18 激辛と欲望
魔法少女たちには時折地上に出て休暇を取ることが義務づけられていた。さすがに練兵所に籠りっぱなしでは精神的におかしくなってしまうだろうし、時には休暇も必要だというわけで。無論脱走させるわけにはいかないから、二人でないといけないし、GPSでその動きは常に目をつけられているのだが。
弥良が言う「魔法少女は疑い合う仲」とは、まさにこれなのだろうか。
ありさは、織香にそれを誘われた時、非常に意外な気がした。もう、織香は自分に口を利いてくれないだろうとばかり思っていたから。
裏があるに違いない、と。素直に喜ぶことができない。このタイミングに、私と何かを話したいなんて。
いつものことながら、本社から出るときにはどんな道を通るのか、といったことは秘せられていた。もはやそれにも慣れて、飽きてしまっていたが、やはり情報漏洩を異様に危惧する会社への不信感は残る。
空があまりに高く、建物が地平にまで続いているという光景。以前はごく当然のものとばかり思っていたのに、今では逆に果てしなくて不安感に見舞われる。確かに、自分が暮らしていた場所からそう遠くはない。しかし、全てが以前とはあまりに違った物に見える。まるで外見が同じだけの、全く違う世界に迷い込んでしまったかのような。
「どうしたの? 明るい顔じゃないみたいだけど」
「……いえ!」
織香に尋ねられ、一気に顔がこわばる。どういう顔をして答えればいいか分からず、視線を背けてしまう。
二人は歩いていた。見覚えのある光景ではあるが、しかし何か現実味がない。今すぐにでもこの目の前が崩れてはしまわないかと不安に。あの地下世を見慣れてしまった後遺症。
あの頃は、全てが灰色がかって、くすんで見えた。今だって、明るい色で見えているわけではない。それでもまだ、あざやかに物を見ることができる。
視界の違いを気にする内に、そういやお姉ちゃんはどうしてるんだろう……と、ふと思った。ふと、だ。もはやそれを知ろうとも思わない。それがまた、ありさの心筋を寒からしめるのだが。
「何? 私が怖ろしく見える?」
織香の心。ありさは、もう私に親しみを感じてくれることはないのだろう。
ありさのあきらめ。私は、もう織香さんにどう接すれば分からない。下手に何かしゃべれば、どんな行違いへと降ってしまうか知れたものじゃない。
二人はラーメン店の屋台で食べることにした。金は練兵所で使う擬似通貨を換算したものだ。最近ありさは質素な食事しか摂っていなかったから、たんまりお金を使おうと思った。
味は醤油。姉と一緒に居た時はカップめんしか食べてなかったような気がするが、さておく。
まず黒胡椒を少々、それからたっぷりと唐辛子をかけた。あの地下牢で舐切った辛酸を何とか絞りださなきゃいけない。酢豚に麺をからみつけて食べる。唐辛子の刃が刺さる。これだけでもきつい味だが、それでもとばかりラー油を数滴垂らす。怖いもの見たさで。
「私、見ちゃったんです」
ありさは、すでに汗をかき始めていた。
「何を?」
「私の……仲間が、人を殺す所」
あの時のことを気兼なく話せるのは、この人だけ。
もう少し詳しい説明を加えようか……と悩んでいた所、
「そうか」 織香は、さして気にやんでもいない様子だった。
「ありさ、やっぱり優しいのね。そんなこと、私に言うくらいだなんて」
若干人の悪い笑み。
「とっても純粋よ。純粋だから騙される」
冗談ではなかった。織香はある程度、本気でありさをなじっていた。まあ自嘲でもあるのだろう。
「私も人を殺すのをためらったことがある。誰だって人は殺したくない」
喉が熱い。ハンカチでふかなきゃ。涙が顔へこぼれていた。もしかしたら本気の涙かもしれないが。
「例えば、どんな時」
ありさはその顔を凝視しないよう、水を飲みながら。
「魔法少女、もとい改造人間が色んな企業で開発されてるのは知ってるでしょ?」
「だから、企業同士の破壊工作が行われている。その作戦にありさも参加した」
教科書では、異界生物技術を初めに手にしたのは進藤化学工業で、その後で他の企業も異界に手に入れ、独自に改造人間を養成し始めたのだという。
だとすれば世界中が異界に侵入し、異界生物を召喚し、その遺伝子を少女たちに注射しているわけだ。この時点でいてもたってもいられない話なわけだが。
「私は魔法少女として他の企業への潜入何度もやっていた。その度に誰かを殺さなきゃいけない機会にも遭遇してきた」
「他社の改造人間を?」
「ええ。当然ながらこっちにも犠牲者が出た。私と同年齢の魔法少女はもう数人しか生き残ってない。いるとすれば……」
戦争だな。もはや、戦争と何ら違いがない。
