死霊王との戦い
「逃げないんだ」
序列第一位<魔王城>の最高幹部<死霊王>が問いかける。既に彼女の周囲には二〇近い武器が浮かんでいた。
「君、獣人でしょ? だったら勝ち目はないよ」
彼女の外周には藤色のヴェールがかかっていた。闇魔法による強力な物理結界である。一定以下の物理攻撃を弾き返す代物でその強度は術者の力量に左右される。闇夜を統べる死霊族の王であり、生粋の魔術師でもあるプリムが使えば下手な攻撃では武器ごと吹き飛ばされてしまうだろう。
一撃の威力よりも手数で勝負する短剣使いの攻撃ではその強固な壁を破る事は不可能だ。
「そんなもの、やってみないと……分からない!」
クロエの体が徐々に変化していく。自慢の黒い尻尾が膨らみ、頭頂部の丸耳は大きくなる。鼻が伸び、牙が伸びる、指先からは鋭い爪が生え、その全身は黒い毛並みに覆われていく。
「セリアンスロープ……君、魔物だったの?」
「違う……薬による一時的なもの、恨みはないけど、あなたを殺す事にしたから」
クロエは腰に撒かれたポシェット――アイテムボックスだろう――から真新しい短剣を取り出した。
構える。確かなプレッシャーを感じる。
「へぇ、面白い……こっちは仲間を殺されて恨み骨髄って感じだけど――ねッ!」
プリムが左腕を振った瞬間、一〇本もの武具がクロエへ殺到する。クロエは自らの影に隠れる事で攻撃を回避する。
「ハッ! 死霊王たるこのボクに、影縫いなんて子供だましが通用すると思ってるのかな!!」
影縫いが暗殺術のスキルである以上、再実行までには待機時間が発生する。そして闇夜の支配者たる<死霊王>からは人間の拙いそれなど丸見えであった。
一度、姿を現したが最後、クロエはこの武具の群れの餌食となる。
「そこ!」
振り返りながら右腕を振るう。残った一〇本の武具がクロエを狙う。
「<聖光の瀑布>」
瞬間、爆発した。
「あーあ、負けちゃった」
メラミはあっけらかんとした口調で言う。虎の子の<上級悪魔>が屠られたというのに少しも動じた様子はない。
指揮所に案内され、モニター越しに一部始終を見ていたクロエは首を傾げた。
「いいの、それで」
悪魔達が倒した魔物達の死骸が残っている。契約者が死んでしまった以上、彼らに報酬を支払う必要はない。全てがメラミの物である。
ゴブリンと並んで雑魚モンスターの代名詞オークを使ってもあれだけの戦力を生み出せたのだ。三ツ星級の人狼や吸血鬼といったレア素材を使えばどれほど強力な兵士が生み出せるだろう。
クロエが尋ねれば、メラミは余った白衣の袖を旗のように振った。
「いいのいいの、元々魔王さんとお話がしたかっただけでバトルに勝つつもりなんてなかったし」
「その割には用意周到だった」
「……うっ……ま、そうですけど。あわよくば敵幹部の一人や二人倒せるかもって思っていましたけども」
真っ直ぐに見つめられたメラミはたじろぎ、本心を口にする。
「無理よ、無理無理。あんな強いんだもん。光属性対策が取られている以上、あれを魔法でどうにかするのは無理」
「じゃあ物理的には? 死霊は防御力も低いし、銀製の武器なら通用すると思うけど」
「それこそ無理だってば。見てたでしょ、あのポルターガイスト。剣の雨が振ってくるんだもん、近づく事さえ出来ないわよ。本当に何なのあれ、どこのギルガメッシュ様よ」
「……?」
「ごめん、気にしないで。日本の騎士物語に出てきる俺様キャラの事だから」
「ぎるがめっしゅ……ないと?」
「それはダメ! 子供が絶対見ちゃいけない番組!」
メラミはひとしきり騒ぎ立てると、ため息を付いてデスクに背中を預けた。
「あー悔しいなぁ。色々と用意したのに……近接戦闘に強い人が居たら色々試せるのに……高位の悪霊なんて最高の実験相手なのに!」
駄々をこね始めた主をメイドさん達があの手この手で宥めすかす。そんな光景をぼぅっとクロエは眺める。
