プロローグ 新たな日常
あの激戦から数日が経った。ヒロトはコアルームに隣接された<慰霊碑>に向かって祈りを捧げている。
<慰霊碑>はダンジョン防衛には何の意味を持たない単なる装飾品であった。しかし、この下にウォルターが、かつてヒロトが殺してしまった友人が眠っているのだと心の持ち様は違ってくる。
「……また、祈られているのですか」
振り返った先にはディアが不安そうな表情を浮かべて立っていた。
ヒロトは心配してくれる事が嬉しいような、少し申し訳ないような、そんな複雑な感情を抱いた。
「すいません、何だか日課になってしまってて」
「いえ、謝る必要はありませんが……」
「あの、もう本当に大丈夫なんです。お墓参りに行く感覚というか、神社に初詣に向かうような感覚というか、今日もダンジョンは平和です、いつも守ってくれてありがとうみたいな感じで……」
「はぁ、そうですか」
ディアは気の抜けたような返事をする。この辺の感覚は常に祈られる側にいる彼女にとって理解し辛いのかもしれない。
「ヒロト様が思い悩む必要はありませんよ。ウォルター殿の魂は無事に愛する奥様や娘さんと再会できました。きっとウォルター殿はあちらで自慢げにダンジョンでの事を話しているでしょう。あの戦いで不幸になった者などいないのです……ですから、その――」
いつもよりも早口でまくし立てるディアを見て、ヒロトは我知らず微笑を浮かべていた。
「な、なんですかその表情は!」
「すいません、何だかこう胸が熱くなってしまって」
必死になって自分を励まそうとしてくれている。きっとそれはディアだけじゃない。クロエやルーク、キールだって何も言わなかっただけで心配してくれていたに違いないのだ。
――ほんと、僕って馬鹿だな。
いつも後ろばかり見ている気がする。失ったものにばかり気を取られ、手に入れたものに気付けない。
「ありがとう、ディアさん」
その顔があまりにも優しくて、穏やかで、怒っていたはずのディアは何も言えなくなってしまう。
「い、いえ、別に怒ってませんから」
そしてディアはもにゅもにゅっと口を動かしたのだった。
ディアと一緒にコアルームに向かう。昨年に比べて倍ほどに拡張された部屋にはその最奥に金色の玉座が一つ、その周囲を守るように鉄色の玉座が並んでいた。
大きなローテーブルを改造したコタツ。各ダンジョンから持ち寄った無駄に豪華なトロフィーや賞状の数々が乱雑に並べられている。
そんな殺風景な場所に<迷路の迷宮>の関係者達が勢ぞろいしていた。
「お帰り、主様、ディアもあけおめ」「マスター、お帰りなさい。ディアさんも明けまして」「それより大将、コタツが足り」「邪魔してるぞ、ヒロト」「大勢で押しかけてすいません、ヒロトさん」「ギルマス、これ年賀な」「よし集まったな、捌くぞ」「こぽ!」「ピロト君お年玉ちょーだい」「すいませんお神酒が足りません」「先輩、明けましておめでとうございます」「お前が飲んだだけだろうが!」「今年もよろしくお願いしますわ」
二〇名近いメンバーが一斉に声を掛けてくるのでヒロトはもはや誰が何を言っているのかさえ分からない。きっとこの大人数になると聖徳太子でも聞き取れないに違いない。
<迷路の迷宮>の古参三人組に<王の剣>のケンゴ、<ガイア農園>の園長ユウダイと担当ミルミル、<大漁丸>の船長マサルとコポゥ氏、<俺も乗せて>のゴロウ大佐に恋人のピッピちゃん。
更に<魔王城>からはダンジョンマスターのマシロと仲良し四人娘も到着しており、その隣には<メラではない>のメラミ先輩と担当のリーズ、更に眷属のメイド達が並んでいる。
<迷路の迷宮>の関係者が一同に介した結果、大きかったはずのコタツは鮨詰め状態になっている。
しかも誰一人譲ろうとしない。各派閥が好き勝手に覇権を巡って押し合いへし合いを繰り返しているため恐ろしく混沌とした状態になってしまっている。
――みんな、協調性がなさすぎる。
ヒロトは苦笑する。ギルドバトルや迷宮神との戦いでみせた驚異的な連携は一体どこへ行ったんだろうと思ってしまう。
「あーとりあえず、みんな明けましておめでとうございます」
