学園一の美少女と俺は、一緒にぼっち飯を食べる仲
春の日差しが降り注ぐある日。
「あっ」
「えっ」
使われていないC校舎。
その屋上に続く扉の前になど、用がある生徒はいない。
だから気兼ねなくひとりで弁当を食べていたというのに……よりにもよっての人物が現れた。
腰まであるさらさらの黒髪ストレート。
面立ちはまるで人形のように整っていて、体のラインも流麗だ。
透けるような白い肌に、セーラー服がよく似合う。手足はすらっと長くて細かった。
俺のクラスメート、一年三組の一条巴さんだ。
成績優秀、スポーツ万能。さらにそれを鼻にかけず、誰にでも優しく接するという……『人生何週目?』と聞きたくなるくらいのハイスペック女子である。
おかげで周囲からの人気は絶大で、本名にあやかって『御前様』と呼ばれることもあるらしい。
一条さんはびっくりしたように目を丸くしている。
それはそうだろう。誰もいないはずの屋上階段で、ひとり弁当を食べている不審者がいたんだから。
いたたまれなくなって、俺は手早く弁当に蓋をする。
「ご、ごめん。誰かと待ち合わせかな。邪魔者は退散するね」
「えっ、えっと……」
「俺はもう行くからさ。どうぞ使ってよ」
弁当と、暇つぶし用のスマホを抱え、足早に階段を下りていく。
一条さんとすれ違った瞬間、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
これがいわゆる『女の子』の匂いってやつなのだろう。
あんまり嗅ぎすぎても悪いので、そこからは息を止めたまま階段を下りる。
(ひょっとして彼氏と待ち合わせかな……)
あの『御前様』の彼氏か……いったいどんな男だろう。
ちょっと顔を見たくはあったけれど、それはプライバシーの侵害だ。邪魔者はとっとと消えるに限る。
だが、あと三段で踊り場にたどり着く――その寸前。
「待って……!」
「へあっ」
背中に一条さんの声が突き刺さった。
驚いて振り返ってみれば、彼女は顔を真っ赤にして俺のことを見つめていた。
「えっと、その……私も」
もじもじと、後ろに回していた手を前にする。
その手にはピンク色のかわいらしい弁当包みがにぎられていた。
「たぶん、美袋くんと同じだと思う……」
「同じって……まさか」
自分の手にした弁当箱をおもわず見下ろしてしまう。
誰も来ない場所。弁当。ひとり。
ここから導き出される答えといえば――。
「一条さんも、ぼっち飯?」
こくん、と一条さんは小さくうなずいてみせた。
学園一の人気者がぼっち飯。
以前までの俺なら、なんの冗談だと鼻で笑い飛ばせたことだろう。
だが、あれから一条さんのことを観察していて納得した。
彼女は人気者ゆえに、『ぼっち飯を強いられている』のだと。
「一条さーん!」
ある日の休み時間。
教室で音楽を聴いていると、女子の声が耳についた。
思わずそっと音量を下げ、そちらを見やる。
一条さんの席は俺のふたつ前だ。ちょうど間の生徒がどこかに行っていたため、一条さんの後ろ姿がよく見える。
ぴんっと背筋を伸ばして椅子にかけるその姿は、まさに学園のアイドルにふさわしい風格が漂っていた。
そこにひとりの女子生徒が、パタパタと駆け寄っていく。
「昨日は部活の助っ人に来てくれてありがとうね! おかげで助かっちゃったよ!」
「うん。お役に立てたのならよかったわ」
「ほんっと、あんなにスポーツ万能なのに帰宅部なんて惜しいよー」
女子生徒はにこにこと一条さんに話しかける。
ぱっと見は、仲睦まじい光景だ。
しかし、すぐに廊下からの女子生徒を呼ぶ声があった。
「はーい、今行く! またね。一条さん!」
「……うん」
一条さんはぎこちなく女子生徒を見送る。
その一瞬だけ、彼女は寂しそうな横顔を見せるのだが――。
「あっ、一条さんひょっとしてシャンプー変えた!?」
「ほんとだー! いつもよりいい匂い!」
しかし、すぐに別の女子たちが声をかけてきて、一条さんの周りはパッと花が咲いたように明るくなる。
そうやって休み時間中、入れ替わり立ち替わり、一条さんを慕う客人が押し寄せた。
「っていう感じで、ぼっちなの?」
