竜殺しのウォルター
「ところで本日はどのようなご用向きで?」
「あ、そうでした。今日は相談しに来たんでした」
強欲な商人の気迫に完全に飲まれていたヒロトは少し怯えながらも話を切り出す。
「なるほど、戦力の増強をしたい、と」
「そうなんです、上手くいけばフェザーダンスももうちょっとお願い出来るかもしれません」
幸いな事にDPは有り余っている。<シルバースライムの渦>はいつでも増産可能なのだ。奴隷部隊による討伐ペースさえ上げられるならフェザーダンスなんていくらでも手に入る。
「申し訳ございません、今は戦闘奴隷を切らしておりまして……一般的な奴隷ならばご用意出来るのですが……」
先日、ダンジョン進攻に合わせて買い集めていたというのに既に売り抜いているとは流石は王都随一の奴隷商だった。
才能のありそうな奴隷を選抜して育てるしかないだろう。別に効率が悪いというだけで新入り達も全く倒せていないわけじゃない。レベルアップを続ける事でいつかは普通に倒せるようになるんじゃないかという思いもある。
「ヒロト様が求めているのは即戦力です。悠長に育てている暇はありません」
「そうでしょうな……あ、もしかしたらアレならば……」
「良い人材が?」
「良い、とは言えません。しかし、ヒロト様ならあるいは、と」
何とも歯切れの悪い口調でジャックが言う。
とりあえず会って行ってみようかという話になり、二人はジャックに連れられて王都の四等区へ向かった。件の人材はジャックが経営しているという酒場にいるらしい。
四等区はヒロトの屋敷がある三等区から更に一つ、城壁を抜けた先にある。この先に城壁はない。元々王都はこの三等区までなのだ。
この世界の都市は必ずと言っていいほど城壁を持っている。高い壁で街を囲む事でようやく魔物の脅威から逃れられるのだ。
四等区とは城壁の周囲に勝手に人が住み着き出来上がったスラム街なのである。
馬車から降りて酒場に入る。穴の開いた壁に、埃っぽい空気、所々に傷の付いたテーブル。カードゲームに興じるいかにも柄の悪そうな男達。殺伐とした雰囲気はウエスタン映画を彷彿とさせる。
男達は値踏みするようにヒロトとディアを見ていたがジャックの姿を確認するや視線を外した。裏社会の評判も中々ようである。
「すいません、こちらは取引先様のために用意した場所でして」
ジャックは申し訳なさそうに謝罪した。付き合いのある盗賊や闇商人との取引にも使われる場所のようだ。
よもや嵌められたか? と思ったが、理由がない事に気付く。ヒロトが居なければ今後フェザーダンスを仕入れられない。
それに今もジャックの影にクロエは潜んでいる。首筋にナイフを押し当てられ続けているようなものだ。ガイア神族たるディア、ダンジョンマスターであるヒロトも尋常ならざる存在なわけで街のチンピラ如き物の数ではなかった。
ヒロトは気性が穏やかなため警戒感を抱き難いのだが、それなりの観察眼さえあればその溢れ出んばかりの魔力に気付くはずである。ダンジョンマスターの強さはダンジョンレベルと同期するのだが、低レベルでも十分に強い。三ツ星クラスの冒険者でも呼び出さない限りヒロトを弑する事は出来ないはずだった。
そこまで考えてヒロトは警戒を解いた。ほぅっと息を吐き、ジャックについて行く。
ジャックはこちらを振り返りながら店の奥まで案内する。
「紹介したいのは……彼になります」
どんな人物かと期待して来てみれば何てことのない、ただの呑んだくれの老人であった。白髪だらけの頭髪、長らく処理されていないだろう無精ひげ、深い皺の刻まれた顔、隈の浮いた瞳には生気はなく、コップに移す事さえ面倒だと酒瓶をそのままラッパ飲みを続けている。
「ウォルター、挨拶を……おい、ウォルター!」
「……そんな大きな声を出さんでも聞こえていますぜ、旦那?」
