魔王
この日、ダンジョン<魔王>は自らが盟主を務めるギルド<闇の軍勢>の戦略会議に出席していた。
レースの付いた黒いゴシックドレス、ヘッドドレス。濡れたような黒髪に同じ色の瞳、唇に引いた真紅のルージュが開かれている。
凄まじい美貌と存在感。王侯貴族が使うようなきらびやかな広間の中にあってそこから空気が暗黒に塗りつぶされていくように思えた。
「暁さん、魔物の育成状況は?」
酷く冷淡な声に、ダンジョン<暁の調べ>の朝日音羽は慌てて答えた。
「は、はい、魔王さん! い、育成は計画通りに進んでます」
「そう、私にはそう思えないんだけれども?」
美しい少女が口を歪める。余りにも整いすぎた容姿は時に冷たい印象を周囲に与える。実際、彼女もそうだった。圧倒的な美貌はこの世ならざる存在を連想させた。
<魔王>。彼女と相対した者は必ずその言葉を口にする。
有り得ない事だった。彼女は三年前まで自分達と同じ学舎に通い、普通に青春を謳歌してきた学生だったはずなのだ。まだ二十歳にもならない子供のはずなのである。
しかしながら魔王から放たれる強者の気配というのは他を圧倒している。なまじ侵入者の戦闘能力を見抜けてしまうダンジョンマスターだからこそ分かってしまう。
圧倒的に強い。
レベル三二。それが現在の<魔王城>のダンジョンレベルである。
ダンジョンマスターの戦闘能力はダンジョンレベルに比例している。ダンジョンがレベルアップする毎に取得できるスキルの数やステータスが増えるからである。
百位以内のランカーダンジョンでさえ十台中盤、ダンジョンの頂点に位置するナンバーズになってようやく二〇台に届くという状況にあって、このレベルが如何に桁外れなのかが分かるだろう。
「あら、違っているかしら?」
魔王の問いに誰も異議を挟めない。当たり前だった。事実、<暁の調べ>の育成状況は遅れているのだから。
ギルド<闇の軍勢>の資本金は九五〇〇万DP。次回の年間王者決定戦ではその全てを使い切る予定である。
そのDPは全て召喚モンスターに当てられる。使用するのは<魔王城>が召喚可能な人狼系、吸血鬼系、巨人系、死霊系の四種族のベースとなる一ツ星級の初期モンスターだ。いずれも特定の条件が揃わなければ召喚できない<隠れ種族>であり、高い戦闘能力や潜在能力を持つ事で知られている。
これ等のレア種族をを大量召喚し、ギルドメンバーのダンジョンに派遣し、渦などを使ってパワーレベリングを施す。
そして三ツ星級の魔物にまで進化させてから戦場に投入するのだ。
魔物の群れをギルドメンバーのダンジョンが受け入れる。ダンジョン内に大量の<魔物部屋>や<渦>を作り、モンスターを倒させて育成するのだ。そして進捗状況が悪ければ部屋や渦を増産し、次回のギルドバトルまでに必ずや全個体の進化を終わらせる。そういう手筈になっていた。
「ねえ、暁さん。計画では既に一五〇〇匹の<人狼>が生まれていなければならないはずよね? それなのに未だに一〇〇〇匹しかいないのかしら?」
今は九月も終わり。育成開始から既に五ヶ月が経過しており、一二月末に開催予定の年間王者決定戦まで三ヶ月しか残っていない。
<暁の調べ>では二〇〇〇匹もの人狼系一ツ星級モンスター<ガルー>を受け入れていた。コボルトを大きくしたようなモンスターだが、進化すると下級の人狼、二ツ星級の<ライカンスロープ>になる。そこから二回目の進化によってようやく三ツ星級モンスター<ウェアウルフ>へと進化するのだ。
「そ、それは……必要な経験値が多くて……」
優れた感覚と素早い動きが特長の人狼系モンスターは罠や敵の動きを察知したり、敵をかく乱したりするのに向いており、ギルドダンジョンでは斥候の役目を期待されている。
また鉄さえも用意に切り裂く鋭い牙や爪による一撃は非常に強力であるため、いざ戦端が開かれれば敵を蹂躙するアタッカーにも成り得る重要な存在だった。
