八戸将
「いつの間にこんなものを」
ショウはモニター越しに見える城壁を忌々しげに睨みつけた。灰色の小さな砦、半年前のダンジョン進攻では見られなかった建築物である。砦の規模としてはそれほど大きなものではない。五〇〇人も収容できれば御の字といったところである。
ダンジョンの一斉蜂起に欠かさず参加する<ハニートラップ>の部隊を防ぐために急遽、建設したようだ。その証拠にずいぶんと安っぽい造りをしている。ただの<土壁>を重ねて屋根を取り付けただけの簡素な障害物。装飾の類は一切なく、尖閣にグラニテ王国旗が申し訳なさそうにゆらめいているだけだ。
「くそ、魔法か……」
ショウは悔しげに呟く。
この世界には<魔法>という概念がある。そして魔法によって作られた物はそのまま残留し続けるというのが基本原則にある。例えば松明に魔法で火を付けると魔力が消えても灯りは残り続けるし、水魔法で水を作り喉を潤すことだって出来る。土属性の中級魔法<土壁>も同じようなものらしく、一度作られた壁は人為的に破壊するか、雨風に浸食されるまでその場に屹立し続けるのである。
更に<土壁>は発動場所にある土を使って壁を作るため、その場に石灰や樹脂、砂利を大量に撒いておくと魔法終了後はコンクリートとほぼ同成分の壁が残る。今回のように素早く陣地を構築したい場合に利用されるようだ。もちろん良し悪しで、城壁に装飾なんかは行えないし、石灰などの物資は通常の建設時と同量が必要だ。しかも貴重な魔術師を前線近くへ動員するリスクがある事からよほどの事がない限り実行される事はない。しかも鉄筋を入れる事は出来ないらしく見かけほどの強度はないという。
「まあいい、叩き潰すまでだ」
所詮は急造の砦という事だ。ダンジョン<ハニートラップ>が保有する五〇〇〇を超える大戦力の敵ではない。
現在、砦の上空には第一軍、およそ一〇〇〇匹からなる一ツ星モンスター<殺人蜂>が待機していた。殺人蜂は体長五〇センチほどの蜂型モンスターである。生命力こそ低いが、鋏のような牙は堅い樹木さえ断ち、強力な毒針を備え、飛行能力さえ保有する強力な飛行モンスターだ。
ダンジョン<ハニートラップ>における主力モンスターであり、これまで数多の村や町を壊滅に追いやってきた無敵の軍勢でもあった。
「あと二週間……」
今日は十一月三日だ。数日もすれば他ダンジョンマスター達も蜂起し始めるだろう。
ショウは彼等と歩調を合わせずに進攻を始めた。理由は簡単でナンバーズに返り咲きたいからだった。<ハニートラップ>のダンジョンランキングは現在十二位である。あと二つ階段を昇るだけでナンバーズに入る事が出来る。少しでも長く進攻を続け、ライバル達に差を付けたいという思いがあった。
<ポッキー賞味期限騒動>の開始日は十一月十一日だ。もう一枚のチケットを使って期間延長を行うと一月十一日まで進攻を続けられるわけだが、ランキングの集計は年末までなので若干、勿体ないのである。そのためショウはダンジョン進攻開始日を前倒した。他ダンジョンよりも一〇日間、長く魔物の群れを使用する事が出来る。
今の所、経過は順調だ。昨日も小さな村一つを壊滅させたばかりだ。事前に襲撃は察知されていたようだが、残された建物を徹底的に破壊し尽くした事により<村壊滅ボーナス>が付いた。これでまた一歩ナンバーズへ近づいたと言えるだろう。
指揮官モンスターから戦闘すべきかどうかの判断を求められる。
「潰すに決まってるだろう、自分で考えろよ……」
モニター越しにショウはため息を付きつつ手紙を投函する。ショウは貴重な時間が浪費されて行く事に苛立った。遠く離れた魔物の群れへの指示は手紙を通じて行われるのだが、届くまでに一時間ほどの時間が必要だ。更にダンジョンマスターの命令を指揮官が解釈し、戦術として雑魚モンスターに伝える事で作戦は決行される。殺人蜂の軍勢が動き出すまでにおよそ三時間というライムラグが発生してしまうのだ。
ようやく動き出した殺人蜂の群れ。それは雲霞の如く殺到し、砦へと襲い掛かった。
「よし、潰せ!」
これまで逃げ惑い、蹂躙されるだけだった人間共。今回も同じであろうとショウは思っていた。
