資産
――そりゃ鉄製だからねぇ……。
ヒロトは残念なものを見る目でディア氏を見た。彼女の三文芝居を見続けるのも楽しそうだが、調子に乗ってとんでもない事を仕出かしそうである。
ヒロトはその場で足踏みをする。なるべく踵を使って音を出すように工夫する。洞窟の反響効果もあり「ぐふ、ぐふふ……でも痛い……!」と玉座で呻いていたディアも気付いてくれたようだ。
しばらく足踏みを続け、相手方の準備が整っただろうタイミングで歩き出す。
件のディアさんは玉座の斜め前あたりで豊かな胸を誇るように立っていた。モデル立ちというやつである。ヒロトはこの時点で笑いそうだった。
「あれ、どなたですか」
素知らぬ顔でヒロトは尋ねる。
「失礼しました。<迷路の迷宮>様。ご不在でしたので勝手に上がらせて頂きました」
すちゃっと眼鏡の位置を直すディアさん。
「……そ、そうですか、初めまして、私は深井博人です」
「ご丁寧にありがとうございます。ディアと申します。そのままディアとお呼びください」
「分かりました。僕の事はヒロトと呼んでください。えっと……ディアさん、は、一体何者ですかね」
「先ほど皆様にご挨拶させて頂いた迷宮の神ラビリンスの部下になります。ヒロト様を始めとする新たなダンジョンマスター様をサポートしていく役目を仰せつかりました」
「あ、ヒロトで良いですよ? とにかく、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「微力ながら精一杯努めさせていただきます。今後ともどうぞ宜しくお願い致します」
「はい、よろしくお願いします」
日本っぽい挨拶合戦を終え、帰宅を促す。本来ならお茶の一杯でもという所だが、嗜好品の類はないし、折り目正しく対応し続けるディアにヒロトの腹部は限界を迎えていた。
ディアが時折、さりげない動作の中で手首をさするからだ。
――まだ痛いんだ……。
こちらはお腹が痛い。眉間辺りが軽く痙攣しているが、鋼の意思によって押さえ込む。ディアには気付かれていないはずだ。
「では、これで……」
「ところで……」
ヒロトが早く帰れ的な雰囲気を醸し出した所で、ディアが口を開く。革張りの手帳を開いてページを軽く流し見る。
「ヒロト様は地球に居た頃、多くの資産を持っておりましたね」
黙って頷けば、ディアは満足げな表情を浮かべた。貴方の事なら何でも知ってますよと言わんばかりだ。ヒロトもまた僕も貴女が案外おっちょこちょいなのを知ってますよ、と言いたくなったが我慢する。
「そのためヒロト様がお持ちだった資産を我々のほうで補填する事になりました。ご安心下さい。他のダンジョンマスターになられた方々にも同じく資産補填を行っています」
ヒロトの心情など知る由もないディアは続けた。
「まずは簡単なものから。ヒロト様名義の通帳口座残高、さらに有価証券、株式などを転移時点での価値に換算しました。査定額は約五億五〇〇〇万円ほどとなります。一ガイア一万円としまして五五〇〇〇ガイアとなります。どうぞお受け取りください」
どん、と出されたのは大量の硬貨だった。金貨や銀貨、銅貨などが綺麗に並んでいる。更にその横には光を浴びると真珠のように七色の光を放つ不思議な硬貨が積み上げられている。それぞれの価値を聞いていくとこの真珠色の硬貨は<ミスリル>で出来ているらしい。一〇〇ガイア――およそ一〇〇万円――の価値があるらしい。
「こんな大量のもの……どうすれば……」
「ダンジョンの宝物庫管理を使えばいつでも出し入れ出来ますよ」
困ったヒロトにディナがアドバイスをする。ミスリルの硬貨を摘み「<入庫>」と唱えれば次の瞬間には手の平から硬貨は消えていた。
「<出庫 一〇〇ガイア>」
するとミスリル硬貨が手の平に現れる。
「ダンジョンメニューの宝物庫管理画面からですとこれまで入れていたアイテム類を見る事も可能ですよ」
「おお、ガイアに来て初めてファンタジーに触れた気分!」
ヒロトが興奮気味に言うと、ディアが微苦笑を浮かべる。ダンジョン拡張やスライムの召還などはそれには玉座から操作していた。そのため部屋が瞬時に出来上がったり、何もないところから魔物が生まれたりなんてファンタジーっぽい光景を見る事が出来なかったのである。