唯一の弱点は進化やレベルアップのために必要となる経験値が他種族に比べて多い事だった。人狼系は<隠れ種族>と呼ばれるレア種族であり、素早く索敵能力に優れ、近接戦闘までこなせる<当たり種族>なわけだから必要経験値が他のモンスターと同じであるはずもない。
そんな二〇〇〇匹もの上級モンスターを僅か半年で二段階進化させるのは確かに無理難題と言えるだろう。
しかし――
「経験値が足りないなら<魔物部屋>や<渦>を増やせばいいだけでしょう?」
魔王の言う通り、ダンジョンに更なる設備投資をし、必要な環境を整えてやればいいだけの話なのである。
「で、でも、もうウチのダンジョンは配置出来る施設が一杯で……これ以上、増やすとダンジョンバトルに使っているエリアが――」
「そう、じゃあ要らないわね」
魔王がそう言った時、会議室に<暁の調べ>の眷属と思しきピクシーが入ってくる。
「大変だよ、オトハちゃん!」
「ごめん、今それどころじゃ……」
「違うんだ、人狼が! <魔王城>の連中がダンジョンで暴れまわってるんだ! このまんまじゃダンジョンを攻略されちゃうよ!!」
「なッ!?」
騒然となる会議室。どのダンジョンも魔物の群れを受け入れたが、それは絶対に攻め込まないという約束があったからだ。
暴れているのは高い戦闘能力を誇る人狼系モンスター。その数二〇〇〇匹。そんな軍勢に襲われたら序列百位以内のランカーダンジョンだって攻略されかねない。しかも育成部隊を受け入れてから五ヶ月が経過した今、ダンジョンの属性や内部構造まで知られてしまっている。ランカーダンジョンですらない<暁の調べ>なんかひとたまりもない。
「ひ、酷いです! いくら育成が遅れているからってこれはあんまりです!」
オトハが抗議すれば他のダンジョンマスターも声を上げる。
「そうだ、酷いじゃないか!」
「襲わないって言ったのに!」
「嘘を吐いたのか!」
「契約違反だぞ!」
一方、魔王は赤いルージュの引かれた唇を三日月形に歪める。
「貴方達、何か勘違いしていないかしら?」
静かな詰問。その瞬間、ダンジョンマスター達は全身を切り刻まれたような感覚を味わった。
圧倒的な殺意。それは魔王から放たれる殺気であり、背後に立つ四種族の眷属<魔人狼>、<真祖吸血鬼>、<巨いなる暴君>、<死霊王>から放たれる殺意でもあった。
それは議場に居る一九名のダンジョンマスターとその眷属達、それ等、全て殺戮してもなお余りあるほどの武威がそこにあった。
あまりの恐怖にオトハがその場にへたり込む。
「<暁の調べ>は自ら二〇〇〇匹もの人狼を受け入れると言ったのよ? そしてギルドバトルまでにはその総てを<ウェアウルフ>に進化させると豪語してみせた。
それが蓋を開けてみれば成果を上げられないばかりか、この場で虚偽の報告さえしてみせる。
それを問い詰めれば渦が足りないなんて言い訳にもならない事を言うって、改善する事さえしない。
ねえ、これって重大な契約違反じゃないかしら?」
魔物の育成は受け入れ側にもメリットがある事だった。何せ二〇〇〇ものモンスターをダンジョン内に安全に留め置けるからだ。
ダンジョンシステムは育成対象である<魔王城>所属のモンスター達を強力な侵入者と判断し、毎日大量の迎撃ボーナスを与えてくれる。
つまり、受け入れ側のダンジョンには毎日大量のDPや経験値が得られるわけなのだ。
その恩恵は凄まじく、受け入れ前は序列三〇〇位台を行ったり来たりしていたミドル層のダンジョン<暁の調べ>でさえ一〇〇位中盤にまでランクアップを果たしていた。
もちろんダンジョンレベルも上昇しており、手持ちのDPだって有り余っているはずである。真面目にやれば育成が遅れるなんて事は有り得ない話なのである。
「さあ、皆さん教えてくれる? 本当に酷いのは誰かしら? ダンジョンを拡張したいなんてふざけた理由で契約履行を拒み、虚偽の報告までした<暁の調べ>かしら?
