出兵
この世界に連れてこられてからちょうど一年が過ぎた。この世界の暦は地球のそれと全く変わらない。閏年まで同じである。その事にヒロトは作為を感じずにはいられない。
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します」
玉座へ向けて丁寧な挨拶をするのはいつものセクシー秘書姿のディアであった。
「明けましておめでとうございます、ディアさん。今年もどうぞ宜しくお願いします」
ヒロトもまた丁寧に挨拶をする。
おめでとうと口にはしているものの、めでたい感じは一切ない。この世界に拉致されて一年が経過したという気分だ。それにヒロト個人としては正月がめでたくないのは今に始まった事ではない。交通事故によって家族を失ったヒロトにとってクリスマスやお正月は世間が盛り上がっている分、余計に孤独を感じてしまう。むしろ学校に行っている時のほうが気持ちが休まるくらいだ。
「みんな、元気だね……」
年の瀬も迫った一二月頃、ダンジョンメニューにある<掲示板>で二つのスレッドがあがった。一つ目は一二月二四日、恋人達の聖なる夜をぶち壊してやりませんか? というものだ。
二四日の未明からダンジョン進攻を行い、カップルの仲を引き裂いてやろうという企画である。参加条件は恋人が居ない人。この世界にはクリスマスなんてイベントはないため単なる暇つぶしだろうと思う。
二つ目は一二月三一日からダンジョンを出て初日の出を見に行きませんか? というものだ。
「確か<クリスマス大作戦>に<初日の出暴走>でしたか」
「そう、それ。皆よくやるよ、って感じ」
同時期に二〇〇ものダンジョンが一斉蜂起した事で各国は大混乱に陥っている。ダンジョン公開を記念して行われたスタンピード祭り――この時はおよそ三〇〇以上のダンジョンが参加した――に比べると規模では劣るものの、ダンジョン自体が成長している事もあって魔物の質は上がっており、厄介さではどっこいどっこいであった。
「まあ、ビジネスチャンスではあるんだけどね」
掲示板を通じて事前に話を聞いていたヒロトは懇意にしている奴隷商人ジャックと共謀して王国各地から武器や防具、食料といったものを買占めていた。
もちろんガイアの人々だって馬鹿じゃない。前回のスタンピード祭りを教訓に兵を鍛え、武器や糧食を確保し、更には各地に部隊を派遣する事で速やかにカウンターアタックを決められるよう準備していた。
人類側の用意周到な準備によって<クリスマス大作戦>はほとんどが鎮圧させられたという。もちろん、人類側の被害も相当なものだった。そんな疲れ切った人々へ今度は<初日の出暴走>が襲った。
恋人が居ない人限定で行われた<クリスマス大作戦>に比べ、<初日の出暴走>のほうが規模が大きく、各国も対応に苦慮しているらしい。被害を受けた部隊を再編成している最中だった事もあって後手に回っている。
間をおかずに行われたダンジョンの一斉蜂起にガイアの住人は終末思想に駆られているという。
そんな世情不安に踊らされる民衆を操るのは容易い事だった。身の安全を確保するため武器や食料、戦闘奴隷を買い求める人が殺到している。ジャックは嬉しい悲鳴を上げているんだそうだ。
「土地が荒廃すれば難民が増える。難民が増えれば身売りする人も出てくる。相場で儲けた金を使い、奴隷部隊を大きくする……悪辣ですね」
「返す言葉もございません」
「ヒロト様はダンジョンマスターでしょう?」
褒め言葉です、と言われたヒロトは困ったように頭を掻いた。
前回のスタンピード祭りによって多くの人々が故郷を失った。身売りする人々が溢れており、奴隷市場の相場は大幅に下落している。戦闘奴隷だけが高騰する一方、戦闘に適さない知識奴隷や一般奴隷が値崩れしている。この状況を予期していた先見の明がある連中は案外少なかったようで奴隷商人が事業に失敗して奴隷落ちする事案が各地で多発しているそうだ。
ヒロトは逆に値崩れした知識奴隷や一般奴隷を大量に仕入れては訓練を施す事でダンジョン運営に役立てていた。
「新規に購入した奴隷達はどうです?」
「特に知識奴隷が役に立つね。元商人さんは売り上げの管理だとか営業とか帳簿とか納税だとかを丸投げ出来る。職人さんだとダンジョン(うち)で取れるモンスター素材を使って武器や防具を作ってくれる」
シルバースライムの通常ドロップである<銀塊>は銀の含有率が高い鉱石となっている。それを精錬してインゴットを作り、高価な銀武器を作り出す事が可能になったのだ。
この世界において銀製武器は鋼鉄製の武器よりも優れている。どうやら魔力の含有率というものが原因らしく、それが価値や性能に直結するらしい。含有率は鉛や錫などの卑金属<鉄<鋼<銅<銀<金<白金になるそうだ。さらに上位にミスリルやアダマンタイト、オリハルコンといったファンタジーチックな金属素材へと繋がっていく。
つまり一般に銀製武器とは鋼の剣なんかよりも遥かに上位の武器となるわけでこのご時勢、需要が高まっている事も有って作れば作っただけ売れてしまうという状態だ。
シルバースライム狩りでレベルアップしたドワーフ奴隷達に作らせた武具は恐ろしく品質が良いと評判になり、迷路を意匠化したロゴマークと共に王都に住む冒険者達の憧れのブランドとなっていた。
『マスター、出陣の準備が整いました』
モニター画面からルークの聞き慣れた声が響く。
「そう、じゃあお見送りしなくちゃね。ディアさんも来る?」
「はい、参りましょう」