「喜んで頂けた様で幸いです。続けて車や不動産などを補填致します。が、文化や技術レベルが異なるため全く同じ物を、という訳には参りません。申し訳ありませんが、代替品を用意しておりますので一度ご確認頂ければと思います」
「なるほど。助かります……ちなみにですが、さっきのお金とか資産をDPで補填してもらうって事は出来ますか?」
「申し訳ありませんが、DPでの補填は致しかねます。ご了承ください」
折り目正しく頭を下げるディナさん。
「そうですか……分かりました」
「ありがとうございます。それではヒロト様のご都合が合えば今すぐ紹介したいのですが」
「はい、お願いします……でも、どうやって?」
「私の権能を使ってヒロト様を一時的に地上へと転移させます。申し訳ありませんが、お手に触れても?」
ヒロトが頷けば、ディアは恐る恐るといった雰囲気で肩に触れる。
瞬間、世界が歪んだ。
「こちらが該当の物件になります」
そうして連れて来られたのは煉瓦造りの建物だった。赤茶けた壁に木枠の窓、西洋瓦は薄灰色、少し古い感じがするがそれを劣化と捉えるか風情と見るかは人それぞれであろう。
屋敷に入る。壁はややクリームかかった白漆喰。玄関には靴置きがあり、どうやら土足厳禁のようだ。
まず案内されたのは南向きのリビングである。軽いホームパーティくらいなら余裕で開けるくらいに広い。高い吹き抜けの天井、暖炉、アンティーク調のテーブルに革張りのソファー。オーク色の床には赤い絨毯が敷いてある。
「ずいぶん綺麗ですね」
「リフォームしましたから」
ディアは端的に答えると部屋の奥に案内する。食卓があり、その先にキッチンが続いている。
「家具や設備はそのまま使用できます。続いて水回りです」
キッチンに通されると中々広い。火は竈だろうと思っていたらコンロっぽい魔導具が置いてあった。魔力を流せば火を出る仕組みらしい。水道も同様だ。捻るのではなく魔力を流せば水が出る。
勝手口から出るとすぐ近くに手押しポンプ式の井戸があった。リフォーム前の名残であるらしい。
コンロはもちろん手押しポンプだって日本では大正時代に入ってから普及したものであり、西洋ファンタジー世界のくせして随分と近代的な設備だと思った。
リビングを出て廊下に移動。脱衣所を通り、風呂場へ。大人三人が並んで入れそうなバスタブだった。お湯を出すための魔導具が壁の中にあるらしい。
続けてトイレ。水洗式の陶器のトイレだ。風呂とトイレが別々なのは日本人的に非常に嬉しい。流石に温便座やウォッシュレット機能までは付いていないようである。
階段を昇ると吹き抜け部分からリビングの様子が見えるようになっていた。
「主寝室です」
南向きの主寝室は二〇畳以上の広さがあった。キングサイズのベッドが小さく見えた。控え目なシャンデリアがあり、大きな執務机と本棚がある。奥はウォークインクローゼットになっており、収納力は抜群だった。二階部分には他にも客間が三つもあり、それぞれ一〇畳ほどのスペースにベッドに机、クローゼットが付いている。嬉しいのは二階にもトイレがあった事だろう。夜中に尿意を催しても階段を上り下りせずに済む。
「地下室も用意しております」
気温や湿度が安定している地下室はある程度の屋敷には必須の施設なんだそうだ。
地下室の広さは三〇畳ほど。流石に食料やワインは置いていなかったが、その分だけ広く感じられる。ちょっとしたスポーツぐらいなら余裕で出来そうだ。
「屋敷の方は以上です。続いて庭へご案内します」
屋敷から出る。芝生の庭が付いている。花壇には見た事もない白い花が植えられていた。星型を縦に伸ばしたような、異世界っぽい不思議な形の花びらだ。
最後は車庫。三台分のスペースがあり、荷運び用っぽい幌馬車に装飾の凝らされた豪華な箱馬車が並んで駐車されていた。ヒロトの家では軽トラとセダンを保有していたが、その代わりなのだろうと思った。
「馬はゴーレムホースです。一日に二〇〇キロほど走ります。魔力を流すか、外に置いておく事でも回復もします。以上ですが、いかがだったでしょうか」
日本に居た頃の不動産や車といった資産価値は五〇〇〇万円にも届かなかったであろう。しかしこの立派なお屋敷はどうだ。高級品と思しき馬車二台まで付いてくるという。
二人は屋敷に戻り、ソファーに座る。テーブル越しに対面する。
「あの、本当に、いいんですか? こんなすごいお家、貰ってしまって……」
