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01 死ぬことだけが人生だ

 進藤化学工業しんどうかがくこうぎょうの開発した魔法少女技術をこれ以上秘密に保つのはもはや不可能だ。

 この宇宙ではない、物理法則の異なる次元から、生命体や、無機物に類すると思われる物質を引きだし、人類の利益のため利用する――言葉だけで言えば実に興味深く、美しい響ではある。

 だが、それがどれほど未知の危険性を冒した上で成立っている事業か。全員一致の賛美など、もとより期待しようもないというのに。


 すでに喧々諤々の議論が上層部の間では繰り広げられていた。

「異界生物部門の研究を辞めさせろ」

 主流ではないが、すでに大きな声となりつつある。曰く、異界によってこの地球が存在する

「異界に干渉することで起きる地球への影響はいまだに未解明なんだぞ! 危険すぎる」


 しかし、それを止めるわけにはいかない大義を、この異界研究に関与する連中は備えていたのである。

「これは、わが社の中だけで終わる問題じゃないんだぞ?」

『御仁』と呼ばれるほど、年季の入ったしわの豊かな顔を持った男は、後輩たちの懸念を弾き返した。

「進藤化学工業はすでに世界各国の軍需産業に多くの技術を提供している。もし我々が勝手に信用を失うことになり、収入も大いに下がる」

 白川しらかわ龍光たつみつ(八十七歳)はすでに「魔法少女の育成」「異界生物の兵器転用」などの研究で業績を残している大人物だ。彼が発言の準備をしだすと、さしもの若手も敬遠ゆえか、黙りこくってしまう。

「もし勝手に実験をやめれば世界中の権力者に我々の存在は密かにつぶされることになるだろう……何より他の企業に機密が漏洩してしまうだけでも生存があやうい。結局、呉越同舟と言うべきかも分からんな」

 対立する側にとっても、心穏やかにいられるわけはない。取り扱っている存在が存在なだけに、むやみに非難するわけにもいかない。しかも彼らは暴力装置すら所有しているのだから。

 異界研究部門は実際、社内でも極めて外部に情報をもらさない、秘密の多い部署なのだ。生命工学に基づいて人間生活の向上を目指す新進気鋭の企業、と謳いつつも、その裏の闇はあまりにも深くおぞましい。



 会議が終わった後で、二人の男女が同僚を引き連れて廊下にひしめく。

「あなたみたいに歳の行った人が保守的にもならずにこんな冒険を続けておられるなんて」

「いや、単なる知的好奇心だよ。人間は一度冒険にはまると、どんな危険な境地に陥っても容易に冒険をやめはしない」

 松阪まつざか芹奈せりなは異界研究部門の指導者。まだ二十九歳になったばかりだが、科学知識と栄達の野望には底知れない深みを持っている。

 何でも、昔はそれほど頭の回る、優れた人物でもなかったが、異界研究に関わるようになってからは見違えるように変わったとか。無論、それがいい意味か悪い意味か、決められそうにないが。

 床を踏む音が廊下にこだましては消えてゆく。誰も、その消える音に関心を払いもせずに。

「社会に貢献してるって気がするわ。何しろ魔法を発見して、人間が魔法を使えるようにしたのは、私たちのおかげなんですからね」


 進藤化学工業の軍事技術――それはこの二人の科学者の功績をなくしては存在しえない。考えていることが全く読めないとか、人格が破綻しているとか、その陰口は絶えないが、彼らはそれを聴いて傷つくどころか、ますます喜んで、自分の仕事に精を出すのだった。


 龍光は確信をもって答える。

「必ず悪用されるに違いないさ。いずれ魔法を本当に戦争に使うようになったら、犠牲を払うことになるだろう!」

 待っていたかのように、感心した声を挙げる芹奈。

「そうしてこそ魔法が人間の善意のために利用されるようになり、人類の文明が向上するのよ。私たちの存在意義は歴史が証明してくれる」

「人間とは、本当に愚かな存在だということができるだろうな!」

「そう、愚かな存在よ! 愚かだからこそ、賢い奴らを凌駕して他の動物の上に立つことができた!」

 親指を立てて笑顔を見せた。しかし龍光は笑わない。

「いや、お前たちがだ」

「へえ?」

 龍光はその発言の真意を明かそうともせず、一人で芹奈の先を進んで姿を消していく。

「まったく龍光さんったら、空気が読めない人ねえ……」

 芹奈はほくそ笑みつつ、自分の腕にはめこまれた四角い金属の板を凝視する。


 進藤化学工業は、まだそれほど名の知られた企業ではない。いや、元より知られてはならない企業だ。人類の未来のためにわが身を犠牲にする必要のある、才能にあふれた人間しか採用してはならない。


