序章
長編の投稿は初めてになります。見苦しいところ等、多々あるかと思いますがお手柔らかにお願い致します。
このお話は中華風ファンタジーです。主人公の成長や心の変化、世界観を楽しんでいただけると幸いです。
※尚、この話では主人公はまだ出てきません。
辺り一面に血の海が横たわっている。風が水面を撫でると、どこからか嘆きに似た音が聞こえてきた。
その真ん中に佇む男は秀麗な面貌を俯かせ、手折ったばかりの花を弄んでいた。
足元に広がる海の正体は咲き誇る彼岸花。辺境の地で、彼らは男に看取られながら散華するのを待っていた。
端も見えないほどの花の海をいつ誰が植えたのかを男は知らない。男にとってそれはさほど問題でない。いっそ不気味な光景を、男は幾度も目に焼きつけてきた。季節を変えても散ることのない花を。
もはや異界となり果てた地を見渡し、足元に注意を払って彼はしゃがみこむ。
無骨な指が子どもの頭を撫でるように花に触れる。そばを流れる川のせせらぎに混じって草を踏む音が耳に届いたのはその時だった。
「どうした」
振り返りもせず男が問う。
「……報せがあった。あちらに動きがあったそうだ」
抑揚のない声が背中に投げかけられる。そうか、と短く返すと声の主は同じ声色で短く尋ねた。
「随分と待った。これでいいんだな」
答える代わりに男は手の中の花に唇を寄せる。
「時は満ちた。もはや我らに、引き返す歴史はない」
どこからか吹いた風が、赤く広がった水面を揺らす。草や葉が擦れ合う音を二人は繊細に聞き取れる。そのくらい静かな土地だった。男は寄せては引く花の群れを再び見遣る。
「我々は、長い時を生きて、随分と変わったな」
返答を期待しない呟きに青年は無言を返す。自分より広い背中を見ると、男の溢した言葉の重みが胸にのしかかるようだった。
――どれだけの時が経ったのか。気が遠くなりそうな年月に思いを馳せる。
もうずっと、眼裏にこびりついて離れない光景があった。棲家すみかに火を放たれ、退路すら断たれ、無残に殺された仲間が大勢いた。全てが策略であったと理解した時には、何もかもが遅かった。
地獄絵図が広がる中、狼狽し泣き叫ぶことしかできなかった無力な自分を、青年はいつまでも覚えている。まるで家畜の様に扱われ、何度涙を飲んだだろう。いったいどんな罪をおかしたというのか教えてくれもしないで。親族と故郷、そして歴史というあらゆる財産が無残に散った日、人という生き物の残虐さを嫌というほど思い知った。
どれだけ憎んだか。どれだけ呪ったか。積年の怨恨を抱え長い時を生きた。
男も青年も、人間によって大きく移ろう時代の中で息を潜めてきた生き物だ。かつての惨劇に全てを奪われ、時に失いそうな自我を辛くも保ち続けた。気が狂いそうな時間の中、絶望に堕ちずにいられたのは復讐の焔が消えることなく身を焼くからだ。
「だが……それも時期に終わる」
青年の胸中を汲んだのか、男が不意に口を開く。おもむろに立ち上がった彼は青年を振り向き、血に濡れたような赤い唇を三日月の形に歪めた。
「そろそろ、お伽話の真相を教えてやろう」
足元の彼岸花が小さくさざめく。その音色が歌うのは、嘆きか喜びか。
「これらが枯れてしまう前に、天の恵みを与えてやろう」
獲物を狙う獣の如く閃いた瞳が、一瞬だが柔らかく細められたのを青年は認めた。
「それならば俺は……俺らは、力を尽くそう」
声の調子こそ変わらないものの、その言葉が他でもない本心であることを男は理解していた。男が静かに頷くと青年はそれ以上なにも言わずに来た道を戻る。
青年を見送り、手に持ったままの花に視線を落とす。
「……待っていろ。お前達の思いは、決して無駄にはしない」
男は再びその場に膝をつくと、手元に額を寄せた。目を瞑ると、もう余年も昔に亡くした仲間の顔が思い出された。
彼岸花は、亡くなった一族が無念に散らした命の証。一族が流した血と涙の証だ。積もり積もった憎しみの証でもある。
餞別を送るのはこの地しかない。人に嫌煙される彼岸花が咲き乱れるこの地だけが、ただ一つ残った男たち「鬼一族」の聖地なのだから。
――もう二度と、奪わせはしない。
男が瞼を押し開くと、その下から覗いた瞳は恐ろしく冷たい気色を湛えていた。朗々とした赤い瞳は静かに空を睨みつける。
ふと風が止んだ。
男は音もなく立ち上がり、足元の花を踏まないように踵を返す。
――さあ、復讐劇をはじめよう。
残虐に歪んだ笑みを残し、男はその場から姿を消す。悲願を末に残された決意を、枯れない花だけが粛然と見届けていた。
如何でしたでしょうか。序章なのでだいぶ短いですが、次回からは長くなります。
最後まで読んでくださりありがとうございました。