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15 決意、けれど当惑

 ずっと、こんなことには耐えられなかった。

 闘って死ぬことに恐怖はない。だが生きること自体が恐怖なのだ。

 異界生物の本能に呑みこまれるのはいつなのだろう。今はまだ人間としての理性を保っていられるとしても。


 織香は進藤化学工業の本社――すなわち地上部分の、大会議室の一室に座っていた。本社の外見はその資本の豊かさのために、大きく勇壮だが、内装はかなり落着いていて質素。その側に白川龍光。

「お前が協力してくれるとは思わなかったよ、坂本織香」

「そう、ですか」

 織香は笑いもしなかった。こんな感情を著さない鉄仮面に賞賛されたところで気持悪さ、いや恐怖しか感じないのに。

「お前は今生きてる魔法少女の中でも歴戦の強者だ。そんなお前がまさか芹奈を裏切るとはな。進藤化学工業に忠誠を捧げようと決心したのか?」

 ますます織香は薄ら寒い気分になった。

 龍光の顔はもやっとするほどにたにたしていて、すぐにも背けたくなる。

「別にそんな崇高な目的じゃない。ただの私怨ですよ」

「私怨か! それもまたよし!」 低く笑う龍光。心の底から笑っている。


 どこまでも、この男は人を作色いらだたせる。


「魔法少女は人間ではないのだから、動機もまた人間らしくない」

 白川龍光はからかった。このからかいというのが、やに下がっていて実に気分が悪い。むしろ罵倒された方がせいせいするくらいだ。

「白川龍光」

 その声を聴くや、二人は一瞬で黙った。

 進藤化学工業の現社長、進藤貞之。まだ顔色には若さが残り、やや白い肌。

「そこの女に隙を見せるなよ。何をされるか分からんからな。魔法少女だからな、人間ではない」

 社長。肩書を見れば、確かに重々しく、恐ろしさを携えた立場。何より、魔法少女を開発した企業の、ときている。その地位を誰が軽んじえようか。


 進藤貞之は若干かすれた声で、二人から少し距離をとって立っている。はっきり、織香に怯えている。社長ですら、魔法少女という化物に後ろめたさを抱いているのだ。

 無論、彼自身が魔法少女を虚空から創造したわけではないのだから。それでも、この会社の歴史の『今』の先端を走る存在であることは確か。

「織香……お前が、龍光と協力して芹奈を拘束しなければこの計画は成功しなかった。礼を言う」

 貞之はまるで感情の読取れない、淡泊な声で話す。きっとこれも親と社員によって練上げられた話し方。

「お前は何か望んでいる物はあるか? 魔法少女だ、こちらとしてもできる限りの努力はする」

 織香は返答に困った。元から直接話した経験もないのだし、しかも相手は社長だ。

「私は、これからどうすればいいのですか?」

「どうすれば、だと?」

「確かに私は松阪芹奈の独断専行を許すわけにはいきませんでした。故に龍光様の計画に従ったのですが……それから、何をすればよいか全く見当がつきません」

 こんなことを言うのが十分すぎるくらい恥辱であるのは知っている。

「……私は結局、魔法少女としての運命を避けることはできない」

「当然だ。お前は魔法少女なんだからな」 龍光の後押。

 最初から救いの道など存在しないと知っていた。異界生物として魔法少女として死ぬことしかできない。

 織香は頭を抱えたくなった。しかし、この二人の前では、それすら許されないのだ。

「何を言うか。お前はそのまま魔法少女練兵所の元に戻っていけばいいのだ」

 返事しなかった。できなかったのだ。死にたいわけではない、だがもはやこれ以上魔法少女として生きることもできない。それなのにまたあの地下牢に戻るとは……!

