶ。

「貴方はまず、何よりも護衛です。なら、最期まで私の側にいなさい」

 キリエは困ったような表情を浮かべるが、僅かに邪魔はしないでほしいと静かに彼女に微笑みながら告げるだけであった。

 恐らく、ここで最期ということはソフィアはわかっていた。だが、それでも一気に世界が色付いたように思えた。


 歓声が、聞こえる。


 三年後、ルーム帝国とハーシ・シャー国は五度目の戦争に突入する。結果として、ルーム側は東部地域を大幅に割譲、これによって両国の国境が画定することになる。

――そして、さらに四年後。

 当時のルーム帝国皇帝レオーン三世が高等法院を中心とした法服貴族勢力によって廃され、代わって弟のコンスタンティノスが帝位につく。その後、レオーンと皇妃テオドラは離宮に幽閉され、程なくして天然痘で亡くなったという。


 当時の皇帝、レオーン三世の末路がはっきりしているのに対して、彼の元婚約者でしかなかったソフィアの行方は杳として知れない。

 ただ、現在に至るまで帝国各地において青いブローチをつけた聖女とそれを護衛する金髪の騎士の伝説が残されている。


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[良い点] 初恋と再会し、共に死地へと赴くソフィアとキリエの姿。 [気になる点] 悲恋というキーワードに違和感。 このラストシーンだと、はっきりとは描写されていなくとも主役の2人が無事生き延びた、完全…
[良い点] 約束を守る騎士さま。 [気になる点] |元皇妃たるソフィア ソフィアが皇太子と婚姻を挙げたという記述はなかったように思いますが。(挙げていても『元皇太子妃』ではないかと思います)
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