――悔しい、何で魔力がないんだろう。
メイド達はメラミの眷属であり、神代の魔法使いに比肩するほどの腕前を持っているのだ。魔法の補助を行い、開発を手伝い、日々の生活まで頼られている。
「ねえ、メラミ。それ私じゃダメ?」
「どういう事?」
「メラミ、私……アレを殺したい」
クロエは立ち上がるとその場で頭を下げた。
「ちょっとクロエちゃん、何やってるの!?」
「お願い、メラミ! 私に力を貸して……私はアレを殺さなけれならない」
頭を下げたまま懇願する。
「……クロエちゃん、本気? かなり危険よ?」
「うん、分かってる」
「出来る限りのサポートをしたとしても良くて五分五分、もしかしたらそれよりも分が悪いかもしれない」
こちらは辛うじて四ツ星級にしがみ付いているだけの弱者だ。一方、相手は五ツ星級の<上級悪魔>でさえも容易く屠ってみせた<死霊王>である。
「死んでもかまわない」
メラミは大きく息を吐くとお腹に撒いていたポシェットの中に手を突っ込む。どうやらこのポシェットはアイテムボックスになっているらしい。
「これは<獣化薬>。体内に獣の魔力を流し込む事で一時的に獣人みたいに素早く動けるようになる。獣人族に使った場合はウェアウルフみたいな半獣になるわ。一日一錠。それ以上使うと元に戻れなくなるから気をつけて」
メラミはテーブルの上に薬瓶を置く。
「次はスクロール。<聖光の瀑布>って言えば発動するわ。無効化アイテムでも持ち出さない限り多少はダメージを与えられると思う」
「ありがとう」
「おっとそうだった。こいつも渡しておくよ!」
メラミは言って短剣を取り出した。ミスリル製だろうか深い銀色の刀身、飾り気のないそれは刃渡りにして四〇センチほどでだろうか。
メラミは両手で持ったそれをテーブルに置いた。ミスリル製の短剣とは思えないほど質量感のある音がした。
「<重剣>。元々は刀身四メートルの大きなミスリル剣ね。それを錬金術で短剣サイズにまで圧縮しただけの失敗作」
「失敗作?」
「そう、失敗作。ひとまず巨大な魔法剣を作って小さくする。この剣が本来持っていた攻撃力をそのまま出来れば短剣使いの悩みである攻撃の軽さを補えると思ったのよ。そしてその試み自体は成功した」
「じゃあ、それの何が問題なの?」
「クロエちゃん、その剣、持ってみて」
「…………重い」
目を見開く。ダンジョンマスターの眷族にして成長限界まで達した彼女である。片手で持てない事はない。振れないこともない。
「これは確かに使えない」
自重よりも遥かに重いそれを振り回せばどうしても体が流されてしまう。短剣使いの持ち味である細かな連続攻撃を繰り出す事など不可能だ。
本来の機動力も失われるだろう。人一人分を背負っているのだから当たり前の事だ。それは本来、短剣使いの持ち味を全て消してしまう事に他ならない。
「圧縮したのはいいものの、質量は変わらなかったのよねー。四〇センチの短剣が三〇〇グラムだったとしてそれが一〇倍になれば単純計算で質量は一〇〇〇倍。まあ構造上、そこまで行かなくてもクロエちゃん四人分くらいはあるもの」
こんな物を使うくらいなら最初から全身を使って振り回せる大剣を使ったほうがマシだろう。試行錯誤の結果、八〇センチほどの剣を半分のサイズに圧縮するのが最適という事で落ち着いたそうだ。
「でも、捨てるには惜しいんだよ! ミスリルは重量比強度があらゆる金属の中で断トツだし、魔力の通りもよくて刀身も大きかったから沢山のルーンを刻め込めたし、性能自体は下手な神々が作ったとされる<聖遺物>よりも高いんだよ! この剣を作るのだけで一ヶ月もかかったんだから」
「いや最初から気付けし」
せめて普通の鉄剣で実験してから試してみればよかったのでは、とクロエは思わないでもない。そこで突き進んでしまうのがメラミのメラミたる所以であろう。
