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一章 因果

やっと主人公が出てきます。

 ――……い。来い、早く……応えろ。お前こそが、唯一の鍵──。


 耳の奥で聞こえた微かな声を認識した途端、大袈裟なほどに肌が泡立った。肩が跳ねて、不味いと思った時には既に遅く、取り繕う暇もなかった。隆りゅう陽ひの異変に気付き、近くにいた青年が此方を振り返る。

「どうした。傷が痛むのか」

 青年の名を、甘松。あちこちに跳ねたあずき色の髪は僅かに埃を被っている。柔らかい目元が心配の色をありありと示していた。その横で桃色の髪をした少女が声につられ顔を向ける。彼女は華楊といった。

「大丈夫? 隆陽」

「……なんでもない」

 無愛想な態度をとっても、彼らは特に気にした様子を見せなかった。そうか、と返された隆陽はそれ以上の会話を放棄した。

 気付かれないように溜め息を吐き、腕に巻かれた包帯に視線を落とす。肌に浮かぶ無数の切り傷に、少しの感傷も抱かなくなったのはいつからだろう。

――ここ慶凰国では、数年前に国王が亡くなった。残された公子たちは王位継承を巡り激しく争ったが、玉座の空位による余波は城下にまで及んだ。ほどなくして政治は機能を停止。権力に溺れた公子らはそのほんどが死没した。

 すっかり荒廃した国にかつての活気など見る影も無い。飢餓や口減らしで女子どもは命を落とし、埋葬の間に合わない亡骸は山を作る。商いは成り立たず、闇商売が横行した。

 治安は悪化する中、親を亡くした子どもの行く末はあまりにも酷かった。引き取り手もなく路頭に彷徨う子どもだって、生きる為ならば食べ物を盗む。彼らを厄介に思う大人たちは少なくない。そして密かに行われるようになったのが、孤児の虐殺だった。その行為は「孤児狩り」と称され、子どもたちは極力大人たちの目から隠れて生きている。

 隆陽たちも例外ではなく、日中は人気のない裏路地などを拠点にしていた。この場に集った者たちは皆、交代制で食料や生活物資を調達しながらなんとか生活ができている。

 だが、それも時間の問題であることを隆陽は悟っていた。遅かれ早かれ、いずれこの国は滅亡するだろうと。そうでなければ他国に侵略されるかのどちらかだ。王のいない国が長く持った例はない。

 ここまま、飢えと抑圧に怯えながら死を待つしか残されていないのだろうか。

 そこまで考えて、隆陽は静かに頭を振った。考えても詮のないことだ。諦めて目を閉じ、後ろの壁にもたれ掛かった。冷たい空気が体を冷やしていく。

(……寒いな)

 季節は霜月の冬。寒さが厳しくなる夕暮れ時は、路地裏の壁すらも無情に体温を奪っていく。隆陽はそっと肌を擦った。そういえば、先ほど聞こえた空耳の様な声は何だったのだろう。

 ぼんやりと考えていると、徐々に意識が遠のいていく。涙声の震えた悲鳴が鼓膜に突き刺さったのはその時だった。

「――誰か助けて!」

 路地裏の正面に息を切らしながら現れた少女に、隆陽はハッと顔を上げた。尋常ではない何かが起こったことなど、少女の青ざめた顔を見れば一目瞭然だ。他の二人も同様に、血相を変えて少女に近寄る。

「明香? 何があった」

 少女は肩で息をしつつ、事の次第を伝えようと顔を上げる。その目から数滴の涙が散った。

「どうしよう、三奈が……三奈が捕まっちゃった!」

 華楊の手から擦り切れた布が滑り落ちた。


*  *  *


 明香の案内を頼りに甘松と華楊を連れ向かった先は、路地裏から少しばかり離れた場所だった。

「三奈!」

 視界に飛び込んだ光景に、隆陽を含め四人は緊張から動きを止める。

「放せよ、放せ!」

「ええい、貴様こそ放せ! 諸共に殺してやる、飯に集る卑しい餓鬼風情が! 貴様らなんぞ生きている価値もない!」

 一人の男が小柄な少女の腕を掴んでいる。少女は泣き叫び暴れるが、手が緩む気配はない。その男の腰にしがみつく少年は、必死に拳を叩きつけて怒鳴っていた。すぐ傍では剣を構えて威嚇する青年もいる。  

