14 変転と緊張
『速報:重大告知あり。中央広場に集合』
疲労で寝込んでいたありさは甲高い電子音でなかばたたき起こされた。
淡く光る掲示板には、ただそれだけ書かれ、詳しい内容は微塵も。
ありさはその表示を視るなり、すぐさま外に出て廊下を走った。何が起きたか知るために。それ以上に誰かに言い散らさずにはいないことがたくさんあったからだが。
「栞!」
すでに人だかりができていた。空にはまるで、デスクトップ上のウィンドウみたいに、白い表示が出て何やら難しい文章が並んでいる。
姿を見つけるなり、声をかける。
「栞、まさかあなた人を――」
「何言ってるの?」
栞はありさの血走った目に困惑していた。
ありさにしても、その先の言葉を教えてくれないからすっかり栞は返答に困ってしまう。
「何か気が立ってる、ありさ」
留美子が怪訝そうな視線。
「それから、織香さんは?」
「あのね、今はそれどころじゃないんだけど!」 弥良があきれる。
だがありさにとっては織香の気配がさっぱり見えないことの方が重大だった。ありさはこの悩みをまず織香に伝えようとしていた。
何となくありさがいる所に織香もいるはずだ――という期待がありさには募っていたのである。
「上の表示を見なさい。芹奈様が会社の方針に衝突したせいで、上層部に連去られたんだって!」
そんなこと、どうでもいい――とありさはさすがに言えなかった。
「何でも異界生物の実験をあまりに危険な領域に導いたせいで脱出って、ちょっと、ありさ!」
もうありさは彼らの目の前から消えている。
弥良はますます腹が立った。魔法少女でありながら自分の意見も堂々と言えないのか。これはもうそろそろ当局に通報した方が良い。だが、それもしきれない事情、目の前。
織香の部屋に行っても、全く扉に開く気配がなかった。再びありさは道を曲がる。
なぜ、栞は人を殺せたんだ。何度思い出しても、やはり幻滅を感じずにはいない。。
練兵所中を歩回り、その姿を探そうとする。図書館とか、映画館とか、様々な施設が並ぶフロアを走り抜けて、どこかに織香がいるはずだと、人の姿を見つけようとした。
だが背後から迫力のある、透通った声で呼び留められた。
「今は非常事態なのよ。不審な行動は慎みなさい」
ありさは足を止めてその方向を向く。
そろって背の高い、二人の少女が歩いてきた。
「だ、誰?」
この地下世界が広いといっても、知らない子が出るほど魔法少女たちの数が多いわけではない。名前は知らなくても、顔だけは知っている人間が遥かに多いはずなのだ。
だがこの、やや年上とは言え、異様に大人びた冷徹な目は、織香以外にそうそういない。ありさは、彼女たちがここの魔法少女ではないと即座に即座に悟った。
「井尻是夏。こっちは井尻詩鐘。あなたたちと違って、社長の指導の下でずっと育てられてきた魔法少女なの」
社長の指導の元に、という言葉に目を丸くする。
今まで異界研究部門内部でしか、魔法少女は育成されていなかったのでは。だが、ここにいる二人は全くの部外者なのだ。
「社長の元で? じゃあ……」
「当然よ。あなたたち異界研究部門に勝手に力をつけられたらそりゃ不都合だから、ずっと社長様が独自に魔法少女を育成していたわけ」
情報量があまりにも多く、ありさは一瞬で理解しきれなかった。
「魔法少女の存在は他の部門では極秘では?」
「もちろん。私たちの存在も」
姉の方がわけもなく得意げに話す。
「あなたたちの主任である松阪芹奈は今拘禁中なの。何しろ魔法少女の開発をあまりに独断で計画を進めたからちょっとこの部門から外れることになったの」
「何、それ?」
そこに弥良が駆けつけてきた。弥良はすかさず是夏の前、胸を張って、
「一体芹奈さまに何があったの!? 龍光さまは?」
「その龍光様が芹奈様を訴えたのよ。これまではずっと芹奈様の方針に従っていた。けれどこれ以上その笠下にはおれないということでね」
「あなたたちには今まで通りの生活を送ってもらう。ただし、進藤社長の直轄下でね。だから方針は色々と違う所もあるかも」
激高する弥良。
「異界生物の知識について知らない人が担当するっての? そんなの信用できる!?」
すると妹、詩鐘の方が弁解。
「異界生物は十分研究が進んでる。勝手に暴れ出すなんてことはない」
「けど、異界の穴が暴走して人間を飲みこんだ事件を知ってる?」
「だから、そういう危険なものには触れないわよ。裁判の手続も経なくちゃいけないし」
三人の顔がどんどん険悪に。