「うん……」
その後の昼休み。
観察結果を報告すると、俺の隣に腰掛けた一条さんは、しょんぼりと肩を落としてみせた。
使われていないC校舎、その屋上に続く扉の前だ。
あの日から、ここで一条さんとふたりで昼食を取るのが日課になっていた。
最初は会話もぎこちなかった俺たちだが、三日目ともなれば、ぼちぼち言葉を交わす余裕が生まれている。
あの一条さんがぼっち飯のスポットを探していたなんて、最初は信じられなかった。
だが一緒に過ごしたり、遠巻きに観察したりするうちに、その理由がうっすら見えてきた。
お弁当の卵焼きをもぐもぐしながら、一条さんはぽつぽつと喋る。
「みんな私と仲良くしてくれるんだけど、そこまで止まりっていうか……特別親しいお友達って、まだ誰もいないの」
「それはそれで辛そうだな……」
人気者ゆえの悩み、ってところだろうか。
単なるぼっちである俺より厳しいかもしれない。
周りに人がいて賑やかなときと、ひとりでいるときが交互に襲うのだ。落差で感じる寂しさはひとしおだろう。
「同じ中学からの友達とかは?」
「……私、この前引っ越してきたばっかりで」
「運がないなあ……」
弁当のかわりに複雑な思いをかみしめていると、一条さんが俺のことをじーっと見つめていることに気付く。
「な、なに?」
「美袋くんはどうしてぼっちなの?」
一条さんはこてっ、と小首をかしげてみせる。
さらさらの黒髪がふわりと揺れて、頰にかかって色っぽい。
しかし質問自体は残酷だった。一条さんは続ける。
「美袋くんは普通だし、話してると落ち着くし……お友達がいないのはなんで?」
「ストレートに抉ってくるなあ……」
「あっ、ご、ごめんなさい! 言いたくないなら聞かないけど……」
「別にいいよ。秘密にしとくようなことでもないしね」
しょんぼりする一条さんに、俺は苦笑を返す。
そう、一条さんに比べれば俺がぼっちの理由なんてきわめて簡単なものだ。
「俺もさ、こないだこっちに引っ越してきたばっかりなんだ。それで入学式の日に交通事故に遭って――」
幸いにして命に別状はなかったが、一ヶ月の入院を強いられた。
おかげで退院して学校に戻っても、まずは勉強に追いつくのに精一杯で、気付いたときにはすでに仲のいいグループが出来上がってしまっていた。
「今さらグループに入っていくのも勇気がいるからさ……もだもだしてるうちに、このザマなんだ」
「大変だったんだね……」
俺たちはこうして、ぼっち同士で弁当を食べる仲になった。
交流は、C校舎の屋上に続く扉の前。
昼休みの四十五分。
ただそれだけの限定的なものではあったが、俺たちはゆっくりと仲を深めていった。
春の陽気はいつしか照りつけるような日差しになっていて、衣替えも終わった。
空調がないと汗ばむほどの季節になっても、俺たちはぼっち飯同盟を続けている。
「えっ!? このお弁当って、いつも亮馬くんが作ってたの!?」
巴さんが目を丸くして、驚きの声を上げる。
おかげで俺は首をひねるのだ。
「えっ、今更?」
「いやだって、そんなの初めて聞いたし……」
巴さんはごにょごにょと言葉を濁し、購買のサンドイッチをぱくつく。
一方、俺は弁当だ。金平ごぼうとミートボール、卵焼きにプチトマト。白米の中央には梅干しが鎮座する、面白みのない取り合わせである。
隣から巴さんがその弁当を覗き込む。
最初のあの日に香った甘い匂いが、ふんわりと鼻腔をくすぐる。おかげで胸がどきんと高鳴った。
半袖のセーラー服から伸びる腕が、俺の肘に当たって、そこだけじっとりと汗ばみ始める。
だが、巴さんは自然体だ。
「すごいなあ。こんなにしっかりしたお弁当が作れるなんて」
「べ、別にそうでもないって……昨日の残りとかを詰めるだけだし」
照れ隠しに、梅干しを口へと運ぶ。
つーんとくる酸っぱさが、煩悩を薄れさせてくれた。
「中学の妹がいるって言ったっけ? あいつの分も合わせて作るんだ」
「二人分! ますます凄い――」
そこで俺たちの会話を遮るように、ピーーーっと電子音がなった。
「あっ、お茶入れるね」
「うん。ありがと、巴さん」
ポットを片手に、巴さんがテキパキとティーバッグを用意する。
