09 語らう人々
ようやく目隠を外され、トラックから降ろされた時、そこは一面灰色の巨大な車庫だった。壁には網目模様が所せしと描かれ、一体どこからここに入ってきたのか全く分からなかった。ありさはまごついた。
「やった……あいつを倒した……」
留美子は上気した顔を浮かべ、一人でありさと織香から離れる。
大きい車庫でありながら、少女たちの寮へつながる扉はごく小さく、目立たない。他の部署の社員に見つからないように、情報統制を徹底させているのだろう。
途中の道では偽りの星空が地平線にまで広がり美しさを誇っている。嫌でも自分の美しさを見せつけるかのように。この場所が、異常な空間などではないと張通すかのように。
ホールの隅には綺麗な植物が華を咲かせている。
「私は思いきりみーくんを可愛がらなきゃいけないから」
織香はそっけない口で告げ、素早く離れる。
ありさは部屋に帰った。その時ですら、自分がどういう経路を通ったのかまるで思出せなかった。
突然、呼鈴の電子音が鳴り、面倒くさい表情で扉の方に走る。
ボタンを押して通話できるようにすると、
「もしもし……?」
栞の声。
「ねえ、ありさ、私の部屋に来ない?」
栞が異様に曲がった唇で誘うように。
「……なんで?」
「私ね、ありさが生きていてくれて本当に嬉しいの」
栞の口調はまるでたどたどしい。
「もしありさが死んでたら、私どうなってたか……」
自分が必殺技を使って窮地を切抜けたことは、当然言わない。
複雑な気持だった。そもそもなぜ栞がこれほどまでにありさのことを想いやってくれるのか?
「栞って、そんなに私のことが好き?」
ありさは若干苛立った。もう眠ってしまいたい、誰ともしゃべって痛くないのに、なぜこんな不気味な告白を聴かされなきゃ。
「何言ってるの。私はみんなを自分の部屋に招いて夜通し語らってるのよ。体を組合わせながらね……」
気持悪さを隠そうともしない口調。
織香先輩があの男の子のぬいぐるみを日々愛撫しているのと劣らず、異様な趣味だ。なぜここには異常な奴しかいないんだろう。
「ねえ……私を入れてよ。入れてくれないの?」
ありさには、自分がここまで全く覚えがなかった。
ありさが困惑、反発から黙っていると、栞は勝手に泣きじゃくる。
「ひどいよ? 私が折角ありさのことを想いやってあげてるのに……こんなにその瞬間を軽くするなんて?」
「何か話すのなら、明日にしてよ」
うきうき栞。
「明日? 明日になったら私とやってくれるんだね!?」
ありさの事情など全く我不関、期待してくる。
「分かった、分かったよ」
ありさが嫌な気分を隠そうともせずに答えると、栞が勝手に喜びだす。
「ふふ……やった! 私、ありさと顔を合わせてしゃべれるんだ!」
「うん。でも少しだけだよ」
ありさはそろそろ怒りそうな顔になっていたが、声だけはごまかしきった。
「ははーっ! 良かった……良かった……」
「じゃあ、私はもう寝るから」
ボタンを押す直前、栞の悲鳴めいた叫びが聞こえた気がしたが、もうありさの我慢はもたなかった。
……そうか。みんな不安だ。不安だから……埋め合わせてくれる人が、いる。
――それが奴らの限界なんだよ。奴らは何か強い力を持ってるように見えて、内心はあまりにも弱い。
またもや、『それ』が口を開く。なぜか存在した。
「私だって、弱い」
ありさには『それ』がいるものだとは思えなかった。いると言うより、理由の分からない存在(Il y a)だった。
イリヤは、戦慄するありさに対して何の容赦もなく語った。
――ここでは誰も守ってくれない。普通の人間なら守ってくれる奴がいるがここにはお前を監視する奴しかいない。事あらば消そうとするな。
「知ってるよ。私は誰からも愛されてない」
――ああ。実に気持ち悪い愛され方だよ。