ダンジョンの転移機能を使って屋敷に戻る。主寝室の履き出し窓からベランダに出ればそこには整列した五〇名からなる奴隷兵士達が並んでいた。
陽光に煌く銀の甲冑、銀の兜。その一つ一つにドワーフ奴隷達が勝手に作った<迷路の迷宮>のブランドロゴが刻まれている。
「これよりご主人様よりご挨拶がある」
「総員、傾聴せよ!」
副官ポジションの元帝国兵士キールが声を張り上げる。
百の瞳に見つめられ、ヒロトはにわかに緊張した。
「えー皆さん、新年早々ご苦労様です」
気の抜けた挨拶に奴隷戦士達が仕方ないなあ、という顔をした。平和な日本で生まれ育ったヒロトは穏やかで優しい、ちょっぴり情けないご主人様だと思われているのだ。
行事の度に校長先生が長々と分かり難く頭に全く入ってこない挨拶をしていたのはこういう雰囲気にしたくないからなんだとヒロトは確信を得た。
とはいえ、今更原稿を書き換える時間なんてある訳もなく、ヒロトは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「皆さんはダンジョン進攻を止めたいと志願してくれました。誰かのために命を掛ける事が出来る。そんな部下を持ててとても嬉しく思います。
しかし遠征とは家に帰ってくるまでが遠征です。決して無理はせず、危なくなったらすぐに帰ってきてください」
戦いに行くというのにハナから逃げろと言われて奴隷達の士気が見るからに下がった。指揮官役のルークやキールでさえも呆れた様子だ。
――でもなぁ、これは絶対に言わないと……。
「もう一度、言います。危なくなったら逃げなさい。絶対に死なないで下さい。これは皆の主である僕からの絶対命令であり、願いです。皆は僕の奴隷ですが僕の大切な家族でもあります。皆はそう思っていないかも知れないけどね……僕はこれ以上、大切な家族を失いたくありません。ですから道中、気をつけて、無理をせず、絶対に僕等の家に帰ってきてください!」
屋敷が静寂に包まれた。
本音を言えば彼らを危険なスタンピードの討伐なんか向かわせたくなかった。しかし屋敷に引き篭もり、大量の銀製武器を生産し、奴隷を買い漁っては鍛え上げるという謎の奇行を繰り返す武器商人メイズ氏――ヒロトは巷でそう呼ばれているそうだ――が怪しまれないはずがなかった。
今はまだ明確に罪を犯しているわけではないため、王国政府は静観してくれているが、既に危険人物としてマークされていてもおかしくはない。
そのためヒロトは自らが危険な存在ではないと、王国の役に立つ存在なのであると証明せざるを得なくなった。幸か不幸か年末にかけて立て続けに起きたダンジョン進攻のおかげでその機会を得たのだ。
「本当なら君達を戦わせたくなんてない。安全な屋敷ですこやかに成長して欲しい。でも世間はそれを許してはくれません。
僕達は僕達の居場所を守るために戦わなくてはならない。こんな状況を作った僕がその責任を君達に押し付けるようになってしまったのは本当に申し訳ないとそう思います」
ヒロトは出陣する五〇名の一人ひとりと目を合わせた。その殆どが戦闘技能しか持たない子供の奴隷達であった。体は成長した。しかしどこかしらに子供特有のあどけない表情を残していた。
みんな大事な部下だった。確かに最初はダンジョンを成長させる糧として手に入れた。しかしいつしか大切に思うようになっていた。共に食卓を囲んだり、風呂に入ったり、今日は寒いねなんて会話をしたりしている間に情が移ってしまった。
この子達は少しばかり人懐っこ過ぎる。暖かな食事と寝床、清潔な衣服を与えただけでお父さん(マスター)なんて慕ってくれる。好意を持つなという方が無理である。
ーーそして僕はそんな可愛い子供達を戦場に送り出さなければならない。
情けなくて、恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうだ。
「回復薬は十分ですか? かすり傷一つでも負えばすぐに薬を使いなさい。携帯食は持ちましたね? お腹が減ったらすぐに食べなさい。寝具の類も忘れていませんね? おなかを冷やしたら風邪を引きますから絶対に気をつけるんですよ?」
「……ヒロト様、それではまるで世話焼きのお母さんです」
「ごほん、失礼しました。勿体無いからと薬をケチってはいけません。これは僕からの命令です。物資が減ったら戻りなさい。ありとあらゆる手段を講じて生き残りなさい。負けてもいい、戦果だって要りません。ただ生きて帰ってきてください。どうか、お願いします」
「うっ……ぐず……」
「ま、ますだー……」
子供達が泣き出した。
ヒロトはベランダから飛び降りると子供達を抱きしめた。何だかもうめちゃくちゃであった。戦いを前に息巻く勇敢な戦士達など一人も居なかった。ただ一つ、敬愛する父親との別れを惜しむ子供達の集団だった。
この中の数人は――あるいは全員が帰って来られないかもしれない。
出発は大いに遅れた。昼過ぎになってしまった。最後に全員で昼食を作り、食卓を囲むというイベントが急遽発生したからだ。
金満な<迷路の迷宮>でも滅多に出されない高級食材がこの時ばかりは開放された。高価な砂糖を使ったケーキやクッキーなどの甘味が惜しげもなく振舞われた。
全員が別れを惜しんだ。そして必ず全員でこの場所に帰ってくると誓いを立てた。
どれだけ強く思っても願いが叶うとは限らない。しかし、実現困難な目標を達成するには強い思いが、動機が、意思の力が不可欠だ。
だからこれは無駄な時間なんかじゃなかった。




