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ラブコメ回(滑稽という意味で)

 年始の挨拶も終わり、参加者たちは自分のダンジョンに帰っていった。眷属であるキールとルークも間近に控えた<スタンピード狩り>の準備のために子供たちの元へ移動している。


 残ったのはヒロトとクロエの二人だけだ。


 殺風景なコアルームに残る僅かな熱気。

 半乾きのタオルみたいな湿り気を帯びた空気。

 並んだ六つの玉座と同じ数の六つのダンジョンコア。

 そして部屋の片隅で異様な存在感を放つトロフィーたち。


 ヒロトはそれらを景色を眺めている時のように、見ていた。町内会の盆踊り大会の後、後片付けに勤しむ大人たちを見ている時みたいな不思議な感情だった。


「主様、気にしちゃダメだよ?」

 どこか張り詰めた雰囲気の中、クロエが口を開く。


「ん? 何が?」

「メラミが言ってたこと」

「PKギルドのことね」

 ヒロトは緩く笑う。こちらの様子を不安げに窺う黒豹少女の頭を撫でる。


「確かにちょっとショックだったけど、僕が無防備な<魔王城>に襲い掛かったのは紛れもない事実だからね」

「でも、主様は――」

「うん、分かってる。傍から見たら、そう思われるのも仕方がないってだけの話」

 そこについては気にしてないよ、ヒロトはそう言ってもう一度、頭を撫でた。


 その優しい手つきに目を細めながらも、誤魔化されているな、とクロエは感じていた。


 心がもやもやとする。

 すっきりとしない。


「じゃあ、主様は、何を気にしてるの?」

 クロエは小さく息を吸うと、口に出した。


 一歩、踏み込んだ。


 ヒロトの心の壁は毛を刈り忘れた羊みたいに柔らかくてぶ厚い。クロエたちを優しく温かく包み込んでくれる一方、その奥にまでは進ませてくれないのだ。


 ――多分、それは、私が子供だから。


 ヒロトにとって、クロエもまた守るべき対象であり、心配をかけるまいと弱い面を見せないようにしていた。


 クロエもそれに気付いていて、だからこそ悔しかった。

 それは親が子供にすることだ。


 ――変わるんだ、私も。


 クロエは、ヒロトから頼られる存在になりたかった。


 <闇の軍勢>とのギルドバトルを経て――〈死霊王〉プリムとの一騎打ちや迷宮神との戦い――クロエは自分の弱さを自覚した。


 メラミがくれた貴重な武具やマジックアイテムがなければ、五ツ星級の戦闘能力を持つプリムには、手も足も出ずに負けていたはずだし、迷宮神に至っては古代魔法の重ね掛けによる恐ろしい量のバッファを受けていたにもかかわらず、傷一つ付けることも出来なかった。


 そんな極限の戦いを経て、クロエは成長限界かべを突破した。実に一年ぶりのレベルアップを経験し、暗殺術頼りの戦い方も見直し、一人の戦士として成長し始めている。


 しかし、世の中には強いだけでは――目の前の敵を屠るだけでは――何の解決にもならないことが沢山ある。


 ヒロトのことが大好きだから、今の自分では大切な主を支え切れないから、変わらなくてはいけないのだ。


「お願い、教えて」

「……うん、何というか……これからどうしようかって思って……ちょっと途方に暮れていた感じ、かな」

 ヒロトは少し考えた後、口を開いた。

 クロエの瞳があまりにも真っ直ぐだったから、誤魔化すことはできないと思ったのだ。


「僕は……いや<迷路の迷宮>は強くなった。園長たちが言うように、一〇〇〇のダンジョンの中でも、頭一つ二つ抜けた存在になっている。もちろんそれは、クロエやディアさんのサポートや、キールにルーク君、あとは子供たちの頑張りのおかげだ。それに今ではケンゴ君やマシロちゃん、あとはメラミ先輩もかな……心強い同志までできた。

 多分、今なら何でもできる。でも、どうしたら今の流れを変えられるか、分からなくて」

 ヒロトはガイアの人々を苦しめてでも、ダンジョンを拡張しようとするダンジョンの運営方針に反対している。何とかして止めたいと思ってる。


 できることは増えた。それこそ選択肢は無数にある、例えば、攻撃的なダンジョンに攻め込み、武力で脅して黙らせるといったような、そんな強硬な手段も取れるだろう。強大な力を持つ迷宮神が居ない今、ヒロトたちを止められる存在はいない。