しかし、今回だけは違っていた。砦に篭る三〇〇名の兵士――装備からしてグラニテ王国の正規兵のようだ――達は怯えた様子もなく矢を番え始めたのだ。
『構えぇ――放てぇ!!』
敵指揮官の命令で兵士達は一斉に矢を放つ。密集陣形を組んでいた殺人蜂が一〇匹ほど地面に叩き落された。
更に弓兵の横から杖を構えた魔法兵達が現れる。杖の先には小さな<火球>が生まれていた。
『撃て――ッ!』
直後、大空を爆炎が包んだ。直撃を受けた個体はおろか、爆発の余波により付近の魔物まで地面へと落ちていく。五〇発程度の火球では到底出せない威力だった。
「な……<魔法連鎖>だと!?」
<魔法連鎖>は同一スキルを同一タイミングで放つことにより発生するガイア固有の物理法則だ。連鎖が発生するとスキルの威力が高まり、更に有効範囲さえ広がる。また連鎖は重なったスキルが増えれば増えるほど効果や有効範囲が高くなり、五〇発もの魔法が連鎖した事で下級魔法である<火球>も大魔法<爆発>並の威力となったようだ。
「まさか魔法兵がッ!?」
ガイアにおける一般的な魔法連鎖の発動方法はこの魔法兵部隊による魔法一斉掃射であった。もちろん魔法使いさえ確保できれば発動可能という物ではなく、複数人が同じタイミングで詠唱を始め、同じタイミングで詠唱を終え、同じタイミングで発動させられなければならず、高度な魔法訓練を受けた兵士達だけが行使出来る戦術であった。
それは他者と連携する知性や社会性があり、数が多く一定レベルの魔法使いを用意出来る<人間族>ならではの戦闘技術と言えた。知性の低い魔物は当然不可能であり、魔法技術の低い獣人も無理であろう。高い知性と魔術への親和性を持つエルフ族では数を揃えられない。
何十という人員が号令一下、魔法を放った時の威力は絶大なものだ。矢による攻撃と火球の連鎖爆撃により九割方の魔物が散っていった。
生き残った一〇〇匹ほどの殺人蜂が城壁に取り付き、弓兵や魔法兵に襲い掛かるものの、彼等は得物を剣や盾に持ち替える事で対抗する。城壁に上る兵士の数は三〇〇名以上もおり、大抵は剣で叩き切られるか、背後から現れた槍兵に串刺しにされてしまって終わった。
ショウは唖然とした。苦労して作り上げた一〇〇〇匹からなる<殺人蜂>の軍勢が、僅か三〇分ほどの攻防で一掃されてしまったからだ。
『どうだ、これが人間の力だ!』
砦の兵士が勝鬨を上げた。
モニター越しの指揮官モンスターが戦闘を継続するかお伺いを立ててくる。
――何を当たり前の事を!
ショウは歯軋りをする。厳しい言葉で命令する。あの砦だけは絶対に潰さなければならない。
数時間経って次なる殺人蜂部隊に突撃命令が下る。指揮官とて無策ではなく、今度は部隊を薄く広げることで魔法連鎖を掻い潜るようにさせた。
今度は八割方が城壁に取り付く事に成功する。しかし、城壁にいる兵士達は敵を仕留め切れないと分かるや一〇名ほどの小部隊に分かれて陣形を組み始めた。
魔法連鎖を恐れて部隊を分散させた結果、攻撃は散発的にならざるを得ず、中々思ったような戦果が挙げられない事になった。
固まれば打ち落とされ、バラければ一匹ずつ倒されていく。兵士達はその状況に応じて得物を持ち替え臨機応変に戦った。盾兵が防御し、槍兵で距離を取る。後方の弓兵や魔法兵が殺人蜂を着実に仕留めていく。
ショウは玉座の上で地団駄を踏んだ。不甲斐ない自らの部下を罵りだす。
「休まずに攻撃しろ! 敵は寡兵だ! 攻め続ければいつか倒せる!」
命令は届いていないが、指揮官も同じ事を考えたのだろう、殺人蜂部隊が百ほどの小単位に分けて投入される。城壁に取り付くよりも早く次の部隊を投入する。兵士達は目の前の敵の対処で手一杯にさせる事で魔法の一斉掃射を行えないようにしたのだ。
徐々に天秤が傾いていく。殺人蜂が数で上回るようになるとちらほらと敵に被害が出始める。この戦略はある意味で正しかった。大軍で昼夜を問わず攻め立てれば損害は激しくなるが、相手方もまた同じように消耗していくだろう。
要するに数の力によって泥沼の殴り合いに仕立てたのである。そしてそうなった時、有利なのは数で勝る<ハニートラップ>側である。そして虎の子である二ツ星モンスター<殺戮蜂>の軍勢が差し向けられる。