契約を守らせるために致し方なくダンジョン内にいる経験値を取りに行かせた私かしら?」
魔王は愚か者を武力によって押さえつけ、理屈によって捻じ伏せる。
「ご、ごめんなさい、許して……ください……」
「別に謝罪は要らないわ、この遅れをどう取り戻すか教えてくださる?」
「一部のオブジェクトを潰して育成部屋の数を倍にします! ですから、どうか……」
「二倍では足りないでしょう? 一〇倍ね」
「で、でも、そんな事をしたら……」
「今ある施設を全て潰せば余裕でしょう? 育成が終わったら作り直せばいいだけじゃない……何か問題でも?」
壮絶な笑みを浮かべ、魔王が尋ねる。
「――ヒッ……は、はい、仰せの通りに致します」
「結構。ウルト、人狼部隊に止めるよう指示を出しなさい。ああ、暁さん、安心して? わざわざ貴女がダンジョンの施設を取り壊さなくても、此方で徹底的に破壊しておくから。ええ、どうせ一時間は命令が届かないんだから」
オトハは顔面を蒼白にした。ダンジョンシステムでは遠征部隊に命令を送れるが、そこには一時間ほどのタイムラグが発生する。
その間、<暁の調べ>は二〇〇〇匹という人狼モンスターに蹂躙され続けることになるのだ。今いる魔物は全滅するだろう。ダンジョンメニューを使えば罠や宝箱などの移動可能なオブジェクトは待機スペースに移動可能だが、アイテム類を略奪されたらその限りではない。
「それと、暁さんは未進化個体の育成に忙しいようなので、進化済の一〇〇〇匹を他の方に振り分けます。余裕がありそうなのは……そうね、孤高さん、ギルティさん、バードストライクさん、ブルーリボンさんで育成を引継ぎなさい。僅かでもレベルを上げておいて」
魔王の口から上がったのは四ダンジョンの主は不敵に嗤って頷いた。
この四ダンジョンはギルド<闇の軍勢>の最古参だった。前回のダンジョンバトルで一ツ星級にランクが下がった際にも追放される事なくギルドに残り続けた信頼厚い幹部とでも呼ぶべき存在である。
彼等はいずれもギルド設立前からランキング上位にいたランカーダンジョンであり、今ではナンバーズの座を虎視眈々と狙う野心家でもあった。
ギルドバトル後に加入した<暁の調べ>とは異なり、ギルド立ち上げ前から交流があり、魔王の苛烈な気質を熟知していた。こういった事態が起きる事を見越していたようで育成を前倒しにしており、追加分を受け入れる余裕は充分にあるのだった。
「お、お許しください! そんな事をしたら……ダンジョンの、復興が……」
育成済の魔物達にダンジョンから去られでもしたら収益は更に下がってしまう。それはそのままダンジョンの復興の遅れを意味する。
「面倒くせえな。魔王さんよ、こんなダンジョン、もう潰しちまえよ」
「確かに、これだけ迷惑をかけておいてその台詞はないよね?」
「進化すれば収益は増える。DPが欲しいなら最初から真面目に育成しておけば良かったんだし」
「何なら残りの五〇〇匹もこちらで引き受けますぞい?」
先の見えない無能。幹部連中がオトハに下した評価は辛辣なものだった。
幹部達の言う事はある意味で正しい。一ツ星より二ツ星、三ツ星級の魔物の方が撃退ポイントは高くなる。
ダンジョンを発展させたいのなら一刻も早く<ウェアウルフ>にまで進化させれば良かったのである。きちんと育成を終えてさえいればギルドバトル開始まで毎日三ツ星級二〇〇〇匹分の迎撃ポイントが得られた。
「暁さん、これ以上、私を失望させないで」
オトハはその場に泣き崩れる。その姿を幹部達はいやらしく嗤う。
飴と鞭。有能な者、優れた功績を挙げた者には惜しみなく報い、無能な者あるいは罪を犯した者は徹底的に断罪する。
甘やかせば風紀は乱れ、痛めつけすぎれば人は離れていく。
苛烈さと公平さ、指導者はこの姿を見せ続ける事が必要なのだ。
「他にも危なそうな方が居たら仰ってね。数を減らすなり、対策を打つなりしますから」
魔王はそう言って冷たく笑った。
その貌はいっそ壮絶なまでに美しかった。