そしたら一斉に返事が戻ってきて、ヒロトは声を上げて笑ったのだった。
<迷路の迷宮>はこのほど五つのダンジョンを配下に従える事になった。
まずはダンジョンランキング三年連続第一位の偉業を成し遂げた<魔王城>である。暗黒大陸の中央に居を構えるフィールドダンジョンだ。ちょっとした小国並みの領土を持ち、一〇〇万近い領民を抱え、一〇万を超える三ツ星級モンスターを保持する言わずと知れた最強ダンジョンである。
更に序列第四位の<メラではない>も配下に収まった。大陸北西部の高原地帯にあるタワー型のダンジョンで、古代魔法を極めたメラミ先輩がダンジョンマスターを務めている。古代遺跡を改装したダンジョンは抜群の防衛能力を誇り、余った時間で神話級のマジックアイテムを作成したり、近隣の地形に無数の風車をぶっ刺してDPを荒稼ぎをしたりしている変わり物ダンジョンである。
予想外だったのは<ガイア農園>、<大漁丸>、<俺も乗せて>のギルド古参組であった。曰く迷宮神と<魔王城>とのあれこれを聞いた事で不安になったそうだ。
ナンバーズ級である三ダンジョンがまとめてかかっても迷宮神には敵わない。ミドル層に位置する彼等では奴に狙われて抗う術などあろうはずがなく、危機感を覚えてヒロト達に庇護を求めたのであった。
もちろん三ダンジョンの加入はヒロトにもメリットのある話であった。広大な農地を持つ<ガイア農園>や大型漁船の<大漁丸>の食料自給率は高く、おかげでヒロト達は王都の商人達から食料を購入する必要がなくなった。ダンジョンの事が世間に知られても子供達が飢える事はない。
更に遠方へ戦力を移動させたい時には空飛ぶ島である<俺も乗せて>を利用する事が可能となった。抜刀隊の遠征時には移動式の空中要塞として大活躍してくれるだろう。
この中で唯一、配下ダンジョンとして登録していないのが<王の剣>のケンゴだ。
これはヒロトからお願いした事だった。
ナンバーズ級のダンジョンを二つも取り込んだ事で<迷路の迷宮>は他を圧倒する超巨大ダンジョンへと成長する事になった。大きな力を手にしたヒロトがそれに溺れて暴走してしまわないとも限らない。品行方正で責任感の強いケンゴはストッパー役に最適なのだ。
ヒロトは己の知性や自制心、道徳心を信じていない。大きな力を得た事で慢心してしまう可能性だってある。そんな時、気の置けない対等な友人が傍に居て止めてくれたならこれ以上、心強い事はない。
ともあれ<迷路の迷宮>では月に一度、こうして集まり、各ダンジョンの進捗状態を報告し合う事になっている。
ヒロトを信じて着いて来てくれた仲間達だ。些細な懸念でも早めに取り除き、のんびりと過ごせるようにしてあげたい。
「ヒロト様、かなりの大所帯になりましたね」
ディアが穏やかに微笑む。つられるようにヒロトも同じ表情を浮かべた。
今年からはメンバーが増える事は分かっていたため、コタツを新調しておいたのだが少し足りなかったようだ。
「そうだね、ディアさん。僕らはこっちの古い奴を使おうか」
ヒロトは私室から去年まで使っていた四人用のコタツを取り出し配置する。
この三年でダンジョンの様相は様変わりした。まさか寒くて暗くて冷たいダンジョンが、まさか田舎のお正月状態になるとは思ってもみなかった。
こんなに暖かな空間になるとは思いもしなかった。
――父さん、母さん、姉さん……。
ダンジョンは変わった。しかし、ヒロトはどうだろうか。まるで一家団欒の中に居るような錯覚に陥り、思い出したのは失った家族の事だった。
何かが込み上げる何かを押さえ込むように天井を見上げた。岩を刳り貫いたような冷たく無機質な灰色の壁がそれがヒロトを現実に引き戻してくれる気がした。
「ディアだけずるい。私もそっちに移る」
「もちろんメラミ先輩も便乗するよ!」
「ヒロト様が誘ってくれたのは私だけですから!」
「なにおう! もうケーキ出してやらないからな!」
「そーだそーだ、言ってやれクロエたん!」
ディア、クロエ、メラミの三人によるキャットファイトが始まり、ただでさえ騒がしかったコアルームが喧しくなる。
