お遊戯
白亜の神殿、その中央部へ一人の少女が歩いてくる。小麦色の肌に燃えるような赤髪。全身には怪しく輝く文様が刻まれている。胸に巻かれた革布、動物の骨と思しきネックレス、腰布は太陽を意匠しているようだ。
小さな頭、小さな鼻、小さな唇、黒目勝ちな瞳がやけに大きく見えた。思わず抱きしめたくなるであろうほどの愛らしさ。しかし全身から滲み出る色が遠目からでも分かった。
<巨いなる暴君>。神々の末裔にして太陽神の巫女。正真正銘の化物だ。
――僕が斃すべき敵。
「来たぞ、人間!」
「巨人さん、決闘に応じてくださってありがとうございます」
「……ティティでいい」
ティティは渋い顔で言う。巨人は種族名だろうと指摘しようとしたが、既に自分が同じ事をしでかしていた事に気付いたようだ。
「じゃあ僕の事はルークと。ところで封印は解かなくていいんですか?」
ルークが尋ねれば少女は口を歪ませた。
「羽虫に集られるの、好きじゃない」
ルークは<大天使>との戦いを見ていたが、体長一五メートルを超える巨体だった。戦闘能力は変わらずとも体が大きくなればそれだけ懐も広くなってしまうわけで。大部隊を相手にするならともかく、ルークのような高速機動を身上とする小兵一人を相手にするにはこの方が最適なのかも知れない。
「御託はいい。さっさと始める」
「分かりました。ところで、合図はどうしますか?」
ルークは礼を取ると兜の頬当を下ろした。眉庇が影を作り、彼の大きな黒目を隠す。
「任せる」
「じゃあ彼等に任せます。火矢の魔法が天井に届いたら開始ということで」
ルークが背後に目を向けると部隊の実質的な指揮官たる<ゴブリンキング>が声を上げた。
火矢の魔法が打ち出される。次々に、神殿のありとあらゆるところから数十本という火炎が打ちあがる。
着弾と同時、辺りは闇に包まれた。
決闘開始、その瞬間、ルークは予め閉じておいた右目を開いた。太陽神の巫女である<巨いなる暴君>ティティは聖光灯によって強化されてしまう。ただでさえ格上の相手にわざわざハンディキャップを背負う必要はない。
ルークは右手の黒剣<呪喰らい>を投げつける。暗闇に沈む黒い剣――
「小癪!」
ティティは戦鎚を一薙ぎして剣を弾き飛ばし――影縫い――背後からの奇襲まで防いでみせた。
火花が散る。宵闇の中で卑劣な暗殺者と武具を合わせる。敵は吹き飛ばされる。
「いや、自ら跳んだか」
力勝負しても勝てるはずがない事はルークにも分かっていた。両者には明確な能力差がある。ティティは巨人族特有の怪力と耐久性を持ち合わせている。非力な人間ではとても敵わない。
例えそれが封印中であっても、だ。無論、解放時ほどではない。数値に表すならば半減といっていいだろう。しかし五割も残っているとも言えた。
ティティは巨人族の王<巨いなる暴君>なのだ。下手な話、小癪な人間相手であれば一割も残っていれば充分に事足りる。
「面白い試みだった」
ティティは言って小さき者を睥睨する。
「でも、もう終わり」
「いえ、まだですよ」
ルークは背中から予備の白銀の剣を取り出した。魔剣だ。悪くはない。投げつけられた剣には劣るがそれなりの武威は感じる。
「そういう意味じゃない」
敵は貴重な魔剣のうち一本を自ら放棄した。確かに上手い手ではあっただろう、ほんの僅かな隙を作る事に成功していた。
確かに同格の相手であれば危なかったかもしれない。しかし両者を間には隔絶した性能差が横たわっている。例えどれだけ卑怯な策――とはいうまい弱者が強者に勝つには策が必要だ――小細工を弄したとしても無駄なのだ。
「まだです!」
ルークの速度が一段上がる。
「なるほど、今度はそういう魔剣……」
これまで奴は敵に毒を与えたり、精気を吸うといった攻撃が当たった時にこそ効果を発揮する武器を使っていた。しかしこの白銀剣は違う。使用者の能力を上げる気性の穏やかなタイプのようだ。
「でも、足りない」
ティティは危なげなく敵の剣を弾き返す。彼女は卓越した巨人族の戦士である。確かに敵は上手い。自分と同等程度の技量はあるだろう。それに速さも充分にある。
「軽いと言ってる!!」
「ぐあッ!」
戦鎚をぶん回す。ルークは<死毒剣>を斜めに構えて受け流そうとしたがその軌道を変える事が出来ず、そのまま吹き飛ばされてしまう。
魔剣が中空を舞い、地面へと突き刺さる。
重さと速さ。それが力の正体だ。魔法と言うファクターこそあるものの、ガイアの物理法則は地球のそれと変わらない。重量物を高速で動かせば動かすほど破壊の力は高まっていく。
アダマンタイト製の戦鎚の重さは成人男性一〇人分にも及ぶ。ミスリルを超え、オリハルコンにも並ぶ硬度を持つアダマンタイトだが、両者よりも比重が大きく冒険者の間ではその重量故に敬遠されてしまう。軽量なミスリルと混ぜて強度を高めるための添加物扱いだ。
