エピローグ 新たな仲間
「終わりましたね」
静寂の中、ディアが口を開いた。
「ひとまずは、ですけどね」
ヒロトが頷く。生み出した樹氷は小さな氷の棺へと変貌していた。透明度の高い水晶みたいな箱の中には胸を穿たれたままの迷宮神が眠っている。
「うぇ、気持ち悪い」
「本当に疲れました」
「魔力が足りません」
「気付け薬として度数の高いアルコールを所望します」
「タピオカ、こんな時までふざけないで」
<氷の煉獄>を発動させた六名はその場で蹲った。ミルミルが走ってきて魔力を譲渡してくれているが、六人共恐ろしいほどの魔力量の持ち主なため全く足りず、焼け石に水といった状況である。
「殺したって死なないなんて……迷宮神って本当に性質が悪いよね。ゴキブリみたい」
魔力枯渇で蒼い顔をしたメラミはうんざりとした顔で言う。
「ええ、だからこそ封印するしかなかったわけですし」
肉体的な死は迷宮神にとっての終わりではない。
迷宮神を殺すには神格と呼ばれるコア――奴のダンジョンの最奥にあると言われている――を破壊するしかない。
ダンジョンマスター達と同じである。ヒロト達はダンジョンコアを奪われるまで何度でも生き返る事が可能である。むしろ、迷宮神の生態を真似てダンジョンマスターが作られたというべきかも知れない。
もちろん復活のために必要な力が用意出来なければ終わりだが、迷宮神ほどの力ある神が復活コストを支払えないなんて事は有り得ないだろう。
だからこそこの<氷の煉獄>を使用したのだ。強力な不死者相手に使うこの封印魔法は対象を氷の棺に封じ込め、低温で眠らせ続けるという封印魔法である。
死を克服した一部の超越者達は肉体的な死を復活のトリガーとしている事が多い。この超低温状態によって仮死状態を保ち続ける事で殺さないようにしているのだ。
いかに強力な寒冷耐性があろうとこの超低温までは耐えられない。魔法に込められた魔力が続く限り、迷宮神はこの棺の中で眠り続けることになる。
<氷の煉獄>の基となった<冱てる死人達の薔薇園>は螺旋回廊にて二〇〇名以上の三ツ星級モンスターを喰らっており、<真祖吸血鬼>ノエルの魔力まで吸い取っている。加えてヒロトを含んだ六名もの高位魔術師の魔力を限界まで注ぎ込んでいる。少なくとも一〇〇年くらいは封印を維持出来るはずだ。
「今回は運が良かったです」
「はい、ディアさん。奴の油断に助けられました」
多分、次は無いだろう。
迷宮神はヒロト達、ダンジョンマスターを殺すために多くの制約を破った。これにより奴が使用できる強力な権能を封じる事ができた。
その上でガイア神族であるディア、リーズ、ミルミルや、ヒロトやケンゴ、マシロにメラミといった高位ダンジョンマスターとその眷属達で囲んで集中砲火を加える事でようやく倒す事ができたのだ。
これだけの好機、これだけの戦力を用意してなお勝てないなら一生勝てない。
「それでも犠牲者が出なかったのは奇跡的だった」
薄氷の勝利だった。あちらは数々の妨害魔法で弱体化しており、こちらは最大限まで強化されていたのにも関わらず、まともに戦えていたのは戦神であるディアだけだった。
ディア以外の攻撃はほとんど通じず、捨て身の全力攻撃でもしなければ傷付ける事さえ出来なかった。しかも奴の反撃を食らったメンバーは粉砕骨折や内臓破裂レベルの大ダメージを負っている。
高位の精霊や竜種と同等とされる五ツ星級の戦士達でさえ、奴にとっては子供同然なのだ。
――次に戦うとして、ディアさん無しで勝てるだろか。
ヒロトは考える。もちろん肉体的な死が迷宮神自身に何の影響を及ぼさないわけではない。迷宮神ほどの高位の存在はその身体だって大量の神力が使われている。
これまでと同じレベルの素体を用意するのはかなり厳しいというのがディア達の見立てであった。ゲーム風に言うならデスペナルティのせいでレベルダウンするみたいな感じだろうか。
レベル一〇〇のラスボスを九〇くらいに下げられた所であまり意味はない。なにせこちらのレベルは三〇程度。今回のように強力な助っ人でも用意しない限り敗北は必至だ。
このまま奴を殺して復活――自由に――させてしまえば隙を見て殺されてしまうに違いない。だからこそヒロトは<氷の煉獄>によって迷宮神を仮死状態のまま封印する事にしたのだ。
今出来る事は時間稼ぎだけ。奴が眠りこけている間に力を付け、単独で対抗出来るくらいに強くならなかればならない。
背中からひやりと冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
ヒロトが考え込んでいると、クロエが氷の棺を指差しながら尋ねてくる。
「で、主様、コレどうするの?」
