留守番
箱馬車が次々に出立していく。四つの車軸にそれぞれ二つずつ付いた車輪が甲高い音を立てながら進む。
馬車を牽くのは高価なゴーレムホースであった。普通の馬に比べ遥かに力があるため荷運びには持って来いの馬であった。ちなみに箱馬車は車輪や躯体、壁に至るまで高い硬度と魔法防御力を有する銀で構成されており、下手をすればそこらの城壁よりも頑強な作りとなっていた。
兵士達はそれぞれ五人ずつが箱馬車に入っている。馬車にハンモックを並べるとそのまま居住スペースに早替わりだ。野宿よりはずっと楽だろう。戦いの時には馬車を敵陣に突っ込ませるもよし、並べて防壁にするもよし、使い道は無数にある。
物資は唸るほど用意した。予備の武器や食料、医療品がふんだんに積まれており、水や火を作り出す魔導具も入っている。もはや動く城と言っても過言じゃない。
それでも心配は尽きない。初めての遠征である。指揮官にはそれぞれ一〇〇〇〇〇ガイアを預けていた。不足が生じれば現地調達出来るだろう。
恐ろしいほど金をかけて安全策を講じたつもりだ。それでももっと打つ手があったのではないかとヒロトは早くも不安に駆られていた。
「あまり入れ込んではいけませんよ」
ディアの手が肩に触れた。まるで壊れやすいガラス細工でも触るような優しい手つきだった。
「分かってます、僕は大丈夫……いてっ!」
ヒロトが言うとウォルターが一歩近づき、頭を小突いてきた。
「どこが大丈夫じゃ。そんな真っ青な顔をしよって」
「ウォルター……」
「お主が心配せずとも子供達は立派に成長しておる。今やどこに出しても恥ずかしくない一角の戦士じゃ。それにルークがおる、キールもおる、何よりもワシが付いておるのじゃ何を心配する事があろうか」
銀色の戦鎧に身を固めた竜殺しが言う。
スタンピード討伐部隊に選ばれた五〇名は三〇〇名からなる奴隷部隊の中でも特に才能溢れた者達だった。
一般奴隷として買われた子供達が大半を占めている。本来なら経験を積んだ戦闘奴隷が選ばれそうなものだが、変に下地や癖のついてしまった大人よりも、素直で何の癖もない子供達の方が成長速度が高かったようだ。ウォルターという優れた先達の教えを受け、ルークという同年代に圧倒的な目標がいたのも彼らの成長を促した。ウォルター曰く単純な戦闘能力なら王国の近衛騎士にも匹敵するそうだ。
「それでも不安で……」
「ふん、このワシを舐めてくれるなよ?」
ヒロトが目を見開く。そこに人生に憂いた老人の顔はなかった。在るのは数え切れないほどの闘争に勝利し続け、竜殺しまで成し遂げた精悍な戦士のそれである。
「このワシが子供達を守ろう。だからお主は子供達の帰る家を守ってくれ」
「……分かった。ウォルターは子供達をお願いします。全員を生かして帰してください」
「命に代えても」
いつの間にか手を握っていた。今、初めてウォルターと心を通ったように思えた。
「それではな」
ウォルターはゴーレムホースに飛び乗り、箱馬車を追いかけていった。
「宜しくお願い致します」
ヒロトはその姿を見えなくなるまで頭を下げ続けていた。
日が沈みかけた頃、ヒロトはディアに促されて屋敷へと戻った。
「お帰り、主様」
「ただいま、クロエ」
屋敷に戻ったヒロトを出迎えたのはメイド服を来た黒髪の女性だった。黒いロングスカートにエプロンドレス。白いホワイトフリルを頭に載せたクラシカルなメイドである。
「今、お茶淹れる。座ってて」
クロエは気だるげに紅茶を淹れてくれた。仕事は終わったとばかり欠伸をこぼし、黒い尻尾を揺らしながらソファーに寝転ぶ。頭はヒロトの膝の上だ。
「破廉恥ですよ、クロエ」
「これが我が家のお作法」
獣耳をぴこぴこさせながらクロエが答えた。
「あれ、主様は膝まくらされる方がいい?」
「ノーコメントで」
隣から妙なプレッシャーを感じるので黙っておく。沈黙は金だ。
「ヒロト様、奴隷に優しくしすぎるのも問題ですよ。一部のお調子者が調子に乗ってしまいます」
「部外者は黙ってろ」
「私はサポート役ですから必要なアドバイスをしただけです」
「うるせえババア」
「クロエさん、少し死んでみます?」
クロエは慌ててヒロトの影の中に隠れてしまった。
「まったく……ヒロト様、本日はこれで失礼いたします」
「ディアさん、今日もありがとうございました。後でクロエはきちんと叱っておきます」
「気にしてませんよ。子猫がじゃれているだけですから」
ディアはそう言って姿を消した。瞬間移動である。
「あー怖かった」
「クロエ、少し失礼過ぎるよ。いくらディアさんに構って欲しいからってあんな態度じゃ嫌われちゃうよ」
「別に構って欲しい訳じゃないんだけど……まあ、主様らしくていい」
クロエは言って膝の上に頭を乗せた。彼女はスタンピード討伐部隊への参加を打診した者の中で唯一拒否した人物だ。
「主様を独り占めするいい機会」
そんな憎まれ口を叩いているが、実際にはヒロトの護衛役としてあえて残ったようだ。精鋭部隊が全て抜けた後、ダンジョンの戦力は激減する。国から危険視されている今、良からぬ事を考える者が現れないとも限らない。
少ない戦力でどうやって主人の安全を守るのか。そこで白羽の矢が立ったのがクロエだった。蛇の道は蛇に聞けばいい。元暗殺者である彼女ほど護衛任務にうってつけの人物はいない。
「寝ないでよ? 護衛なんでしょ?」
「安心して欲しい、御庭番衆は一人ではない。我等が居る限り、主様には指一本触れさせない……」
「はいはい、忍者ごっこ続けてたんだね」
ヒロトが以前、何となしに日本の話――特に忍者の話ーーをしたところ、クロエはその生き様に感銘を受けたらしく次の日には奴隷達の中から足の速い者や隠密行動に長ける者を選抜して一〇名ほどの部隊を作っていた。
戦闘能力はもちろん鍛えるが、それよりもクロエは前職の技能を徹底的に教え込んだようだ。普段はメイド服や執事服に身を包んで屋敷を守護し、市井に紛れて情報収集、いざとなれば人に言えない薄汚い仕事もやる。
いけ好かない奴隷商人であるジャックの見張り役を部下に任せる事も出来て一石二鳥だったそうだ。
「主様、大丈夫?」
時折、自己陶酔しながら厨二っぽい発言を繰り返すクロエに、ヒロトが思わず苦い顔になったのは仕方ない事だっただろう。誰にだって思い出したくない過去くらいある。
「う、うん、僕はもう大丈夫だから、クロエもあんまり無茶しちゃダメだよ?」
ヒロトは努めて笑顔を浮かべるのだった。