屋上前のスペースは、最初は古い机が積み上げられて埃もひどかった。
だが俺と巴さんとで協力して少しずつ掃除をしたので、快適に過ごせるようになっていた。
おまけに古いポットやティーバッグ、漫画なんかも持ち込んで、今やちょっとした秘密基地だ。
先生たちもここには全く来ないらしく、バレる気配はない。
巴さんが淹れてくれたお茶を飲み、ふたりして息をつく。
「そろそろ熱いお茶は厳しいかなあ……」
「それじゃ、かき氷でもやる?」
「現実的なのは流しそうめんくらいじゃないかな」
「流しそうめんの方が無理じゃない?」
「いや、ほら。家電店に売ってるような小さい機械を持ち込めば――」
俺たちは、ああでもないこうでもないとくだらない話を続ける。
お互いに下の名前で呼び合いはじめたのがいつだったのか……今思い返しても、はっきりしない。
やがて、季節は本格的な夏になった。
「ようよう! 美袋くーん元気?」
「うおっ」
廊下を歩いていると、背後から肩を叩かれた。
完全な不意打ちだ。振り返ると、そこには隣のクラスの香月が立っていた。
一言で外見を言い表すならチャラ男。彼はにこにこと軽い笑顔を浮かべながら、俺の肩に腕を回す。
「今日も放課後、俺の家でバトルするぞ。嫌とは言わせねーからな!」
「おまえも好きだなあ……」
「つーか、お前に勝たないと気が済まないんだよ。あんな雑魚デッキで、なんで俺が負けるんだか……」
わざとらしい溜め息をついてみせる香月だった。
彼とはカードゲームショップで出会い、たまに遊ぶ仲になった。
俺は無事にぼっちを卒業していたのだ。まあ、クラスメイトとは、まだ誰とも友達になれていないけれど……。
「ところで美袋くん、昼飯まだ? 良けりゃ俺と食わね? デッキの相談しようぜ」
「あー……」
俺は言葉を濁す。
彼と昼飯を食べるのも楽しそうだけど――。
「悪い。約束があるんだ」
「ちぇーっ。おまえ、昼はいつもそうだよな」
香月とはそこで別れた。
そのまま俺はまっすぐC校舎へ足を向ける。目的地はもちろんあの場所で――。
「あっ、一条さーん!」
「っ……!」
曲がり角を曲がった先、巴と、彼女に声をかける女子生徒の姿が見えた。
おかげで俺は身を隠す。
なんとなくではあるのだが、俺と巴は昼休みのあの場所以外ではあまり話しかけないようにしていた。
そっと陰から彼女らの様子をうかがう。何故かは自分でもわからなかった。
「これから私たち、部室でご飯食べるんだ。一条さんも一緒にどう?」
「部室で?」
「そうそう! ここだけの話……流しそうめんをやるんだ!」
先月あたり、俺たちもそんなバカげた相談をした記憶がある。どうやらほかにも思いついた生徒たちがいるらしい。
女子生徒は巴の手をとって、にこにこと告げる。
「きっと楽しいよ! 一条さんならみんな大歓迎だからさ!」
「……ごめんなさい」
しかし、巴はゆるゆるとかぶりを振る。
「お昼は約束があるの」
「そうなの? むーん……じゃあ仕方ないなあ」
女子生徒は眉をひそめるが、すぐに屈託のない笑顔をうかべてみせた。
「それじゃ次は来てよね、一条さん!」
「うん。またね」
去っていく女子生徒に手を振る巴。
そんな彼女を見て、俺はふと思いつくことがあった。
シンプルにぼっちの俺と違い、巴は学校の人気者だ。
仮に友達がひとりもいなくたって……そう毎日、昼休みに誘いがないのは考えられない。
もしかすると巴はずっと、他の誘いを断って、あの場所に来てくれていたのかもしれない。
女子生徒の姿が見えなくなって、巴はゆっくりC校舎に向けて歩き出す。
その後ろ姿に、俺はたまらず声をかけた。
「巴!」
「あっ……亮馬くん」
振り返った巴は目を丸くする。
少しして、その頰が薄い紅色に染まった。先ほどの会話を聞かれたことを悟ったのだろう。
俺たちはしばし互いに黙り込む。言いたいことはたくさんあった。
だが、気の利いた言葉が何も浮かばなくて――。
「俺たちも……流しそうめん、する?」
「……うん!」
俺が苦し紛れに吐いた一言に、巴は向日葵のように笑った。
お読みいただけてありがとうございました。