 駆けつけた隆陽らを一瞥し、男はまた声を張り上げた。

「大人しくしていろ! 貴様らの様な餓鬼でも、売り飛ばされれば何かの誰かの役には立つ。それがわから──っ!」

 唾を吐きながらまくし立てた彼の語尾が悲鳴に変わる。次いで金属がぶつかる音が辺りに響いた。

「隆陽!」

 慣れない様子で剣を握っていた青年が振り返る。隆陽の手には、鞘だけが握られていた。男は腕から流れる血と、遅れて襲ってきた鋭い痛みに顔を歪める。拍子に三奈を拘束していた手が緩み、華奢な体が地面に落ちる。

「な……なにを……貴様!」

 短剣を投げつけたのは隆陽だ。鞘を放り捨て、懐からもう一振りの短剣を取り出す。

「桂皮、離れろ! 麟!」

 短く叫んだのを合図に、腰にしがみついていた桂皮が後ろに跳躍した。麟は男から距離を取るために這っていた三奈へ手を伸ばし、腕に抱きとめる。

 流れるような連携を目にし、獲物を取られた男は憤慨した。

「この……くそがきめ‼ 死ねー‼」

 なりふり構わず腰に差した剣を抜くと、彼は隆陽めがけて振り下ろす。

「隆陽、避けて!」

 背後で華楊が悲鳴を上げる。

 迫る白刃を認めながら、隆陽はどうしてかその場を動くことが出来なかった。

『貴様らなんぞ生きている価値もない!』

 あまりにも耳慣れた罵声だった。聞き飽きた台詞に今更胸を痛めることはない。

 孤児を狙った暴挙はもはや大人たちの腹いせとなっていた。立場の弱い子どもが標的になるのは致し方ない。人の心理とはそういうものだから。

 大人が全て悪いのではない。大人を変えたこの国が悪いのだ。

 毎日どこかで人が死ぬ。そんな悲しい悲劇を、止めることの出来ない王族が悪いのだ。

(そうだ。わかっている。悪いのは全て……)

 肉を裂く音が嫌に大きく聞こえた。空気を劈いた悲鳴はいったい誰のものなのか。

 気付けば地面に仰向けに転がっていた隆陽は熱い息を零した。その上に馬乗りになった男は、興奮した様子で再び剣を頭上に振りかざす。

「殺してやる、貴様らなんて全員、死ねばいいんだ!」

 鋭く閃いた剣先に、もう逃げ場がないことを悟った隆陽は目を瞑る。

 しかし、覚悟を決めた隆陽を剣が貫くことはなかった。

「そいつから離れろ!」

 呻き声と共に目を開けると、そこには苦痛に歪む男の顔があった。その背後で甘松が肩で息をしている。手に握られているのは抜き身の刃だ。彼が男の背を刺したのだと理解するのに少しの時間を要した。