その時でも、ありさは無論芹奈の行方が気になって仕方なかった。人が死んだ事実に対する憤も。だが同じほど、織香の気配がまるでしないことに不審な感情。
「そのまま芹奈様が上層部に囚われるんだったら、私が無理やりにでも助けに行く!」
弥良は激情のままに叫んだ。弥良にとって芹奈が死にそうな所を拾ってもらった、命の恩人なのだ。社長とどんな不和があったか知らないが、異界研究部門の恩義には絶対報いなければいけない。
「へえ、どうやって?」 妹、つまり詩鐘の方が煽るように問う。
何のためらいもなく、板から注射針を起こす。無論、薬品など入っていないが。
「魔法少女の力、か。なるほどね、この練兵所内で」
「私たちは今は無力な女の子だけど、異界生物の遺伝子が目覚めたら本物の戦争になっちゃうかもね……」
不吉なことをさも面白そうにつぶやく詩鐘。
「でも、今日いきなり争うつもりはないよ。私たちはあくまであなたたちの反応を観るためにきたんだからね」
「とにかく、あなたたち魔法少女の活動は一端休止よ。所であなた――ありさって言うのね」
是夏が急な動きでありさの胸にかかるドッグタグをつかんだ。
「つい最近ここに連れてこられた子みたいだね、名簿を読むとあまり成績は良くないみたいだけど」
「まさか、ずっと練兵所のデータに密接してたっての?」
二人は何の疑問にも答えることなく、そそくさと歩去ってしまった。
「大変なことになったね」
栞がまるで他人事みたいに。だがありさにはそれ以上に問いただしたいことがあるのだ。
「大変なことって。それだけじゃない。織香さんが全然私たちの前に姿を現さない。部屋を叩いても返事がない」
「織香さん? もしかして頼りにしてるっても言うの?」
「え……」
弥良は肩をすくめて、あきれる。
「魔法少女はね、信じあう仲じゃないの。疑い合う仲」
わざわざ詳しく説明するまでもないと弥良は思っていた。
元から、仲を深める間ではない。任務を遂行するための協力者でしかない。
「そんなの、悲しすぎる」
「悲しすぎる? ありさ、一体何を言って……」
だが、ありさは途端に弥良の側を通り過ぎた。口げんかに持ちこもうともせず。
どうやら、私とありさとはどこまでも相容れないらしい。あの女をどう始末すればよいか。
「いや、ありさの言う通り、織香先輩のことを心配すべきだよ」
栞に対して言いたいことを思い出し、あまり嬉しくはなかった。
ありさは耐えきれなくなって、守春がいる部屋を無理矢理に叩いた。
「あの、守春さん!」
「あ、ありさ様ですか?」
インターホンからやや低い声。
「私にとっては魔法少女の皆様方をお守りすることこそが任務です。他のことは考えておりません」
「龍光様が関わっていると聞いたんですが」
「龍光は……私にとっても謎の深い人間です。一ヶ月に一回、通りかかるくらいですから……」
ありさがその男と直に接したのは、初めてここにやって来た時の、ただ一度しかない。多分会社の中枢に近い立場にいるから、直接魔法少女と対面する機会がほとんどないのかもしれなかった。
「あの人が芹奈様を密告したという可能性はありますが……」
ひっそりとした声で、栞。
「そんなこと言っちゃっていいんですか?」
「ここは異界生物研究部門の管轄下です。たとえ上の方に情報が渡ったとしても、そう簡単に捜査はされませんよ。この空間に干渉する権限は依然として私の方にありますので」
それを言うこと自体が、まさしく少女たちへの信頼の厚さの証拠。
「織香……やっぱりね」
芹奈はごく小さな個室の中、椅子の上に無力に座りこんでいた。
その扉、細長い格子。そこに、恨めしげな視線がのぞく。
「おばさんが私を陥た」
冷淡に答える姪。
「こうなるとずっと知ってたのよ。私は許されないことをしてきた。ただその報いが返ってきただけ」
「本当は全然、反省していないくせに」 織香の口調はなおも手厳しい。
「私はずっと申し訳ないって思ってたのよ。あなたが本当は魔法少女として生きるのを嫌がってたってこと」
織香が扉をばんばんと揺らす。
「じゃあ何で! 私に異界生物の遺伝子なんで組込んだ!」
「あなたにチャンスを与えようとしたらそれしかなかったからよ!」
織香は叫び、自分の腕元を見る。
「私にはこれしかできることがない。これ以外では私はただの無力な女に過ぎない!」
「無力だなんて」
織香にとって、芹奈は何でもあった。正義の味方でなければ。この女は、世界を破壊する力すら秘めている。
「でも……これがあるからこそ、私は何者かになれるのよ。だから私は、決してこの道を諦めるわけにはいかない」
その笑みは狂ってると思った。