当たり前の話である。鉄の三倍もの質量を持つ武器を誰が使えるというのか。
だがしかし、その超質量をティティは小枝のように振るうことが出来る。バランスや技量の問題ではない。単純なパワーによって無理矢理に解決しているのだ。
それゆえに暴君と呼ばれるのだ。力を尊ぶ巨人族の中でも図抜けた存在だからこそ王と呼ばれるのである。
ティティは飛び込み、追撃の一撃を放つ。振り下ろし。
「<突風>」
魔法を使って無理矢理に飛び退く。眼前を致命の一撃が通り抜ける。豪腕から繰り出される威力たるや大理石の床に地面が抉れ、周辺一体に蜘蛛の巣が張られるほどだ。
「<突風>」
ルークは続けて足元に魔法を放ち、中空へと飛び上がる。予備の剣を抜く。
「<電撃>」
「効かない」
稲光がティティを襲うが、羽虫の一撃など通じぬとばかり鼻で笑った。事実、効いていないのだろう。
「<濃霧>、<電撃>」
水魔法で視界を塞ぎつつ、再び電撃を使用する。今度はヒロトから教わった科学の力を利用する。基本的に空気は電気を通し難いそうだ。しかし周囲に水分があると抵抗が下がり、効率よくなるらしい。
「これだから虫は嫌い」
少しは効いたようだ。ティティは床に転がっている大理石の破片を拾うとルークへ投げつけた。無数の砂礫が五月蝿く飛び回る羽虫に投げつけた。
「<突風>、ッ!」
直撃こそ避けたものの脇腹を掠り、ルークは姿勢を崩す。
「そこ!」
ティティは飛び上がる。その勢いそのままに戦鎚が振り上げられる。
ルークはそれを剣を交差して受けた。二振りの剣が甲高い音を立てて砕ける。勢いは止まらず、鎚頭が腹部を襲う。
「ガ――――ハッ!」
吹き飛ぶ。吐血。体が天井近くまで飛ばされていた。意識が遠退く前に回復薬を取り出し、腹部へとぶちまける。
「あああぁぁ――」
残りは飲み下す。灼けるような痛み。回復薬の反作用だ。加速された治癒速度で肉が蠢き、骨が伸び、内臓が動き回る。
猛烈な痛みに耐えながら魔法を使って飛び回る。予備の剣を抜く。この状態で敵の追撃は受けたくない。
痛みが和らいでいくのを待って再び<巨いなる暴君>へ近づいていく。
――やっぱり、敵わないかぁ……。
敵の攻撃は総て読めていた。単純な技量だけでいえばルークの方が上だったかもしれない。
しかし、届かない。あまりにも身体能力に差がありすぎる。
「ルーク、お前の負け」
傲岸なる絶対強者は腕を組み、じっくりと此方を睨みつけてながら宣告した。
「はい。決闘は僕の負けです」
「では陣地に戻れ。戦いに戻る事は許さない」
「いや、それは出来ません。僕はマスターに出来るだけあなた達の邪魔をするようおおせつかっていますから」
「負けたのに?」
「ですから約束通り、決闘までの間、襲撃しなかったでしょ?」
「……ずるい」
確かにあの手紙には応じなければ暴れ回るとは言っていたが、勝利した際の報酬については何も書かれていなかった。戦う前にもそんな話はしなかった。自己紹介なんてする暇があればきちんと取り決めをしておけばよかった。
「はい、僕は卑怯者です」
「もういい。次は許さない。本気で殺すから」
「はい……僕も本気です」
ルークは自らに魔法を放った。
「<帯電>、<電撃>!」
鎧の隙間から火花が散る。ルークが<疾風剣>を掲げる。その動きはまるでゴーレムのように不自然なものだった。
<電子制御>。人体の動きは脳から発せられる電気信号で制御されている。魔法によって神経に強力な電気を流せば限界以上の能力を行使可能だ。
「自らを操る、術……長く持たない」
ティティの知性は理を看破する。ルークの<電撃>に打たれた時、体が強張った事を思い出したからだ。その危険性についても気付く。そんな事をすれば神経が焼き切れると。
「はい、これが僕等の本気です」
「無駄、何をやっても届かない――――ッ!?」
弱者の戯言と鼻で笑ったティティは次の瞬間、背中に強い痛みを覚える。漆黒と深紫、いずれ劣らぬ呪いの剣がその背に突き立っていた。
「おのれッ、謀った、な!」
幸いな事に内臓には届いていない。衝撃を受けた瞬間、反射的に力を込めたことで凶刃は背中の筋肉組織に傷を付けるだけで済んでいた。ティティが鎚を振るうと早々に逃げ出し、ルークの手に収まる。
「毒、くっ……卑怯、者……」
傷は浅い。だというのに右側の傷が酷く痛んだ。傷口に火箸を突っ込まれたような激痛が絶え間なく襲ってくる。
「すいません、ティティさん。僕も負けられないんです」
ルークは回復薬を二振りの剣と漆黒の鎧に振り掛ける。刃毀れを起こしていた刃が輝きを取り戻し、鎧の腹部に入ったヒビが即座に再生する。
「生ける武具……それがお前の、」
「もう決闘の時間は終りです――今からありとあらゆる手段を行使してティティさんを殺します」
漆黒の瞳を冷徹な眼に輝かせながらルークは宣告するのだった。




