決戦の準備
「その瞳……やっぱり君は、危険だね」
会議で名前が挙がった時から、システムの裏を掻いてDPを溜める賢しさを知った時から、あるいは三年前のあの日、体育館で一目見た時から、この少年に言い様のない不安感を覚えていた気がする。
「もうちょっと遊んでやろうかと思ったけど、気が変わったよ。君は今ここで潰す」
瞬間、部屋の重力が増した。シャンデリアが落ち、天井が軋みを上げる。
ヒロトの足元、硬いダンジョンの床に蜘蛛の巣状の皹が入る。圧倒的な魔力。これこそが迷宮の支配者たる神の力だった。
立っているので精一杯というほどの過重を、ヒロトは杖を支えにして耐える。
「ヒロト、グッ!」
「兄さん、きゃあ!」
エリクサーによって見事に回復を果たしたケンゴやマシロも咄嗟に助けに入ろうと動き出すがヒロトに近づくにつれて重力は強くなり、あまりの過重に動くことさえ出来なくなってしまう。
「シナリオはこうだ。コアルームまで攻め込まれた魔王は、自らの死を覚悟した。そこで命を懸けた大魔法を行使する。
それにより玉座が壊れ、制御を失ったコアが暴走、<魔王城>ごと崩落してしまった。<迷路の迷宮>の主達はダンジョン崩壊に巻き込まれて行方不明。
どう? 完璧でしょう?」
「ガイアの神々が……ダンジョンマスターに、直接手を下すのは、重大な制約違反だ……」
「アハハ、既に監視妨害の結界は張ってるよ。天界から覗き見られる事はない。
知ってるかな、法律ってのはね見つからなければどうってことはないんだよ。現行犯でもない限り、僕が罪に問われる可能性はない。調査が入るだろうけど証拠不十分で釈放かな。
怪しまれるだろからしばらく大人しくしていればいいさ。
全ては不幸な事故だった。それで終わり。疑わしきは罰せず、なんて気持ちのいい言葉なんだろうね。
本当に愉快だよ。ねえ、今どんな気持ち? 教えてよ? 悔しい? 苦しい? ねえ、せっかく策を労して僕を嵌めてやったのに最後の最後でテーブルごと引っくり返されて終わるなんて」
「本当に……度し難いね……」
ヒロトの口元が歪む。屈辱に耐える表情を見て、迷宮神は一層の高笑いを上げる。
「ひーひひ、それじゃあ潰れろ、虫けら共め!」
迷宮神が更に重力を高めようと手を振り上げたその時、漆黒の西洋甲冑が前に出る。ヒロトの護衛として付いてきた<ミスリルドール>達であった。
「ん? なんでゴーレム如きが……この重力の中で動けるのかな?」
「相変わらず、愚かな男ですね」
過重に耐えかね、鎧が自壊する。まるで卵の殻が割れたかのようにその内側からいずれ劣らぬ美女達が現れた。
「まさかダンジョン運営の責任者自らダンジョンマスターに直接手を下すような暴挙に出るとは……本当に嘆かわしい」
豊かな銀髪がふわりと広がった。凪いだ湖面を思わせる碧眼には深い失望の色が浮かんでいた。
「お前は、戦神ディア……」
迷宮神が後ずさる。
「……私達も居るんだけど」
金髪ツリ目でゴシックドレスを着た少女が口を開く。彼女は<メラではない>のサポート担当にして知神リーズだった。
メラミに魔法のイロハを教え、眷属であるホムンクルス達の素体にされてしまった上、エリート思考が鼻に付くと嫌われてしまった、ちょっと可哀想な神様である。
「まあまあ、リーズさん。その分、活躍すればいいだけですから」
そんなリーズを茶髪で愛らしいツナギ姿の少女が宥める。<ガイア農園>のサポート神にして大地母神のミルミルだ。
草木と動物を育てるのが大好きで、争い事が大嫌い。好戦的なダンジョンマスターとのやりとりに疲れる度に癒しを求めてガイア農園に足を運び、なぜかそこの主人と恋仲になってしまった色々と緩い神様である。