 けれど、根本的な解決にはならないだろう。ダンジョンマスター全員が納得するような、誰もが安全に、そして幸せに暮らしていける未来を示さなければ、ガイア全土を覆う厄災は払えない。


「僕が行動を起こしたとして、それが間違っていた時、それを止めてくれる人がいない。歯止めがきかずに、どんどんと間違った方向に進んでいってしまうかもしれない。

 正直、怖いよ。誰かに恨まれるかもしれない。誰かを傷つけるかもしれない。でも、何の行動も起こさなきゃ、確実に誰かが傷ついていく」

「……主様」

「このままじゃ、いつか絶対に後悔する。そう分かっているのに、動けないんだ。

 僕は、ケンゴ君みたいに強くなれない。間違ってもいいなんてとても思えないし、友達を殺してでもその行動を止めさせようだなんて強い覚悟も抱けない」

 ヒロトは言って、笑う。

 薄く笑う。

 クロエには、一見穏やかなその微笑みが、ひどく危ういもののように思えた。


「ひどい話だよ、そんな弱っちい僕が、今のガイアの命運を握っているんだ。

 ウォルターが死んだ時、僕は変わらなきゃって思った。でも、結局変われなかった。僕はどこまでも弱くて、利己的で、わがままだ。

 心のどこかでこんな重荷、とても背負えない、投げ出したいって思っている。いつもそんなことを考えてしまう。

 僕は、そんな僕自身のことが大嫌いなんだ」

 クロエは自然と、ヒロトを抱きしめていた。


「……わたしは、そんな、そんな主様が好きだよ」

 自然と涙がこぼれていく。ヒロトから溢れ出した感情が、自分の中に流れ込んできているようだった。ダンジョンマスターと眷属は、強いパスで繋がっているから、そのせいなのかもしれなかった。


 ヒロトは泣かない。


 だから、強い人なのだと思っていた。


 どんなことがあっても冷静でいられる、穏やかな笑顔を浮かべて感情を抑えられる、神話に出てくる英雄のような人だと心のどこかで思っていた。


 しかし、クロエは、ヒロトの心の表面のほんのわずかな部分に触れただけで、前後不覚になるほど心を揺さぶられた。その胸の内に一体、どれほど大きな思いを抱えているのだろう。


 ヒロトは強い。けれど、それが傷つかない理由にはならない。


 クロエはこの日、目の前の少年が誰よりも傷つきやすい人なのだと知った。

 いつだって大きな悲しみを堪えているのだと知った。


 また、もう一歩、ヒロトのことを好きになった。主従とか、男女とか、そんな表面的なものじゃなく、もっと深い部分で好きになった。


「ごめん、心配をかけて」

 クロエはふるふると首を振る。細くて柔らかい猫みたいな髪の毛が、ヒロトの頬を優しく撫でる。


 肯定したいと思った。


 みんな、あなたのことが大好きなのだと声を上げたかった。キールもルークも、子供たちも、みんなみんなあなたのことが大切なのだ、と。


 嗚咽が邪魔して言葉が出ない。


 だから、クロエは泣いた。

 泣けないヒロトの分まで泣きたいと思った。


 そうすれば、溢れ出てきた感情かなしみの分だけ、別の感情あたたかさで埋めてあげられるかもしれない。





「……クロエさん」

 コアルームの扉に隠れて、ディアは小さく呟いた。


 最初は、覗き見するつもりなんてなかった。


 忘れていた用事を思い出し、ダンジョンに帰ってきて、コアルームに入ろうとして、真剣な様子の二人を見て、タイミングを窺っていたらそのまま逸してしまっただけ。


 ――私は、これから一体、どうしたら……。


 立ち竦む。

 思考と感情の歯車が一向にかみ合わず、空回りし続けているような空虚感を覚えた。


 遠く、少女の嗚咽が聞こえてくる。

 その度に自分がこのダンジョンには居てはならない異物のように感じられた。


 恐ろしくなって踵を返した。


 ダンジョンを後にする。

 まるで逃げるように、足早に。


 そんな自分が情けなかった。白けた舞台で踊り続ける道化師を見ているような、あるいは自分の尻尾を追っかけ回す犬を眺めている時のような、そんな滑稽さを覚えるのだった。


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