「あー、えっとどうしよう……」
流石にこんな危険物をダンジョン内に持ち帰りたくない。しかし、同時に目を離したら何が起きるか分からない恐さもある。
「奴の身柄は我等、戦神が責任を持って預かりましょう」
ヒロトが頭を抱えていると、ディアが提案してくれた。信者である戦士や軍人達を食い物にする迷宮神と戦神は敵対関係にある。ディア達に任せておけばめったな事は起きないだろう。
「しかし、それでも奴が一〇〇年もの間、大人しくしているとは思えんがな」
ケンゴが険しい表情で言った。
相手は上級神にあと一歩まで迫った大神である。何らかの手段で封印を解いて来るかもしれない。仮死にあっても外部と連絡を取り、謀略を仕掛けてくるのかも知れない。よしんば迷宮神を封じられたとしても奴が領袖を務めていた派閥には力ある神々も在籍している。
ガイア神族屈指のトリックスターである迷宮神を相手に油断なぞ出来ようはずがない。
「どうしたものかな……」
もちろん最善は尽くす。
しかしヒロトには全ての謀略を防ぎ切れるという確信がどうしても持てなかった。
「あの、深井先輩……ちょっといいですか?」
「あ、マシロちゃん。今回の事はごめんね。何だか大変な事に巻き込んでしまって」
「いえ、私が悪いんです。本当にごめんなさい! 私があんな奴の口車に乗ってしまったせいで!」
マシロは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! 本当にすいませんでした!」
「いや、いいから! 大丈夫だから立ち上がって!」
それでも足りないとばかりに膝を付き始めたので、強引に止めさせる。
「それに遅かれ早かれ、奴とはいつか敵対する事になってたよ。きっと」
「いえ、そんな事は……いえ、それよりも本当にありがとうございました。おかげで命拾いしました……シエルさん達を殺さないでくれて、それに兄さんともまた会えて………本当に感謝しかありません……」
マシロが形のいい瞳に涙を浮かべる。とりあえず土下座しようとする癖だけはどうにかして欲しい。
「迷路の主よ、我々からも感謝を」
「私達もマシロがおかしい事には気付いていたんだけど教えてもらえなくて」
「まさか迷宮神が動いていたなんて思わず」
「ありがとう。この恩は忘れない」
魔王城の四人娘も一切に頭を下げた。
「それはむしろディアさんやメラミ先輩達に言ってよ。元はメラミ先輩が<魔王城>の動きに疑問を持ってくれたからだし、ディアさんが体を張ってくれたから勝てたわけだし」
「えっへん、もっと感謝してくれてもいいんだよ」
メラミは薄い胸を張る。
何故物凄く強いライオンが、か弱いウサギを全力で狩りに行くのか?
メラミが疑問を持たなければヒロト達は何も考えず、ギルドバトルに没頭していたことだろう。そして迷宮神の思惑通りに<魔王城>のコアは奪われていたに違いない。
「お気になさらず。私はマシロさんのサポート担当ですから」
ディアはずっとマシロ達のために手を尽くしていた。それにサポート担当から外されたにも関わらず、だ。
通常業務をこなしながら独自に調査を続け、迷宮神の暗躍を突き止め、更には奴の謀略を防ぐため旧知の神々からの協力さえ取り付けてくれた。
「ディアさん……」
「マシロさん」
二人が抱擁する。
「ねえ、ピロト君! あたしも結構頑張ったのに疎外感が凄い!」
「はいはい、偉い偉い。メラミ、頑張った」
メラミは背後からやってきたクロエに抱きすくめられ、さっさと退場させられてしまう。彼女はシリアスな場面に出くわすと恥ずかしくてふざけてしまう悪癖がある。
「ディアさん、あの、また、私達の担当をしてくれる?」
「……すいません、それはルール上、難しいです。サポート担当はよほどの事情でもない限り、希望者の中から抽選で決まりますから」
今の<魔王城>のサポート担当をクビにしてもディアが戻れるとは限らない。
いや、高い確率で別の担当が宛がわれる事になる。担当するダンジョンの高成績を収めると、サポート担当にボーナスが与えられる。
ギルドバトルを制し、四年連続序列第一位を確実視されている<魔王城>は人気の物件となっている。ほぼ全員が手を上げるだろう。担当者の変更は一年に一度だけ。百を超えるサポート担当の中から再びディアが選ばれるのは何十年後かになるだろう。
「そんな……」
「ですが、心ではいつも貴女を想っています。何かあればヒロト様経由で相談してください。出来る限り力になります」
再び抱き合う二人。そんな中、ぽつりとミルミルが呟いた。
「そんなにディアさんがいいなら、ギルマスさんの所のサブダンジョンになったらどうですか?」