「であれば返事ぐらいしろ……まあいい、こちらは私の大事な取引相手で――」
「なるほど。旦那も成長しなすった。こんなおっそろしい……化物共を連れてくるなんて――」
瞬間、剣で叩き切られたような錯覚に襲われた。
思わず飛びずさり、懐から短剣を抜いた。クロエから習った簡単な護身術だ。即死さえしなければ天界の住人たるディアが何とかしてくれるだろう。そんな思惑もあった。
ヒロトが密かに期待を寄せるディアは警戒したように目を眇めていた。
「ほっほ、こりゃいい反応だ」
「ウォルター! すぐに謝れ……いや……お前はその前に<苦しめ>!」
「ふんっ……」
老人は小さく鼻を鳴らした。奴隷紋には主人の命を受けて強烈な痛みを与える機能がある。気の弱い者ならそれだけでショック死するほどの激痛を受けるというもので、ジャックが行使したのはそれであった。
粗相をした奴隷あるいは指示を聞かない奴隷などを痛めつけ、命令を遵守させるための機能である。
ウォルターの胸を見れば僅かにだが魔力の動きがある。奴隷紋による罰は奴隷本人の魔力を使って行使されるため、どれだけ魔法耐性が高かろうが作用する。
「ほっほ、悪かったのぅ。お客人……ほら、謝ったぞ。さっさとそれを解いておくれ。老骨に堪えて仕方ないわい」
本人は涼しい顔をしていた。
「ジャックさん、こちらは大丈夫ですよ?」
「……申し訳ございません、ヒロト様。<止めろ>」
尋常な胆力ではなかった。ウォルターは人並み外れたその精神力で常人が狂うほどの激痛に平然と耐えてみせたのだ。
「お恥ずかしい話ですが、この通り私では少々持て余し気味でして……」
困り果てた主人の横でぴんしゃんしている老人を見て、ジャックは恥じ入るように言った。
「なるほど並の戦闘奴隷とは明らかに格が違いますね。使いこなせばライバルに差をつける強力な切り札にもなり得ますが、奴隷紋の激痛が効かないとなると難しいでしょう」
ディアの分析にジャックは深々とうなづいた。
「ええ、危険すぎて近くにも置いておけず……」
主人への攻撃は奴隷紋が禁止しており、主人を攻撃しようとすると痛みで奴隷を拘束し、その隙に心臓を吹き飛ばす仕様になっていた。しかし痛みに耐える胆力と尋常でない実力の持ち主となると自滅する覚悟を持てば主人を殺し得てしまうのである。
「かと言って他所の同業に渡るのも恐い。そのため飼い殺しにせざるを得ない」
「はぁ、こんな人もいるんだね……さすがファンタジーだね」
ヒロトが感心したように言った。
「ええ、ガイアではこういった古強者に限って確固たる信念という物を持っています。扱いには注意してください」
ディアが格好をつけて言う。ドヤ顔を注意深く見ていると口端に商館で出されたケーキの残骸が残っていた。
ヒロトが残念な物を見る目でため息を付けば、思ったよりも薄い反応にディアは首をかしげていた。
敵対する意志はない、そう思った二人は何かと殺伐とし易い酒場には似あわないのほほんとした空気をかもし出していた。
「ほほぅ、これは面白い」
ウォルターが楽しげに呟く。
ヒロトは目前の古強者に向き直ると尋ねた。
「ウォルターさん、相席してもいいですか?」
「おう、好きにするがいいさ」
ウォルターと差し向かいに座る。ディアとジャックもそれに続いた。
ヒロトはまず店主に良い酒を持ってくるように言った。支払いは金貨で済ます。釣りはいらない。
「まず聞きたいんですけど。ウォルターさんの信念ってなんですか?」
「ふむ、そこのクリームを付けたお嬢ちゃんに何を言われたか知らんが、こんな場末の酒場で飲んだくれているような男に物を持ち合わせているはずがあるまい」
「なるほど」
ヒロトがディアを見れば口元をハンカチで擦っていた。顔はいつもの無表情だったが、耳や首元が少し赤らんでいたので相当恥ずかしかったらしい。