「留美子さんも異界生物に仲間を殺された、と聞いたんですけど」
「多分あれも、敵対的な会社の追手だったんでしょうね。異界生物を飼慣らす技術なんて我が社ではいまだに発展していないもの」
違う、私が話したいのはこんなことじゃない。魔法少女をめぐる世の中の動きなんかじゃない。それよりも大事な、私たちの内面の乱れを。
ありさは急いで、麺を口一杯にかきこんだ。次いで汁を杓子で何度もすくい、懸命に食終わろうと。ラー油がどうやら想像以上に多くかけていたらしく、体内がしびれる。しかしそれは問題ではない。
織香はさして汗も、涙も流してはいない外見だった。
一番言いたいことを告げる。
「私……こんな世界にもういたくない」
「織香さんも抜出したいんですよね?」
「はあ!?」 急に織香さんが不機嫌そうに。
「あんた、今日は晴れの日よ? 私にそう不安な言葉なんて利かないでくれる!?」
数人の視線が、こちらへと。
しまったと、不意に口を覆うありさ。
今、彼らは無知な俗人たちの間にいるのだ。そこで機密をしゃべること自体は問題ではない。この内輪の性質を持込のが問題なのだ。それで万一興味を持たれたらたまったものではない。
「ねえ、ありさ」
織香の言葉は、一種の策略だった。あえて普通の女の子を気どることで、周囲の印象を決定づける積。
一旦これが真実だと明かしてしまえば、大衆は興味など持たなくなる。
事実例の男の子をかばんから取りだし、首をかしげつつ織香は叫ぶ。
「私はみーくんと一緒に来たの。みーくんにせっかく」
「ほらほら、汁を飲みましょうね~」 この時ばかり、織香は猫をかぶる。
変に真面目なありさにはまねのできない芸当だ。おまけに、免許証も取りだしてきて、
「私はね、十八歳なのよ。だからお酒も飲もうかと思って」
その免許証は、確かに偽物などではなく、正式に役場に届けられているものだ。
魔法少女の身元が進藤化学工業に拘束されているという事実は警察やマスコミの疑惑を引きかねない。それを隠しとおす社会制度の不備を突いているらしいが、あまり詳しい理由などは訊く気になれなかった。
「ありさ、あなたにもきっと誰かを殺めなきゃいけない時が来るわ。たとえ自分が優しい存在だと思いこんでても」
本当なら、ここで机をばんと叩きたかった。所が、すでに織香が自分たちを危険な存在であると宣言した後である。今また騒ぎを起こせば誰かの関心を引きかねない。汗をかきすぎて、ハンカチが足りないせいもあるのだが。
「あの、替玉ください!」
と、顔を背けて高らかに叫ぶ。やはり、人殺しなんてものはこの人にとってささいな問題なんだ。
私と出会う前に、一体どれほどの人間を手にかけてきたのだろう……。
◇
暗闇の歩道の中で、二人はさびしげな街灯に照らされていた。虫が表面の光にたかっていた。
ありさはどんどん暗い気分になった。まただ。また、私は踏みだせないせいで無駄に日々を費やそうとしている。ほとんど人の声は聞こえない。織香はありさに自分から口を利こうとはしなかった。多分、ありさにそう多くのことを言いたいわけではないのかもしれない。
だからこそ、ありさは覚悟を決めて告げた。
「私、栞や弥良と話し合って疑ってることがあるんです」
「……何を」
自分自身に恥じらいを覚えながら、告白しようと。
「あの井尻姉妹が……織香さんを狙ってるんじゃないかって」
「ようやく、あなたもそれに気づいたんだ」
織香は、笑った。しかし目は笑っていなかった。
ややぎこちない動きで近づき、ありさの両肩に手。
「私は知ってる。あいつらが殺しに来ることを。でも大丈夫……」
顔は笑ってた。でも目は笑ってなかった。
「私は、反抗するのよ。この運命に。あなたに『人を殺めるときが来る』って言ったのもそのため……」
「……なんでなんですか?」
「私たち……やっぱり、自分を乗越えて進むしかない」
どうしてこの展開を迎えてしまうのだろう。もっと、いい展開があるはずではなかったのか。
より良い世界がどこかにあるはずと信じたかった。でも実際にあるのは、どこまでも地獄で。
「あなたがやっぱり私を恃んでいるのは分かった。そして私があなたを恃みたがってるってことも……でも、それに甘えてはいけない」
ありさは、もう何も言えなかった。この織香さんは、私のことなんて目に見えていない。
「敵を殺しなさい。あの時それができなかったありさみたいじゃなくて」
織香のまなざしに、ありさは背筋が凍りついた。
「私はこんな地下牢で豚みたいに囚われているつもりはない。この世界を私が壊す。壊して突き破る」
喧嘩にでも出かけるかのように、先を進んでいく。