閑話 魔王の契約
<王の剣>とのダンジョンバトル。マシロは敬愛する兄の前に姿を見せる決意も持てず、眷族たる四人娘を助ける事も出来ずに居た。
「誰か、助けて……みんなを、兄さんを……お願い、神様……」
マシロはまるで童女のように言った。まるで連れ去られたあの日の事がフラッシュバックする。
自らの無力に失望し、絶望し、何も考えられなくなっていく。
「うん、いいよ」
追い詰められたマシロの願いを聞き届けたのは、一〇〇〇名以上の少年少女達を異世界に連れ去った元凶であった。
「あんたは……」
「お久し振りだね、<魔王城>のマシロちゃん」
愛らしい少年のような笑みを貼り付けて迷宮神は言った。
「早速、君の願いを叶えてあげるよ」
指先を鳴らすと、突如、シエルが交渉を始める。しばらく会話をしたかと思えばケンゴは魔王城から去っていった。
「嘘、どうやって……」
「皆のやる気を奪っただけさ」
戦場で生まれる敵意や殺意といった<害意>こそが、戦士達を闘争に駆り立てる原動力だ。
迷宮神はその権能によって害意を一時的に感じさせなくする事で、戦闘後に訪れるような白けた空気感を醸成したのだ。経験豊富な猛者であるほど場の空気や気配に敏感になっていくという特性を利用したわけだ。
「あ、あの……ありがとう、お礼だけは言わせて貰うわ……」
奴の言う事が本当かは分からない。単純に場の空気が緩んだタイミングにあわせて指を鳴らした可能性もある。
「いいってことさ。僕としても<魔王城>のような優秀なダンジョンがこんな所で潰されてしまうのは不本意だからね」
「……そう」
胡散臭いとマシロは思った。ケンゴの妹だと知った時の級友達のように感じた。表面上ではにこやかに接しながらも腹の底ではどうやって兄に近づこうかと画策する雌狐めいた態度。
「あ、ところで君はお兄さんが好きなのかな?」
「なにを突然……!?」
「いや、そんな驚いた顔をされてもさ、必死にお兄さんの無事を祈っていたじゃないか。普通、兄妹とはいえそんな感じにはならないよ」
言われてみたらそうかも知れない。マシロは少しだけ恥ずかしくなった。
「生前の君達の事は調べさせてもらったよ。君のお兄さんは凄いね。トップクラスの成績に、インターハイで入賞するほどの剣の腕、人望は厚く、実家は国内有数の大金持ち。まるで漫画の世界の人物だ」
「……そうね」
「そして今は悪辣なダンジョンマスターを狩る一流のプレイヤーキラー」
迷宮神は聞いてもないのに、兄ケンゴの二年間の活動内容を説明し始めた。
人殺しになりたくないと自殺を計ったこと。
死に切れずダンジョンコアを託すに足る人物を探す旅に出たこと。
スタンピードに苦しむ人々を見てダンジョンコアを取り込んだこと。
それからはたった一人でダンジョンに挑み、その身を何度も危険に晒しながらダンジョンマスターを殺害していったこと。
「何でそんな危険な事を……」
「さあね? 直接聞いてみたら?」
分かっている。マシロの兄はそういう人なのだ。生まれながらの貴公子、本物の高貴なる者だった。
あの堅物で生真面目で融通の利かない兄の事だ。力に溺れて人々を苦しめ、好き勝手に暴れるダンジョンマスター達を見かねて立ち上がったのだろう。
級友殺しの苦痛に喘ぐ自らの心を封印したまま。
「ただ、知り合いの冒険者辺りには生き別れになった妹の事をこぼしているそうだよ。過去の映像だけど見る?」
迷宮神は指を鳴らすとモニターにどこかの酒場らしき光景が映し出された。
酒場は冒険者ギルドらしかった。掲示板に多くの依頼書が張られ、カウンターには美しい女性が笑顔を振りまいている。奥には剣や鎧を着た仕事終わりの冒険者達が杯を交し合っていた。
喧騒から少し離れたテーブル席には一見して腕利きと分かる屈強な戦士達が、黒衣の騎士を囲むようにして飲んでいた。
『まさか、泣く子も黙る<ダンジョン殺し>の目的が妹探しだとはね』
『悪いか?』
『いや全く。理由なんざ人それぞれだ。大方、再会は出来なくとも、俺がこうして危険なダンジョンを順繰りに潰していけば、妹も平和に暮らせるようになるかも知れねえ、なんて思ってるんじゃねえの』
『読心術の使い手か?』
『んな訳あるかよ。バレバレだっての』
『がはは、妹さんは愛されてるねぇ!』
『みんな、この愛すべき男と、その妹さんに祝杯を!』
マシロは胸を押さえた。こんな危険な世界で、そんな重荷を背負いながら、半分しか血の繋がらない妹の事なぞ心配しているのか。
「大方、自分が学院に入学させてしまったせいで、こんな事件に巻き込んでしまったとか妙な責任感でも感じてしまっているんじゃない」
迷宮神はそう言って、憎々しげに顔を歪めた。
「まったく本当に厄介な男だよ」
確かにダンジョンを増やし、広げたい迷宮神からすれば兄の行動は目障りだったろう。
迷宮神は各地にダンジョンコアをばら撒き、ダンジョンマスターに育てさせる事を生業にしている。ダンジョンが育つ際に必要なエネルギー、システム的にはDPと呼ぶそれの上前をはねる事で神格を高めているという。
熱心に活動している――人類的には危険な――ダンジョンマスターを狙い撃ちにしてダンジョンアタックを行う<王の剣>は運営サイドにとって目の上のたんこぶだった。
「兄さんが<魔王城>に来たのも……」
「あは、親切な誰かが噂を流したんだね。人々を苦しめる悪辣な魔王。もしかしたら自分の妹かもしれない。居ても立ってもいられなかった感じなんじゃないかな」
マシロは今回のダンジョンバトルの発端を悟る。強力な軍勢を従える<魔王城>によって邪魔者を排除する。
兄は嵌められたのだ。この狡猾な神によって――。
確かにダンジョン<王の剣>は強すぎる。
序列第一位<魔王城>が誇る四人娘と三ツ星級の一〇〇名が同時に相手をしてようやく退けられたほどの強者である。ミドル層はおろかランカーダンジョンでさえも余裕で攻略してしまう事だろう。
そんな邪魔者を排除するために白羽の矢が立てられたのが<魔王城>という訳である。
「いずれ、僕自身の手でどうにかしなきゃならないかもね」
迷宮神が愉快そうに言った。
「兄さんだけには手を出さないで!」
思った以上に大きな声が出た。
どうやら兄が関わることになると自分は恐怖を感じなくなるらしい。先ほどまでこの神に恐怖にも似た感情を覚えていたはずなのに今や敵対心しかない。
「じゃあどうしたいの? 彼、説得したって聞いてくれなさそうじゃない?」
「兄さんを日本に帰しなさいよ! あの人は日本に必要な人なの! こんな世界でダンジョンを攻略している場合じゃない! 私達みたいに代えの効く存在じゃないんだから!」
「なるほど、そうか。排除できないなら元の場所に戻してやればいいのか……うん、悪くはないね。他ならぬ序列第一位の魔王ちゃんのお願いだし、聞いてあげてもいいよ」
迷宮神は天使のような顔に、悪魔めいた邪悪な笑みを浮かべた。
「もちろん、僕の言う事を聞いてくれるならね」