ヒロトは彼の来歴や奴隷に落ちたきっかけを聞いた。
「竜を殺した。あと気に入らない貴族連中もだ」
ウォルターはそう言って口を閉じた。
仕方なくジャックが代弁する。
ウォルター・アイナック。田舎の農村に生まれた彼は一五の時にドラゴンの襲撃を受けて故郷を失う。
それからは故郷を奪ったドラゴンを討つためだけに冒険者となった。剣の才能に恵まれた彼はすぐさま頭角を現した。無印冒険者――冒険者の等級は星で表される――であったにも関わらず、二ツ星モンスターである食人鬼を単独で討伐。注目を浴びた彼は仲間を得て次々と凶悪な魔物の討伐に成功していく。
そして二十五歳の時にドラゴンの討伐に成功。十年越しの悲願を達成した。その功績を認められ騎士叙勲を受けた。
庶民から見れば栄達だったが、彼は失意の中にいた。なぜならドラゴン討伐の際、パーティーメンバーの多くを失ったからだ。
騎士ウォルターは王国中を彷徨い、かつて故郷のあった場所に村を興した。私財を叩いて住居を建て、離れ離れになったかつての村人達を呼び戻していった。
更に一〇年掛けて村はかつての繁栄を取り戻すに至った。そして三五の時、かつてのドラゴン討伐パーティの唯一の生き残りであった聖職者の女性ソフィアと結婚。一女を設けた。
そうしてウォルターはようやく幸せと平穏を手に入れた。
しかし、そんな彼を再び不幸が襲う。
村に程近い場所に領地を持つ伯爵家がその所有権を主張してきたのだ。村には特産品があり、開拓村という事もあって税率も優遇されており、更には英雄ウォルターの存在もあって安全であると多くの人が集まってきていた。割を食うのは近隣の村や町である。人が減れば税収が落ちるからだ。
魅力ある村を作り上げたウォルター達からすれば当然の権利だったが、周辺領主が納得する事はなかった。幾度となく嫌がらせを受け、しかし家格に勝る相手に武力行使をする事も出来ず忸怩たる思いを抱いていた。
そんな最中、村の近くで大規模な食人鬼の集落が見つかった。どうやら別の地域での生存競争に負け、ウォルターの住まう地域に越してきたようだった。
ウォルターは村の冒険者や男達を集めて討伐部隊を結成、オーガの集落を強襲した。作戦は見事に成功し、危険なモンスターの群れを駆逐した。
意気揚々と凱旋するウォルター。
そこで見たのは燃え尽き、瓦礫と化した自らの村であった。村長の館に向かえば無数の傷を受けた妻子の亡骸が晒されていた。
僅かな村の生き残りから真相を知らされたウォルターは怒り狂った。
この惨劇は近隣の領主達による仕業だったらしい。度重なる嫌がらせを跳ね除け、日々勢力を増していくウォルター達に危機感を覚え、敵対関係にあった伯爵の元に集い、ウォルターがオーガ退治で留守にしている間に襲撃したようだ。
当初はウォルターの妻子を人質に取って不当な条約を結ぶくらいのつもりだったが、妻ソフィアもまた竜殺しメンバーである。娘のミリアと共に抵抗を続け、最後に村に火を付けた。
領主連合は逃げ惑う住民を虐殺し、敵の手に落ちるならと妻子は自刃。領主達は村を焼き払った上で汚し、晒した。
ウォルターは単身、伯爵家に乗り込んだ。まずは伯爵家の私兵や使用人を皆殺しにする。伯爵一族を攫い、泣き叫んで許しを請う伯爵の目の前で妻や娘を裸に剥き、ゴブリンの群れの中に投げ入れた。跡取り息子を切り刻んでミンチにしてから伯爵本人に食わせてやった。飲み込まないので最終的には漏斗を使って流し込んでやった。伯爵本人は回復薬で死なないように注意しながら爪を剥ぎ、指をハンマーで破壊し、関節を少しずつ壊し、股間を千切って野良犬に食わせた。じっくりと時間をかけて最大級の痛みと苦しみと屈辱を与えた上で殺害した。