「ミルミルとリーズは後ろの方々の保護をお願いします」
「はい、ディアさん」
「了解したわ」
リーズは重力による結界を解除し、ミルミルはケンゴやマシロ、その配下であるシエル達を癒して回った。
「なるほど……僕を嵌めたつもり?」
「どちらかといえば自爆ですけどね」
ヒロトとしても迷宮神がまさかこんな短絡的な行動に出るとは思ってもいなかった。
元々の作戦は迷宮神を油断させ、自らの悪行を暴露させる。その一部始終を反迷宮神派である三柱に目撃させて上へ報告させるという作戦だったのだ。
「……今のは僕の冗談さ。実際に殺す気なんてなかったよ」
「白々しい。大人しく縛に付くならよし、抵抗するなら強制的に捕縛します」
ディアが前に出る。
「……ふう、君達、何か勘違いしていないかい? 雑魚を相手にするのは面倒だから見逃してやるって言ってるのさ。
ここは迷宮、僕のフィールドだよ。鼠は鼠らしく、さっさと逃げ出して至高神辺りに密告していればいいんだよ!」
圧倒的な武威に数名がたじろいだ。迷宮神の神格こそ中級止まりだが、迷宮内においては上級神並みにその能力は高まる。自身の保有するダンジョンほどではなくともその力は充分に発揮できるのだ。
「だかが下級神が数柱、集まったくらいで――」
迷宮神が開き直ったところで部屋に光のゲートが生まれた。
「天知る地知るシルシルミシル! メラミ先輩、参上! ピロト君、助けに来たよ!」
「お待たせ、主様!」「僕達も戦います!」「悪りぃ、大将、遅くなった!」
メラミと古参組が飛び出してくる。ついでのようにメイド四人娘、知神リーズを素体にした四体のホムンクルスまで登場した。
「マシロ、無事か!」「よかった、間に合ったみたい!」「魔王、心配した!」
今度は部屋の出入り口から<魔人狼>ウルト、<死霊王>プリム、<巨いなる暴君>ティティが入ってくる。ギルドバトルを終わった事で<魔王城>に戻ってくる事が出来たのである。
「ふん、所詮、烏合の衆じゃないか」
引き攣った表情で迷宮神が言う。ガイア神族が三柱、ナンバーズ級のダンジョンマスターが四名、更に彼等が保有する眷属達は十一名。下手な竜種や精霊ぐらいなら容易く屠る高位の戦闘能力者ばかりであった。
「総員、支援魔法」
ヒロトが声掛ければ魔法技能者達が次々に支援魔法をばら撒いていく。この場には古代魔法の使い手が一〇名以上も存在していた。あらゆる属性、あらゆる等級、あらゆる体系の支援魔法が超高速で射出された。
全員のステータスが桁違いに上がっていく。きっとゲームならバッファアイコンが増えすぎて画面が見えなくなっていたに違いない。
「次、妨害魔法」
続いてはあらゆる妨害魔法が迷宮神に殺到する。抵抗しようにも次々に放たれる妨害魔法を防ぎ切る事は不可能だった。しかも古代魔法には神々を相手にすべく開発された弱体化魔法も多いため、迷宮神が持つ各種耐性を突き抜けてくるのだ。
「これでも烏合の衆だと言うならどうぞ」
ヒロトの到着が遅れたのは、いざと言う時のために迷宮神との戦いに参加出来るメンバーを集めていた。
慎重さがヒロトを救った。
今はまさに総力戦だ。相手は圧倒的な戦闘能力を持つ迷宮神だ。誘き寄せ、油断させ、強者で囲み、圧殺するしかない。
――これこそが、僕の、ダンジョンマスターの戦い方。
「……全て君の思惑通りだったというのか……ッ!?」
ヒロトは答えず、黒い瞳にほの暗い炎を燃やした。
「迷宮神よ、他人に翻弄される覚悟は出来たか?」