「お前は慕う人間は数多いのだから」

「社長殿のおっしゃる通りだ。お前は彼女たちの世話をしろ。ただそこから松阪芹奈の姿が消えるだけのことなんだからな」

 舌打せずにはいられない。男とは、何と人の忍耐をすり減らす生物なのだろう。

「魔法練兵所は進藤社長の管轄下となる。無論私がそこに大きく関わるのは変わらん。だがこれからは私がより自由に権力を揮うことができる」

 権力とかいう言葉すら今では激しい吐き気を催す。


「自由、か。お前に自由なんていらない! 自由とは無縁の生き方がお前にとってふさわしい生き方なんだ」

 龍光は立ち上がり、やや大きめの声で織香を見下ろす。

「まだお前は自由にこだわる人生を送りたいのか? 考え直せ。お前はそこまで自由にあこがれていたわけではないはずだ。今すら」

「自由を求めれば破滅する。自由でなければ死ぬまで葛藤する。それが魔法少女だ。お前は」

 織香は太腿に手のひらを載せたまま、硬直した。


 やはり、自分に課せられた運命を受諾うけいれるのに十七という年齢は若すぎるらしい。何より積年の恨みを晴らす手段もなく過ごしてきたのだ。感情が爆発したらどんな化物になるか分かったものではない。

 龍光はどこか哀れむような細い目で考えにふける。

 龍光自身、この立場に昇りつめるにはさんざん苦労してきたのだから。


「異界生物に理性を食いつくされるまでは思う存分懊悩するがいい。それがお前の仕事なのだからな」

 織香はほとんど無言で龍光の言葉を聴いていた

「で、どうするつもりです。まさかただで奴らの元に返すわけではありますまい」


「ああ。何たって芹奈の姪だからな……奴と何か和解でもされたら困る」

 血の関係に今、固執するとでもいうのか。龍光はおかしくなった。進藤誠から命がけで地位を奪ったくせに。

「その心配は無用です。彼女の憎悪はこの数年間で解消できないほどに膨れあがった。それとも……今更、父上に贖罪でもしようとの心積ですか?」


 貞之の脳裏、蘇る瞬間。

 閉鎖された研究室の中、異界への穴にその体を押しこめた瞬間。

 穴が消失した時、もはやその遺骸すら消滅していた。

 あれは不幸な事故だった。誰にも悪気などなかった。一線を越えないために、歴史の流れを調整してやったに過ぎない。


「違う。ただ、全てがうまく運んでいることに慢心しないかどうか心配しているだけだ」

 進藤貞之に、過去に対する後悔や自分に罰が下るのではという危惧などない。だが、自分の立場をよく考えてみて、偶に不安に駆られることがある。

 貞之にとって龍光は師父とも呼ぶべき存在だった。彼が裏切るなど決して考え付かない。

 それ故に貞之は龍光の助言をずっと聴き入れた。この、芹奈捕縛の時ですらも。

 まさしく、龍光こそが影の社長と呼んでもよい。


 自分の宿命に戦慄しながらも、織香は社長のどこか不安な態度が腑に落ちない。

「修羅場をくぐり抜けた彼女も、やはり温情には負けると見えるね」

 井尻詩鐘(十六歳)の声。

「多分、機械になってしまいたくないというエゴのためよ。だから魔法少女として栄達しても、人間としては煩悩に満ちている」

 是夏(十七歳)がそれに応えて。

 進藤貞之は待っていたかのように二人に命じる。

「是夏、詩鐘、こいつを監視しろ。直接危害を加えるようなことはするなよ」

「了解」

 姉妹が織香の両側に並ぶ。

 織香は不服な顔を浮かべながら二人についていき、部屋を出ていく。

「魔法少女同士が手を組むことがあってはならん……」

 威圧感の奥底、恐怖がほの見える。

「社長、あなたは父上から魔法少女の育成事業を一手ひとてに引継いだのです。今さら思悩むことはない。十分正しいことをしている」

 龍光はいつもそうだ。社長を勇気づけるような言葉しか言わない。嫌になるほど、素の気持をさらそうとしないのだ。

「この選択が正しいことは必ず歴史が証明してくれるはずだ。期待していますよ、社長」


 龍光という男もやはり不思議なことが多い。進藤化学工業を進藤誠とともに打立てた人間であることに変わりはないが、生立おいたちについてはまるで聴いたことがない。彼自身、決してそういう謎に答えようとはしなかった。

 時として、人間離れした狡猾さを感じることがある。その狡猾さがなければ進藤化学工業が今までに存続してきたわけがないのだが。何しろ、この会社が設立された時からの古参だ。

 あまりにも恵まれた人材に囲まれてきたものだ、と時たま恐ろしくなることがある。時としてその恵まれた環境に異様な恐怖を感じる。だからこそ、この恵まれた者たちをこの手に繋ぎ留めなければならない。

 この地位、決して揺るがせはしない。魔法少女計画がどんな結果を迎えようと、この地位は死守して見せる。

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