「ちょっと喧嘩しないでよ。コタツは次回までに追加で用意しておくからさ」
やっぱりサブダンジョン化は時期尚早だったかもしれない、とヒロトは思った。迷宮神は未だに封印中だ。急いで配下登録せずにもう少し足並みを揃った状態から始めてもよかったような気がする。
方針も実力も異なるダンジョンマスター達の集合体なわけだから、ちょっと意見の違いや諍いはこれからも絶えないだろう。差し迫った危機がない今、果たして自分に組織をまとめる事が出来るだろうか。
――ああ、そうか。僕は恐いんだ。
幸せとは造りの悪いメトロノームみたいなもの。振り子の錘が大きくなるほど振り幅が大きくなる。嬉しくて楽しくて振り子を重くし過ぎたらいずれ本体までずっこける。
一度、倒れたら自力で立ち上がることは出来ないのだ。
この世界に来て大切な物が増えてしまった。今は失う事が恐い。次に同じ事が起きたら今度こそ立ち直れなくなりそうだった。
「ヒロト様?」
「主様?」
「ピロト君?」
こちらを不安げに覗きこむような三つの視線が見えて、ヒロトは頬を引きつらせたような歪な笑みを浮かべた。
「うん、何でもない……ケンゴ君、始めてくれる?」
「……わかった、それでは会議を始めるぞ」
ケンゴは下手くそな作り笑いに気づいて、しかし何も言わなかった。
新年最初の会議だから各ダンジョンマスターが上げるのは年賀の挨拶と今年の抱負だ。
それが終わればクロエが指揮する<迷路のメイドさん>が動き出し、宴会がスタートする。何本もの酒瓶が明けられ、バーベキューやマグロの解体ショー、青汁一気飲み大会が始まるのも当然の流れだったのだろう。
「主様、楽しいね」
ふいにクロエが八重歯を見せた。普段は見せない弾けるような笑顔だった。
「そうだね、こんな日がずっと続けばいいね」
ヒロトは穏やかに笑った。自分で言っておいてなんだが、全く信用できない言葉だと思った。
呼吸を整える。
ヒロトは天井を見上げる。掴んだ繋がりを手放すように、先端についた心の錘を優しく取り外すように。
幸せになってはいけない。いや、なれるはずがない。ダンジョンマスターは人類の敵だ。恒久的な平穏など得られるはずがない。
目を閉じるた時、不意に手を取られた。
「続けましょう、ヒロト様」
「……ディアさん?」
白い指先がヒロトの手を優しく包む。
「無理やりにでも続けるんです。平和を掴み取るんです。戦って戦って戦い抜いて、最後には平穏を奪い取るんです」
「……勇ましい考えですね」
ヒロトは苦笑する。
「ですが一つの真理であると私は確信しています。闘争の結果として私はマシロさんを、大切な友人を失わずに済みました。もちろん、ヒロト様のお力添えがあったからこそで、その点には深く感謝をしていて……えっと、私は何が言いたかったのでしょうか」
ヒロトは苦笑する。
「とにかく今度は私がお返ししますから」
碧い瞳を見つめられる。
凪いだ湖面に小さな風が吹いたように思えた。
ディアは誰よりも美しい。気高く、強く、優しい。外見だけでなく内面までとびきりに美しいなんて反則だった。今では口端に生クリームが付いてても、そこがチャームポイントだと笑ってしまうくらいだった。
――ああ、そうか。
そこまで考えて気付いてしまった。
ディアの一挙手一投足から目が離せなくなっている事に。
もはや、ごまかしは効かない。
ヒロトは自らの想いに気が付いてしまった。
――僕は、きっとディアさんの事が好きなんだ。
<迷路の迷宮>をお読み頂き、ありがとうございます。
講談社レジェンドノベルス様より、第2巻を発売させて頂くことになりました。
書籍版タイトル変わらず
<「迷路の迷宮」はシステムバグで大盛況 2>となります。
発売日は2020年7月6日です。
中身は今回も頑張りました。
文章の見直しはもちろん、書き下ろし部分もあります。
あと、今回も表紙は最高です!
イラストを担当してくださった丘さんには感謝しかありません。
何より拙作が書籍化、続編を出せましたのも、
みなさまからの応援があったからこそです。
本当にありがとうございました。