「え? ミルミルさん? それどういう意味ですか?」
「<迷路の迷宮>にダンジョンコアを渡して配下登録してもらうんです。親ダンジョンの担当者なら流石に優先権が与えられますから」
「ちょっと、ミルミル。さすがにサブダンジョンはないわよ」
リーズがサブダンジョン化のデメリットを口々に説明する。
敵のダンジョンコアを手に入れた場合、大きく分けて三つの利用方法がある。
一つは自ダンジョンに取り込む事だ。相手が溜め込んでいたDPや経験値を全て奪えるだけでなく、召喚済みモンスターや罠、アイテム類まで手に入る。更に召喚モンスターや設置可能な罠がコピーできたりとメリットが大きい。
次は新しいダンジョンを作ってしまうという手だ。大本のダンジョンのDPや召喚リスト、設置アイテムなどが共有されるため最初から防衛力の高いダンジョンを生み出すことが可能となる。
複数のダンジョンを所有する最大のメリットは片方のダンジョンが攻略されてしまっても、ダンジョンマスターが消滅する事はない事だろう。二つあるうちのどちらかさえ生き残っていれば復活出来るというのは過酷な生存競争の中にあって大きな強みになる。
そして最後の利用法が、手に入れたダンジョンコアをサブダンジョンとして登録する方法だ。サブダンジョンはダンジョンマスターやモンスター、通路施設罠といったダンジョン構造はそのままに再度活動する事が出来る。
ただしコアルームは親ダンジョン側に移動させられ、親ダンジョンと子ダンジョンの間には奴隷契約に似た隷属関係を結ばさせられることになる。
しかも配下ダンジョンが手に入れた収益や経験値の内、最低でも二五%、最大五〇%まで奪われてしまうというデメリット付き。
当然、相手方のダンジョンマスターからは恨まれるし、親ダンジョンが攻略されたら子ダンジョンも終わりなため配下登録された事例はほとんどないそうだ。
「なるほど……」
「そんな手があったんですね」
「いやいやいや、何を二人して迷ってるのよ! 隷属関係を結ぶのよ!? 言うなれば奴隷よ、奴隷! 毎年担当を変更してればいつかディアに当たるじゃない。ちょっと待っていればいいだけよ。ダンジョンマスターには寿命なんてないんだから」
リーズが慌てて言うが、ディアは頭を振った。
「いえ、対迷宮神という観点ではそう悪くない手かも知れません」
「……確かに。迷宮神が攻めてきた時、深井先輩と私達が力を合わせれば倒す事は無理でも、退ける事くらいは出来るかも」
「そういう事であれば問題ありませんわね」
「戦力の集中は戦術の基本だ。問題ないだろう」
「ティティも賛成」
<魔王城>のメンバーが本気で検討し始める。
「問題は<迷路の迷宮>の主が、ボク等の可愛いマシロちゃんに無体を働かないか、だね」
「ヒロトはそんな事をする男ではない。それにダンジョンには俺も居る。いざとなれば助ける事が出来る」
「そうよ! ピロト君にそんな勇気があるはずないでしょ! そんな蛮勇があれば今頃クロエちゃんはベッドの上でアヘ顔ダブルピース決めてるわよ!」
「クロエ、ちょっとそこのマッドサイエンティストをどこか遠い場所に捨ててきてくれ!」
ヒロトはルークの耳を塞ぎつつ、クロエを動かす。
「でも、なるほど……その手があったか……」
しかし、その時にはもうメラミは話を聞いておらず、黒豹族の少女に抱き上げられながら自らの思考に没頭していた。
「まったく、メラミ先輩は……マシロちゃんも急ぐ必要はないよ。時間はあるんだし、後でゆっくり考えれば決めればいいんだからさ」
ヒロトは苦笑を浮かべつつ、マシロにも熟考を促す。しかし当の本人は向き直り、覚悟の表情を浮かべている。
「いえ、今決めないと私はきっと決断し切れませんから。それに迷宮神が復活してから動き出しても遅いですし」
マシロはそう言って玉座にあるダンジョンコアを抜き取るとヒロトへ渡す。
「いいの? 本当に」
ヒロトが尋ねると、マシロとケンゴは頷き合い、手を繋いだ。
「はい、私は兄を信じています。だから兄さんが信頼を寄せている先輩の事も信じます」
「……ヒロト、俺からも頼む。多分、俺だけでは妹を守り切れない……また、力を貸して欲しい」
口を真一文字に引き結び、真摯にこちらを見つめてくる。その表情は何故だかひどく似通っていて、ヒロトは流石は兄妹だなと笑ってしまった。
「ありがとう、二人の信頼に応えられるよう努力する」
ヒロトはゆっくりと頷くと真紅のコアを受け取った。
こうして<迷路の迷宮>はダンジョン序列第一位<魔王城>を配下に収める事になった。
「よし、決めたわ! ピロト君、私も貴方の奴隷にして!」
そしてついでのように序列第四位<メラではない>も配下に収まるのだった。