復讐の手は伯爵と行動を共にした周辺領主達にも及んだ。彼らもまた伯爵と似たような恥辱と拷問を受けた。死者が五〇〇名を超えたあたりで国軍が出動した。ウォルターのためだけに選りすぐられた討伐部隊が編成されたが、凶行を止める所かその姿を見つけ出すことさえ出来なかった。
そうして復讐を完遂したウォルターは自らの意思で王城へ赴き、国王陛下へ出頭した。
後に<狂い竜の復讐>と呼ばれるその事件は闇に葬り去られる事となった。発端となった伯爵達のあまりにも残忍な所業を知った国王が慈悲をかけたのである。本来なら死刑となるはずのウォルターは身分を抹消され、奴隷に落とされた。
「愛すべき家族と民を失った英雄は抜け殻のようになり……」
ジャックは痛ましそうにかつての英雄を見た。
「お前さんに何が分かる!」
老いた復讐鬼はジャックの襟首を掴んだ。
「言え!? 貴様如き木っ端商人に一体ワシの何が分かると言うんじゃ!!」
「グッ……」
片手で持ち上げられたジャックは必死に抵抗するが、ウォルターは地面に根を張った大樹の如く微動だにしない。
きっと奴隷紋が一際強く輝くが、単なる痛みではウォルターの凶行を止める事など出来やしない。
「止めろ!」
影から出てきたクロエが手にした短剣で切りかかる。しかしウォルターは予期していたかのようにジャックを投げつける。護衛対象を守るべく抱き抱える。
「――ッ!」
そこに鋭い前蹴りが放たれる。奴隷一の運動神経を持つクロエでさえ反応できない速度。蹴りつけられたクロエはそのまま壁に叩きつけられた。
「殺す!」
すぐさま立ち上がったクロエを見て、老練な戦士は目を細めた。
「ほほう、中々頑丈じゃな……良いじゃろう、酒にも少し飽きていたところじゃ。いっちょ揉んでやろう」
ちょいちょいと手招きするウォルターを見てクロエの尻尾が太くなる。
「絶対殺す!」
二人の殺気が限界にまで高まる。そして
拍手が二つ。
「はいはーい、じゃれ合いはその辺で。お店の人が迷惑してるから止めてね」
そこでヒロトが声を掛けた。彼は未だにテーブルに座り続けていてぽりぽりとつまみの煎り豆なんぞを頬張っていた。
「坊主……」
「主様……」
修羅場にいるとは思えないようなのほほんとした口調にウォルターはおろかクロエまで毒気を抜かれてしまう。
「ジャックさん、大丈夫ですか? とりあえずウォルターさんはこのまま僕が連れて帰ってもいいですかね? あ、そういえばいくらで売ってくれるんですかね?」
咳き込みながらもジャックは「どうぞ差し上げます」と言い、その場で所有者無償譲渡を行った。
「助かります。じゃあ、クロエはこのままジャックさんをお店まで連れて行ってあげて。そのまま護衛を継続ね? ディアさん。帰りましょう。ウォルターさんも大人しく付いて来て下さい。これ、命令ね」
呆気に取られる周囲を他所にヒロトは店主に修理代だといって金貨を数枚握らせる。会計を済ませると何事もなかったかのように店から出た。
呆気に取られる彼等を他所にヒロトはさっさと店を出て行ってしまう。
「おい、ワシが大人しく着いて来るとでも……っぐ……」
抵抗しようとしたウォルターも、命令違反による苦痛を覚えたところで従わざるを得なくなった。いくら強靭な精神力を持っていても痛い物は痛いのだ。
「……ヒロト様、本当によろしいので?」
ディアは心配そうに尋ねてくる。ディアは高位の存在である。仮にも神の一柱なわけだから竜殺し程度、恐くもなんともない。
しかしヒロトは違う。ダンジョンマスターとはいえ成長途中である。そこまで飛び抜けた存在ではないのだ。その気になればヒロトを弑する事だって出来るだろう。
「大丈夫、大丈夫。あの人はそんな事しないよ」
ヒロトは妙な確信を覚えていた。
それは同じく他人に家族を殺された、被害者ならではの共感なのかも知れなかった。