「でもさ、一撃必殺を身上とする暗殺者にしてクロエちゃんならあるいはって……どう、試してみない?」
「これは――スクロール!? まさか」
瞬間、金色の光が周囲を埋め尽くした。
スクロールは使い捨ての魔導具だ。予め術式と必要な魔力を組み込んでおくことで、魔法を使えない者でもキーワードさえ知っていれば魔法を発動させる事が出来るという代物だ。
「く、何て威力――ッ!!」
封じられた魔法は<聖光の瀑布>。<聖光灯>を始めとする光の上位魔法だ。<聖光>とは比較にならない爆発的な極光を生み出し、周囲を完全に浄化する。
間一髪、対抗装備こそ身に付けられたが、魔導具の効果はあくまで光属性への耐性付与だ。無効ではない。九割がカットされたとしても相殺し切れないほどの部分はそのままダメージとなる。
しかしそこは腐っても<死霊王>であるプリムは全身を灼かれながらも差し向けた刃を制御し続ける。術者であるこの獣を殺せばこの魔法も停止する。
迫る武具。しかしクロエは真っ直ぐに突き進む。眼前には刃の雨、彼女はそれをあえて無視した。右耳が吹き飛ぶ。問題ない。右脇腹を鉄槍が通り抜ける。構わない。左肘から先が千切れ飛んだ。死ななければどうという事はない。
――私には今、この瞬間しかない!
「なんで、止まれ! 止まれぇぇええぇぇ――!!」
<死霊王>は明らかに怯んでいた。それは聖なる光のせいだろうか、あるいは決死の表情で迫り来る暗殺者に気配を恐怖したのかもしれない。
総勢二〇本もの武具はいまやクロエの障害とならない。
踏み込み、駆け出す。華奢な体躯のクロエはその体格の通り攻撃力が高くなかった。しかし獣化によって質量が増えたからか今は漲るような<力>を感じる。
<死霊王>を守る者は他にない。武具はすぐに彼女の手元に戻ってくるだろう。だが、それよりもクロエの方が断然、速い。
「死ね!」
右手にもった超質量をそのまま敵に叩き付ける。
「<首刈り(ギロチン)>」
一閃。<重剣>は見事に<死霊王>の物理結界を切り裂いた。しかしその結界は術者の命を守らんとその身を破裂させた。
軌道が逸れる。致命の一撃は細い首に薄い傷を付けるに留まる。
<死霊王>は目を見開いた。確かにクロエが使う<暗殺術>は短剣スキルにありながら数少ないチャンスを確実にものにするため単発だが威力の高いスキルが多い。しかしそれだけで何重にも張られた魔法結界を切り裂くような性能はないはずだ。それくらいの絶対の自信を持っているからこそ五ツ星級の<上級悪魔>にも近接戦を挑めたのだ。たかだか獣混じりの小娘ぐらいに破られるはずがない。
死霊の瞳が暗殺者の少女が持った短剣に込められた多様な<魔法>を見通す。慌てて切り裂かれた結界を再構築する。
術式が完成する前にクロエが動く。短剣を横薙ぎに振り切ったその姿勢から振り下ろすような刺突を見舞ったのだ。
「<心臓喰らい(ライフイーター)>」
クロエはスキルを発動させる。構築中の結界は<重剣>の質量を受け止めきれない。必死の抵抗。強い水流の中を泳ぐような感覚――その切っ先は死霊王の腹部へと突き刺さった。
――ズラされた……でも!
クロエはそこで短剣を離すと振り被った。
「<破壊>」
全身全霊を賭した打撃は柄頭の中心を正確に射抜く。武具に加えられた衝撃はスキルによって倍増し、敵の体内で爆散する。
「――――■■■――■■――■■■■――!」
<死霊王>があげるこの世ならざる者の悲鳴が遠く虚空へと響いた。
「……や、った」
薄れていく霊体。それは致命に届いただろうか。戦果を確認する前にその場に倒れ込んだ。
先ほどの刃の雨、その攻撃力は凄まじいものだった。クロエはそれを甘んじて受けた。損傷――それどころか自身の命さえ捨て去ってでも殺す事を選んだのだ。
地面が迫ってくる、視界が消える、そこでクロエの意識は断絶する。
暖かいものに包まれる感覚を残して――
「よく、がんばったね、クロエちゃん」




