クロエの殺意
「これで、終わり」
薄暗い迷路でクロエはぽつりと呟いた。足元には五つの魔物の死体が倒れている。人狼、吸血鬼が二つずつ、死霊は倒した瞬間、ドロップアイテムを残して消えてしまった。
影縫いを始めとする暗殺術を使用して近づき、首を刈る。三体ほど狩ったところで敵は気付き、足止め役と周囲の連絡役に分かれた。足止め役の頭上を飛び越え、連絡役を切った。理由は簡単でこちらに背中を向けたからだ。
<メラゾーマでもない>が降参した翌日、敵軍は再び進攻を開始した。狙いは当然、<宿り木の種>へ続く出入り口の確保だろう。クロエ一人では五〇〇〇を超える大軍を相手にする事は出来ない。
だからこそ彼女は本隊の周りを囲む小規模な斥候部隊から潰していくことにした。ダンジョン内にある<大迷路>の経路は複雑だが、詳細な地図を持ち、卓越した暗殺術を持つクロエからすれば都合のいい狩場に他ならない。
足音が聞こえたのでクロエは通路内を走り抜ける。ここは幾つか曲がると後ろから回り込む事が出来るのだ。
影から窺う。
「おい、どうした!? 死んでる誰に……おい、本隊に連絡しろ!」
血の臭いに誘われたのか、先ほど狩った獲物へと近づく部隊が見えた。三匹の獲物がこちらへと走ってくる。クロエは影に隠れ、追跡する。
「ひゅ――」
背後から吸血鬼に襲い掛かる。奇襲。首を断ち切り、心臓を穿ち、頭部を破壊する。闇の眷属は高い生命力を持っており、これくらいしないと即死しないのだ。
「おい、どうした?」
振り返った人狼の頭に銀のナイフを投げつける。ビシャリと血と脳漿が広がった。そこまで来れば敵襲に気付く。
「シッ!」
「ぎゃあぁぁぁ――」
クロエは白銀の剣を抜き、死霊族の男に躍りかかる。幾筋もの剣閃が霊体を切り刻む。魂の存在である死霊は明確な弱点を持たない。そのため何も出来なくなるまで細切れにする。
背後から足音が続く。
「探せ!」
「まだ近くにいるぞ!」
再びクロエは通路を走り、後ろから回り込んだ。そこからは先ほどの狩りの焼き回しだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……危なかった……」
狩りを終えたクロエは物陰に身を隠しながら呼吸を整えた。敵は血眼になって迷路に潜む暗殺者を捜索しているようだ。
徐々に範囲は絞り込まれてきている。耳を澄ませばそこかしこから敵の気配が感じられた。
静かに目立て。これが彼女の主人が下した<命令>だ。もちろん、心配性なヒロトの事、言葉の前後に無理しない範囲でとか安全第一になどの文言が付いている。
――でも、ここは、無理しなくちゃいけない場面。
現在<宿り木の種>は三方向からの攻撃を受けている。敵は強い。規模は大きく、錬度は高く、それでいて油断もない。
決戦場に建設した城壁、投石器や破城弓を始めとする攻城兵器、闇の種族が嫌がる<聖光灯>や<聖水>といった魔導具を駆使してどうにか凌いでいるといった状態だ。
クロエが<宿り木の種>へと繋がるこの迷路内で暴れまわる事で、敵は戦力を分散せざるを得なくなる。
迷路内の暗殺者によって後背を脅かす。僅かな戦力で千の敵を引き寄せる作戦だったのだ。
「私、には……それくらいしか……」
クロエは劣等感の塊だった。
同時期にヒロトに拾われたキールやルークに比べて、あまりにも弱かった。
――キールは凄い。
強靭な肉体を持ち、重い大剣を小枝のように振り回す事が出来る。その威力は大型モンスターでさえも一撃で屠れるほどだ。
何よりキールには突出した指揮能力がある。<メイズ抜刀隊>の部隊長として幾度となく実戦を経験し、役目を果たしてきた。
その実績をヒロトは信頼しており、ギルドバトルでは総司令に任命されている。<決戦場>に施した数え切れない防衛機構もほとんどがキール発案によるものだ。
そして今は五〇万を超えるゴブリンを手足のように動かし、強大な<闇の軍勢>に抗っている。
クロエには絶対に出来ない事だった。
――ルークも凄い。
彼は天才だ。圧倒的な剣技、強靭な狼めいた身体能力、そして凄まじい成長力を兼ね備えてた、殺戮の申し子。お爺ちゃん亡き今、<迷路の迷宮>の筆頭戦士の名をほしいままにしている。
奴隷として購入された時、剣など触ったこともなかったはずのルークは一週間もしないうちにいつの間にかシルバースライムを屠っていた。
二人の動きを真似しただけです、なんて謙遜していたが、その刃の動きは誰よりも美しく洗練されていた。試しに暗殺術を仕込んでみたら半年後にはもう教える事がなくなっていたくらいだ。
最近では魔法にも手を出していて、それもそう遠くない内に習得するだろうって主様は嬉しそうに言っていたっけ。
一年で追いつかれ、二年目には追い抜かれ、三年目には手の届かないほどの高みに行ってしまった。
――私はダメだ。
キールのような知性や魅力がない。人を引きつけ、動かす事は出来そうにない。