ヒロトはこの屋敷がすっかり気に入ってしまっていた。部屋は広くオシャレ、日当たりもいいし、家具だって揃っている。食料品さえ買い込めば今日からでも住めてしまうほど充実した設備を誇っているのだからある意味当然と言えた。
「ええ、問題ありません。奪われた資産の補填ですから、以前より価値が下がってしまっては逆に問題になります。それに皆さんはこれから何十年、長い方ですと百年以上もダンジョン経営を行ってくださる協力者です。こんなつまらない事で悪感情を持たれても逆に損というものです」
長いまつ毛を瞬かせながらディアが言う。公共工事などで立ち退きを依頼する場合、利権者には相場よりも高い買い取り額が提示される事が多い。強制的な異世界転移という事情も加味されたのかもしれない。
――奪われた資産……か。
意図しての事なのだろう。ディアの発言により迷宮神の発言――ヒロト達の死因が核ミサイルでの死亡という説明――が嘘である事が分かってしまった。そもそも死んでいたなら資産を補填する必要がない。
ヒロトに日本への未練はない。それどころか人生への未練も。家族は全員亡くなっており、親戚一同とは疎遠になっている。
新天地で人生をやり直すぐらいの気持ちでいられる今の方が精神衛生上、楽かも知れない。心残りがあるとすれば親友であるショウと離れるぐらいの事だったが、彼もまた一緒に転移している。少し早めに卒業式を迎えたようなものだ。気軽に会いに行ける状況ではないが、ダンジョンマスターには寿命がないみたいだから、お互い生きてさえいればいつかまた会えるだろうと信じたい。
「ありがとう、ディアさん」
ヒロトは素直に感謝を述べるとディアはどこか申し訳なさそうな、気まずいような、悲しんでいるような、そんな何とも言えない表情を浮かべた。
何となくこの人は信頼出来そうだ、とヒロトは思った。
「お気に召して頂けたようで何よりです……」
「あの、何か問題が? ……例えばえっと、欠陥住宅とか……?」
「神々の権能を使って改修しましたから欠陥はありません。むしろ<不壊>と<維持>を付与されており、ちょっとした砦や要塞なんかより頑丈ですよ。震度七クラスの大地震が一〇〇回来ても耐えられる設計です」
「まさかのミサワホーム超え!? じゃあ呪われた土地で、実はお化けが出るとか……」
「出たとしてヒロト様はダンジョンマスターです。霊的に高位の存在ですから夜間にしか顕現出来ないような低級霊など怯えて逃げ去ってしまうでしょう」
ほっと息を付く。では問題とはなんなのだろうか。
ディアは眉を寄せると頭上のシャンデリアを見上げたまま固まった。時間が掛かりそうだと思ったヒロトは蛇口やコンロに魔力を流し、お湯を用意していた。
戸棚にあったティーカップにお湯を注ぎ、リビングのテーブルに置く。
「すいません、お茶を切らしていて……」
「こ、これはご丁寧にすいません……っていつの間に?」
「ちょっと喉が渇いたので……海外で生水はダメっていうじゃないですか」
「ヒロト様は意外と自由なんですね……」
ディアは微苦笑を浮かべた。何だか吹っ切れたようなすっきりとした笑顔だ。
「……私は新しいダンジョンマスター達のサポート役です。聞かれた事に誠実に答える立場にあります。しかし、聞かれていない事は教えられない。担当毎に差があっては不公平の元になりますから……ですので、ここから先は私の独り言です。アナタは何も聞かなかった、そういう事にしてください」
ヒロトは黙って頷いた。
「この邸宅は文字通り転移によって失われた資産を補填するための不動産です。場所は<ガイア>における大国の一つ、オルランド王国が王都<ローラン>。一般庶民の住まう三等区ですが大通りにも近く利便性は非常に高い。けれどこの世界の交通事情は地球のそれとは全く違う」
ヒロトが頷いたのを見て、ディアは懇切丁寧な独り言を続ける。
「日本のように隣接する他県から出勤しようなんて事はまず出来ません。王都から南に向かう街道は最寄の宿場町でさえ徒歩一日、馬車でも半日近く掛かってしまう。近隣の地方都市、つまり隣の県に行くだけで一週間近く掛かってしまうのです」