 そうでなければ、明日の飯にすら困る、失う物など何もない少女たちを。


 ◇


 かんありさはもはや限界に達していた。これ以上、姉と暮らしていたくなかった。もうずっと前に限界に達してはいたのだが、すんでの所で抑えていた。

「一体、いつになったら姉ちゃんは帰ってくるんだろう……」

 だからと言って帰ってきてほしいと望んでいるわけではない。逆? それも違う。

 ありさは、姉の帰着かえりを待ちわびることでしか無駄に長い時間を費やせない自分自身を恥じた。

 やまない雨。すでに昨日から何も食べていない。それも、コンビニで買ったような粗末なパンだけを。

 顔には隈ができている。もとより背も低くやせた姿だが、不衛生な暮らしのせいで実年齢よりさらに老けて見えた。

 両親の離婚。終わらない口論。まるで家の中が小さな戦争のようだった。今、姉妹は生きているのか死んでいるのか分からないような生活を送っている。


「死ぬことだけが人生だ」

 ありさはふと、つぶやいた。誰かが言った言葉ではない。ただ、不意に頭の中に降りてきて、ずっと忘れないまま残っている。


 ありさはその日も、同じ時間を経験した。いつだって同じ、最悪な時間。

「ごめん。今日も遅くて」

 まりさの顔は妹より少しは手は汚れていた。多分、ごみ袋をあさっていたのだろう。

 まりさはがんばって口角を挙げている。しかし、その裏にどんな記憶を隠しているかと思うと、ぞっとする。雀の涙ほどもない金を無心するために、まりさが汚い大人たちにしている不品行。

 その現実に戦慄した時、何とかして感謝する気すら起きないのだった。

「……今日も、何か悪い男たちしてあげたんでしょ?」

「な、なんでもないよ! 私はただバイトでちょっと稼いできて……」

「何なの、そのバイトっての?」

 部屋の照明が急に明滅し始め、部屋の中でありながら冷たい風がにじり寄る。

「言ったでしょ。私たちはみんなの支援でなんとか暮らしていけるのよ。もしみんなからの信頼を喪えば私たちは餓死するしかない」

「うん。確かに、私たちはとてもひどい環境にいる。そこから脱け出せやしない」

 本当は、姉のことをよく知っているわけではない。しかし、ありさは無知の方が心地良かった。


「こんな状況で生きていくなんてもう嫌だ! さっさと消えてしまいたい!」

 ありさは何の前触もなく、玄関から外に出た。何のあてもなかった。今の自分ではない別の誰かになりたくて。けれど何者にもなれない。

 もはや消えることでしか、ありさは逃道がなかったのだ。

「待ってよ! 私はまだ、ありさと――」

 ぶつりと言葉が絶えた時、少女は振返ってしまっていた。そして、見てしまった。姉の、もっとも忌まわしいその眼筋を。


「ああ、朽果てるがいいさ。お前の顔なんて見たくもない!」

 仁王立ちして、まりさが腕を組みつつ玄関から叫ぶ。外はもはや嵐だ。


 また、この表情か。ありさは恐怖する前に、もはやあきれてしまっていた。

 いつも優しい仮面の中に隠す、この獣みたいな本性こそがこいつの真の姿なんだ。

「さあ、消えろよ。消えないのか? なら私がお前を消してやる」

 叩きつけるような眼光がありさの心臓を刺激する。いや、本当に心臓を握りしめられていた。普通の人間ならできないことだが。

 ありさは本能で逃げた。どこに終わるとも知らず、暗闇の中を逃出した。

 なぜ、私は死なないんだろう。もうこれ以上、生きていたくもないのに。

 誰も、私たちを哀れんではくれないのに?


 そして、ありさはがちゃりとコンクリートの上に倒れこんだ。脚が、すりむけた。

 空はもはや、漆黒だ。このあまりに深い闇は、残酷すぎて、月の顔すら消去っている。

 息誰かが、その空をも覆った。

「見つけ出したぞ……!」

 今度は、何だよ。

 耳元でささやく言葉。

「新しい世界の到来のために求めていたんだよ……人類の進化のための鍵として」

 直後、男の体がありさに覆いかぶさった。ありさは、移動みうごきがとれなくなった。

 急に腹に激痛が走る。何か鋭い物が、体内に侵入して行ったかのように。

「まだ……死にたくない!」 ありさはその言葉を声にすることができたかどうか、もう判別できなかった。

 この世で最も悲惨な人生を送る女の、最も悲惨な瞬間だ。ありさは心の中で毒づいた。

 そして視界が狭まって、何もかもが彼女から遠ざかって。

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