「くっそ……がきの癖に‼」

 憤慨した男は立ち上がり、振り向きざまに腕を大きく横に薙ぐ。

 身を仰け反って攻撃をかわした甘松だが、迫りくる男に対し防御が取れない。飛び出そうとした明香を桂皮が制止した。

「やめろ、巻き込まれるだけだ!」

「でも!」

 緊迫した空気に腰を抜かした華楊が顔を覆う。体を起こした隆陽は考えるより早く手にしていた剣を男の太腿に向け投げていた。

 絶叫が空気を震わせる。男は武器を落とし、その場に崩れ落ちると激痛にもんどりうった。

「痛ぇ、痛ぇよ、足が! 俺の足が! くそっ、なんでだ、なんでお前らなんかに!」

 叫ぶ言葉の中に涙が混じる。のたうち回る男の足が赤く染まっていくのを、隆陽は呆然と見ていた。

 甘松は脱力し膝をつく。信じられないような表情で隆陽を見遣るが、目線が交わることはなかった。

 太腿の傷はかなり深い。地面に広がる血がそれを物語っている。

「お前らなんか、くそっ! 弱いくせに、弱いくせに!」

 暴れながら男が繰り返す。これだけの騒ぎが起きているにも関わらず、警吏どころか助けに来る大人は一人もいなかった。

「うるせえよ……」

 恨み言に応えたのは甘松だった。膝立ちの状態で男を見下ろした彼は、手に持っていた剣を投げ捨てる。

「……お前なんかに、俺らの価値を決められて堪るか。弱くて何が悪い。生きてて何が悪い。俺たちがみっともなく足掻いて足掻いて、それでも生きてえと思うのは、お前たち大人と同じなんだよ!」

 叫びに近い怒号だった。

 麟はそんな彼を制するように名を呼ぶ。だが、男は意味をなさない言葉を吐くのみだ。

 隆陽は頭を下げて項垂れる。

 先の見えない不安の中、誰もが辟易していた。命を奪い奪われ、抗うために誰かを傷つける。全てが生きるために必要なことだった。そうしなければ死んでしまう世だった。

「くそ……くそ、くそぉ‼ 王さえいれば、俺だって、こんなことには……!」

 荒い呼吸を繰り返しながら男は嘆く。重なるように聞こえてきた三奈のすすり泣く声が、耳に刺さった。

「……逃げろ」

 乾いて僅かに痛む喉を振り絞る。困惑する数人の気配を感じ取るも、隆陽は繰り返した。

「逃げろ。早く。騒ぎを聞いて誰かが来ないとも限らない。これ以上は戦えない」

 その言葉は嘘だった。戦えるだけの力はある。ただ、これ以上男の言葉を聞かせたくなかっただけだ。

「わかった」

 隆陽の本心を知ってか知らずか、麟は三奈を促して元来た道を引き返す。それに倣って桂皮が明香と華楊の背中を押した。

(我ながら、なんて汚い)

 甘松は一度隆陽に声をかけたが、桂皮に呼ばれてその場を去った。

 男と二人取り残され、暫く頭を垂れたまま膝を見つめる。どれだけの時が経ったか、やがて男が静かに泣き始めた頃。隆陽は覚束ない動作で彼に近づいた。

「……なんだ、おい、何をする」

 ふいに足を触られたことで男が弱く暴れる。

「動くな。傷口が開く」

 耳を澄まさなければ聞こえない程度の声で忠告すると、腹を蹴られた。

「ふざけるな! 貴様がつけた傷だろう!」

 それでも隆陽は臆することなく、自身の袖を口で破る。男の太腿を覆うようにそれを巻き付けた。

「何のつもりだ」

「……せめてもの、罪滅ぼしだ」

 抑揚のない声に男は何を感じただろう。顔を見ることすらできず、ただ手を動かした。

「誇りも資格も持ち合わせてはいない。生きていても、大事な時に役に立てないんだから……。それでも、責任の重を忘れたことはない」

 伝わる筈もない本心を、半ば独り言のように呟く。当然意味がわからない男は訝った。

「何を言ってる」

 応急手当てを済ませた隆陽は、今度は静かに立ち上がった。地面に転がったふた振りのうち一振りを拾い上げ、柄を握りしめる。

「……わかっている。何の価値もないことも、何の意味もないことも。でも……まだ、だめなんだ」

「おい、お前!」

 動けない男が隆陽を呼び止めた。けれども隆陽は背を向け、二度と男を振り返らなかった。

「ごめん……」

 短く零した言葉は風に攫われて消えていく。

 後ろ髪を引かれる思いがないわけではなかった。それでも振り切るように固く目を閉じ、その場を後にする。

(そうだ。償うべきは、私だ)

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