交通網が発展していないのは中世ファンタジーではテンプレートみたいな設定だ。だから主人公はドラゴンの背に乗ってみたり、空間魔法を覚えて<瞬間移動>を使ったりするのである。ついでに敵の固定観念を逆手にとって自戦力を高速移動させて奇襲、度肝を抜いたりするまでがお約束と言ってよいだろう。
逆を言えば竜を飼い慣らすとか、それこそ<瞬間移動>のスキルを身につけるとかしない限り、王都以外にダンジョンを興せなくなるわけだ。王都にダンジョンを作らない以上、この屋敷は事実上、利用できなくなってしまう。
「しかし、王国は大陸屈指の大国の一つ。その首都であるローランは大きな港を有する交易の中心になっています。また霊峰ローランから齎される大地の恵みと清らかな水源、大陸屈指の穀倉地帯でもある。
人や物が行き交うだけでなく、様々な霊脈が重なり合う特異点というべき場所であり、溢れ出るマナは豊かな恵みを齎すと共に多くの強力な魔物を呼び寄せてしまいます。
そのため魔物に対抗する冒険者達のレベルも相応に高くなっており、右も左も分からない初心者が生き残れるほど甘い土地ではありません」
かつて王都近郊にあったダンジョンは一つを覗いて全て駆逐されてしまったという。それほどに冒険者レベルが高い。
「王都にはダンジョンは作れない、作れるけどすぐに滅ぼされてしまう……か。どうしたらいいでしょうか? 売って都合のいい別の場所に家を買うとか?」
ヒロトが尋ねるとディアはこちらに顔を向け、
「そうですね、この邸宅ならば一万ガイア……日本円にすると一億円はくだらないでしょう。しかし、不動産売買にはとても時間が掛かります。売買に専門知識をもった仲介人を立てたとしても契約や打ち合わせなどで何度も足を運ぶ必要が出てきます」
日本でも不動産売買には詐欺などを防止するため事細かな契約書を交す。煩雑な法手続きのためには専門家の協力が必要なわけで、人を使うなら打ち合わせ等々で度々連絡を取る必要がある。他所の土地に居られても困るというわけである。
屋敷を売るなら最低でも三ヶ月、長ければ年単位で王都に釘付けにされる事になる。ダンジョン経営に関係のないお金のためにそこまでする価値はないといえよう。
「どうしても住みたいというのであれば、しばらく賃貸に出しておき、その間に別の土地で力を溜めるべきですね。他のダンジョンを攻め滅ぼし、ダンジョンコアを手に入れる事が出来れば王都にもサブダンジョンが作れます。ダンジョン間であればダンジョンマスターとその配下のモンスターは転移可能ですから、その時に転居すればいいのです」
「そういえば何で王都にダンジョンを作ると見つかってしまうんですかね……」
「王都は交易の拠点になります。人の出入りは激しく、余った土地などもありません。王都近郊にダンジョンを作るとそこの住人や地権者、管理人等にすぐに見つけられてしまうのです。
またこの地は魔物にとって魅力的な土地ですから、住民達も気を付けるようにしている事もありますね。そして一度、発見されれば終わりです。速やかに腕利きの冒険者達により討伐部隊が編成され、ろくな抵抗さえも出来ずに駆逐されます。つまりそこら辺の空き地や空家に入口を作っても無駄だ、という事です」
かつては王都の下水道内にダンジョンを作った者が居たそうだが、地下は地下でスライムなどのモンスターが出るため定期的に冒険者が見回っている事から発見されてしまったという。
発見まで僅か二年。空き地に建てるのに比べれば遥かに長く持ったそうだが、地脈から得られるDPだけではダンジョンを成長させて行く事は難しい。経営に最も重要なDPは基本的に冒険者を倒す――もしくは撤退させる――時に手に入るからである。
ダンジョンを成長させなければ冒険者は倒せない。しかしダンジョンを成長させるには冒険者を倒すしかない。高位の冒険者ばかりが住まう王都で新規ダンジョンを経営して行く事がいかに難しいか分かろうというものである。
「じゃあ、その家の住人に了解してもらえばいいんじゃ……」
その時、ディアは首を横に振った。
「ダンジョンは人類の敵ですよ、どうやって住人の了承を得るのですか? 言っておきますが、ダンジョンマスターは須らく賞金首ですよ。通報するだけで報奨金が出るくらいです」
ダンジョン経営を舐めてはいけません、ディアがしかめつらしく言う。
ヒロトはしばらく首を傾げ、こう言った。
「でもこの家って……僕が家主なんですよね?」
ディアは良く出来ましたとにっこり笑った。