殺戮蜂は強力な顎と毒針の威力はそのままに、弱点であった生命力の低さを強固な甲殻と大型化によって補った正に殺戮のために生まれたようなモンスターであった。体長二メートルを超える殺戮蜂は二ツ星級モンスターとされ、熟練の冒険者でさえ戦わないとされる。
そんな化物が群れを為して一斉に襲い掛かってきたのだからたまらない。兵士達は慌てて城壁から下がり、砦の中へ退散していった。
「よし、城門を開け放て! 全軍突撃!」
戦闘蜂が閂を破壊し、城門を開け放つ。生き残った殺人蜂が砦内部に侵入を果たす。
「逝け、殺せ! 中に居る人間共は皆殺しだ!」
兵士共をDPへと還元すべく探索を始める。
敵集団はすぐに見つかった。砦内部にある奥まった通路。三人ほどが通れる狭い通路を盾を構えた兵士で塞ぎ、槍兵、弓兵、魔法兵の順に並べるという陣形を取っていた。
『怯むな! 行け!』
指揮官の号令で弓兵や魔法兵が次々に遠距離攻撃を放っていく。生命力に劣る殺人蜂は次々と倒れていった。犠牲を承知で近づけさせれば盾兵が味方を守り、槍兵が魔物を貫く。
敵は徐々に後退しながら人員を入れ替えていった。仲間が怪我をすればすぐさま次の兵士が前に出てくる。回復薬で怪我を癒し、魔力を復活させれば戦線に復帰する。
敵の組織的な反攻に対し、こちらは狭い通路一杯に魔物を並べて突撃を繰り返すだけ。徐々に犠牲が増えていく。
持久戦が再開される。
「クソ、いつ崩れるんだ……」
一〇分が経った。二〇も待った。三〇分も粘られた。それでもまだ落ちない。しかしここに来てようやく敵の動きが鈍り始める。
恐らく原因は魔法兵の魔力枯渇。休む間もなく続けられた攻勢についに魔力切れを起こしたのだ。火力が落ちたことで殲滅スピードが落ち、モンスターの攻勢に耐えられなくなっていく。
あと少しというところで数名の兵士が躍り出る。大盾を構えて殺人蜂を押し返した。その隙に通路の扉が閉められた。
「小癪な! 殺戮蜂、扉を破壊しろ!」
自重の軽い殺人蜂では頑丈な鉄扉を破壊できない。殺戮蜂が前に出る。彼等はその体格を活かして体当たりを行う。留め金ごと扉をぶち壊すのだ。
砦に轟音が響く。一度、二度、三度とぶちかましが続き、一〇を超えた所で扉が軋みを上げた。
「よし、後少しだ――ッ!?」
ショウが声を弾ませたその瞬間――
モニターが砂嵐に包まれた。その映像は配下モンスターの視覚情報を利用して投影されている。もちろん、システム的に保護された通信なので妨害される事はない。
「お、おい! どういう事だッ!? 誰か、変われ!」
モニターは上空に待機していた魔物の視界へと移り変わる。
それはつまり、砦内部の魔物が全滅したという事だった。
「やられた……ッ」
そこには崩れ落ちた無残な砦の姿があった。鉄扉を抜くと砦全体が崩れるように設計してあったに違いない。砦内部に侵入させていた部隊は全滅しただろう。
一瞬にして部隊の半数以上が消失した。
遠く視線に目をやれば馬車に乗り、砦から遠ざかる憎き人間共の姿があった。
「追いかけ――いやだめだ、撤退だ……撤退しろ!」
指示を出しかけ、止める。しかし残る魔物は五〇〇を切っている。虎の子の殺戮蜂部隊も消えており、こんな状態で無闇に突っ込めば壊滅する可能性さえあった。
一見、一方的に人類を攻撃出来るように見えるダンジョン進攻だが、それなりに制限がある。もし指揮官が倒されてしまうと大幅なペナルティが課せられるのである。もしも指揮官モンスターが死にでもすればせっかく集めたDPが激減する事になる。
指揮官として任じている三ツ星級モンスター<鏖殺蜂>は冒険者なんか比較にならないほどの強さを持っているが、高い錬度を持つ王国軍を確実に全滅させられるかといえば不安が残った。
――これ以上は無理だ……期間延長して部隊を再編させるしかない。
チケットを使えば部隊を再編する事が出来る。ダンジョン内に残った予備戦力を援軍に向かわせるしかないだろう。
結局、ショウは部隊を整えるためだけに貴重な進攻チケットを使う事になった。再編後はそれなりの戦果を上げたものの、ライバル達を追い抜くには至らなかったのであった。