ルークのような卓越した戦闘能力もない。レベルは上限、成長限界を迎えている。
――捨てられてしまう。
クロエは暗殺家業を営む黒豹族の家に生まれた。家は<里>と呼ばれる獣人の種族が集まって出来た暗殺者集団の中にあり、業界では中々の知名度を誇っていたそうだ。
クロエは優秀だった。動きは素早く、物覚えはよく、頭の回りだって悪くなかった。いい暗殺者になるよ、と両親は嬉しそうに言ってくれた。
確かにクロエは同世代の中では頭一つ抜けた存在だった。何をやらせても及第点。早々に家業を手伝わされるようになっても失敗一つしたことがない。若手のホープといった位置付けだった。
しかし、それでも見捨てられた。
ある日、里に大規模な暗殺任務が下された。オルランド王国にいるとある大貴族を暗殺するという仕事だった。
クロエには標的の屋敷にメイドとして潜入し、決行日には裏口から仲間を引き入れるという重要な任務を与えられた。
任務は成功した。標的はおろか家人や使用人達まで皆殺しにする。これにより暗殺者集団は残虐性や優秀さを世間に知らしめる事が出来るだろう。
任務完了後、何故か仲間達に背後から切りつけられた。
クロエは倒れた。仲間達が持つ刃には致死性の毒が塗られていたのだ。
クロエが生き残ることで足が付くことを嫌ったようだった。彼女は三年間以上も屋敷のメイドとして働いていた。当然、顔だって知られている。
屋敷の住民を皆殺しにしたにも関わらず、一人だけ行方不明となっていれば怪しまれるに違いない。
あるいはメイドを屋敷に忍び込ませ、仲間の引き入れさせるという手口が知られる事を恐れた可能性もあった。別の暗殺任務も平行して動いていたようだから、次なる標的に警戒感を与えないため処置だったのかも知れない。
要するにクロエは捨て駒だったのだ。最初から使い捨てる気で屋敷に送り込み、用が済んだら廃棄する。
クロエは将来有望な若手のホープだった。逆を言えば任務のためなら使い捨てても構わないくらいの評価しか受けていなかったのだ。
幸か不幸か、クロエは生き残った。優秀だった彼女は同世代よりも先んじて毒物の訓練を始めていたから耐性が出来ていたようだ。
生き残ったクロエは捕縛された。そこで尋問官と司法取引をし、<里>の情報を流す代わりに減刑を受けた。
ともあれ信じていた仲間達、特に愛してくれていたはずの両親――里の幹部だった父がクロエの任務の結末を知らなかったはずがない――に裏切られた事で一つの真理に辿り着いた。
――役に立たなければ捨てられる。
例え戦士として優秀でも所詮は替えの効く存在でしかない。
だからヒロトに拾われた瞬間から、彼女は懸命に働いた。昼夜問わず屋敷を警備し、外出すれば影から付いて回る。捕らえた密偵や見込みのある子供に暗殺術を仕込んで配下にし、さらに潜入時代のスキルを活かし、炊事洗濯といった家事全般まで請け負うメイド部隊まで組織した。
クロエは優秀だが、その能力は凡百から抜け出たものではない。
キールのような卓越した指揮官でもなければ、ルークのように部隊の象徴になれるような突出した戦士にもなれない。
クロエは他の誰かでも出来る事しか出来ない。だったら数をこなすしかない。常人の十倍、あるいは百倍と献身的に働けば凡百を超えられるかも知れないと思ったのだ。
クロエの献身はかつてのトラウマ、脅迫概念によるものだった。
その努力を認められ、ヒロトの眷属になれた時は本当に嬉しかった。トラウマも多少は薄らいできていたのだが、近頃、あの時の恐怖が再び鎌首をもたげてきた。
それは<逆十字教会>との会合で出会った<大天使>アルファエルを目撃したからだと思う。
かの大天使は五ツ星級という圧倒的な戦闘能力を持ちながら、醜悪なゴブリンと交わり子まで生した覚悟にクロエは圧倒されたのだ。
壮絶なまでの献身を見たヒロトは今の自分で満足してくれるだろうかと不安になったのだ。
クロエが敬愛する主人はそんな人間ではない。それは分かっている。しかし自分は<大天使>よりもずっと弱い。しかも戦力拡充に何ら寄与していない。
戦果がない。功績もない。今のままでは足りない。圧倒的に足りないのだ。
――命懸けで仕えなければいつか捨てられてしまう。
クロエは小さく息を吐くと覚悟を決めた。
「やっと見つけたよ、随分と手間をかけさせてくれたね……」
通路の先には半透明の少女が浮かんでいる。
愛らしかった顔は憤怒に彩られている。<死霊王>から放たれるおぞましいほどの殺意の波動。
これで認めてくれるだろうか。
これならきっと認めてくれるに違いない。
「……うん、待ってた」
空間さえ歪ませかねないそれを受け、クロエは肉食獣めいた壮絶な笑みを浮かべた。
<死霊王>プリム。<魔王城>の最高幹部にして、五ツ星級の<上級悪魔>さえも屠って見せた正真正銘の化物。
「私の、獲物……」
それをクロエは殺害する。