イリヤの言葉は率直に事実を述べている。ありさは別に嫌だとも思わなかった。それが、どこまで行っても事実でしかないのだから。だがもはやこれ以上イリヤとの下らない会話に付合う気分ではなかった。
「私はもう、寝る……。悩んだってどうにもならないんだから」
イリヤからの返答はない。もう一人の自分はすでに寝ついてしまったようだ。
さすが、肉体を支配していない時点では自我を長く保ってはいられない。
「それに、今日見たことすら、今の私の心を慰めてはくれないんだから」
腹が減っている。酒保で何か買う(一応、この地下空間だけで通用する擬似通貨が存在するのだ)という手段もあったが、あまりにぐったりした、不機嫌な気分のせいでまともに食欲がない。
ありさはベッドに飛びつき、そのまま繊維の上でぐっすり眠ってしまった。
◇
「菅ありさ、ねえ……」
椅子に深く腰掛け、ありさの初変身の映像を眺めながらその名をつぶやく。
その日、すでにこれで三回目の再生だった。だが、彼女にとっては観るたびに新たな発見があり、飽きないのだ。
「信頼しているわよ……ふふっ……」
だがもう一人いる。白川龍光が後ろで立ち、極めて退屈な顔。
「異様だな。あの娘は我々の教育になぞまず、精神的にも未熟……まるで欠陥品だというのに?」
白川龍光の声は叱責を内包するかのように、実にいかめしい。
「何を言ってるの。あの子は魔法少女という力だけじゃなくて、超能力も持ってるんだから」
「報告書によれば精神的に不安定な状態でのポルターガイスト、サイコキネシスと言った事例があるそうだな?」
ポルターガイストについては実際に目の前で経験した。ありさを追詰めてみた時、部屋の中を突如圧した強風。恐らくは、ありさの精神力が未熟なために力を意図しない所で放出してしまうのだ。
「ええ。何でもそれが原因で学校ではいじめを受けてたみたいね」
『人の不幸は蜜の味』ではないが、その薄幸も芹奈には受けた。何しろこのままでは誰からも見放され、野垂死ぬはずの人間を彼女は救ってやったのだ。これは一体何の物語なのだろう。
芹奈はこれほどの『貴種』を見つけた自分にも興奮する。
ありさの力を他の魔法少女に導入すればどれほど進歩するか分からない。これほどまでに可能性を秘めた改造人間は恐らく初めてなのではないか。
「ばけつの水が黒く濁っただの、な。少なくとも人間ではない、とのことだ」
龍光の言葉は実につまらなく、そっけない。
「あれは、異界との関係は特にないのではないか?」
「へえ?」 芹奈はあきれてしまった。
「超能力などこの地球にはいくらでもある。ましてや自分の不安定な精神で周囲の物質に影響を与えるなどありふれた現象ではないか」
「あーもう龍光! あなたには夢がないわよ」
母子ほど年齢が離れているにも関わらず、芹奈はまるで彼氏に接する態度で返事。
「私はねえ、魔法少女を通して夢を叶えるのよ!」
立上がって、顔を近づけ詰寄る。
「人間を改造した軍事兵器で夢を叶えるとは見当違いだな!」
肩をすくめる芹奈。
「だから、彼女たちにも私の夢を分与えているって言ったじゃない?」
龍光は芹奈のこういう所があまり好きではない。これほどまでに進めるものは一体何なのか。どう考えても人間として常軌を逸している。
では白川龍光自身はどうなのか。問うまでもなく、この進藤化学工業によって世界を支配することにある。
「では私はもう寝る。貴様も早く寝たらどうだ?」
「嫌よ~。私はまだありさの活躍にほれこむのよ」
「理解のできん奴だ」
白川龍光は別の挨拶もしないで、ごく静かに部屋を去った。
「菅ありさ……あなたには、私の期待の八割がかかってるのよ……」
龍光がいなくなった後で、芹奈は一人、誰も聞かない言葉。
「だからもっとがんばりなさいよね、織香……」