閑話 魔王の窮地
ティティが戦鎚を振り回す。軽やかに攻撃を躱した黒騎士が逆撃を見舞う。
――不味い!
ウルトは自慢の機動力を駆使して攻撃に割り込む。ティティへの致命の一撃を防ぎ、更に背後に回り込むように動いた。
「チッ! <暴風>」
<王の剣>が飛ぶ。<暴風>という風の上級魔法を使っての高速移動。さしものウルトも颶風そのものと化したダンジョンマスターには追いつけない。
黒衣の騎士は軽やかに中央階段のロビーに降り立つ。
「死ね!」
ロビー階に隠れていた兵士達――人狼や吸血鬼の戦士――が一斉に取り囲み、攻撃を仕掛けた。
一閃。禍々しいオーラを放つ剣が、魔物の群れを一太刀で両断した。恐るべき膂力、卓越した技量、凄まじい切れ味の武具、この三つが揃って初めて出来る奇跡のような一撃だった。
――くそ、後戻りが出来なくなった。
死者が出た。出てしまった。こうなった以上、戦いを収める術は無い。敬愛する主人の兄君と血で血を洗う殺し合いの始まりとなってしまった。
戦わなければ余計な被害が増えてしまう。
「ああぁあぁぁぁぁっ!」
ウルトは大振りな一撃を見舞う。速度で勝る彼女は無理矢理に鍔迫り合いに持ち込んだ。時間を稼ぐ。すぐに増援はやってくるだろう。
凄まじい怪力だった。人狼族の王であるウルトさえ押し込まれてしまう。ティティ並みの膂力の持ち主だった。ダンジョンマスターは様々なスキルをDPで取得可能である。恐らく身体能力を強化するようなスキルを軒並み取っているに違いなかった。
「ガウッ!」
首を伸ばして噛み付き攻撃を仕掛ける。人狼の本命の攻撃だ。しかし相手は機敏に反応し、すぐさま退いた。
「剣だけではないとは、魔物とは厄介だな……」
「私が前を抑える。ティティは補助を頼む」
幸いな事に、純粋な速度ならこちらが勝っているようだ。ステップワークで翻弄しつつ、僅かな隙を作る。ティティが豪腕を振るって隙間を広げ、残りの兵が攻撃を仕掛けた。
一度目は防がれた。二回目も三回目も、幾度となくそれこそ体力が尽きるまで繰り返す。次第に生傷が増えていく。犠牲者も出ている。
力不足の指揮官ですまない。そう思いながらもウルトは攻撃を仕掛けていく。
主導権は譲らない。犠牲を無視して攻め続ける。五ツ星級の化物を正面から相手取って主導権まで握られたら敗北は必至である。
「ウルト、代わりますわ」
シエルの声が聞こえた。ウルトは鍔迫り合いから咆哮を放つ。
大声で敵の三半規管を狂わせる人狼族の技能だ。相手には耐性があるのか有効打にはならなかったようだが、虚を突く程度の効果はあったらしい。
その僅かな隙をシエルが埋める。
「死んでくださいませ!」
シエルは翼を使って宙を舞い、細剣による突きを繰り出しながら攻め立てる。三次元的な戦闘行為に慣れていないのか<王の剣>は戦いにくそうにしている。
それでも自力の差は大きくケンゴは反撃を行い、吸血鬼の足元から突き出された剣に防がれた。
「食らえ!」
シエルの背後をプリムが守っていた。ポルターガイストによって何十本もの剣を手足のように使い、手数によって敵を圧倒する得意の戦闘スタイルだった。
ウルトは怪力を誇るティティによる大ダメージを狙う作戦を取っていたが、二人は軽くとも手数を増やして相手の体力を奪う作戦に出たようだ。
二人が攻めている間に、ウルト達は休憩や治療を行った。二人が疲れてきたらスイッチして敵を攻める。
さしもの五ツ星級といえど四ツ星級上位モンスターである眷属四人娘を同時に相手取るのは難しいらしい。
それから三〇分後、四人が頼りにする副官達や、魔王直卒の精鋭部隊が到着した事で更に戦況は有利に傾いていく。
――何故、倒れない……。
ウルトは内心で焦っていた。
<魔王城>が誇る一〇〇名の精鋭達に囲まれながらも<王の剣>は倒れなかった。そこらのドラゴンぐらいなら瞬殺出来るだけの大戦力を相手にしながら一時間以上も耐え続けている。
化物以外の何者でもない。
「また、被害が……」
そればかりか精鋭部隊にも被害が出始めているような状況だ。緒戦の犠牲者を含めれば死者二八名、重傷者は五〇名を超えているだろう。
いつ終わるとも知れない戦いに心が折れそうになる。恐らくこの戦いに参加している全員が底知れぬダンジョンマスターの実力に恐怖していただろう。
ちょうどそんな時、シエルが出入り口付近から兵を引かせ始めた。
「何の、つもりだ……」
「力の差はお分かりになられましたか? ここから出て降参なさいませ。陛下は同胞殺しを望んではおりません。ましてや兄君を殺すなど優しい彼女が出来るはずもない」
シエルは平時と同じような口調で言う。同じ指揮官たるウルトにはそんな指示が来ていないので、これ以上の被害を嫌った故の出まかせなのだろう。
一瞬の弛緩。しかしすぐさま兜の隙間から挑むような鋭い視線が飛んできて、ウルトは剣を握り直した。
「情けを、掛けた、つもりか」
<王の剣>が肩で息をしながら尋ねてくる。
「そう思うならご勝手に」
「後悔するぞ」
「三下らしい台詞ですわね。お国では、負け犬の遠吠えと言うんでしたわね」
シエルは嫣然と言い放つ。ここは強気に出るつもりらしい。
「失礼な例えだね。遠吠えは連絡手段であって敗北の悔しさを紛らわすためのものじゃないのに」
ウルトも乗る。これ以上の戦いは望ましくない。再戦するにしても、もう少し対策を練ってから戦いたい。
「分かった……降参しよう」
案外<王の剣>も追い詰められていたのかも知れない。こちらが苦しい時は、あちらも苦しいと、ディアから聞いたことがある。今こそがその瞬間だったのかも知れない。
こちらからは見えないがダンジョンメニューから操作を行ったのだろう、ダンジョンバトルの結果が確定したようだ。
殺気が霧散する。
「お帰りはあちらですわ」
シエルが言えば、黒衣の騎士は無言のまま踵を返し、ダンジョンから出て行った。
<王の剣>がダンジョンから離れて行くのを見守った四人はそのまま仰向けに倒れ込んだ。
「あー疲れた、ボクもう一歩も歩けないよ」
「プリムは元から一歩も歩いていないだろう……まあ、同意はする」
「強かった……ティティ、一発も当てられなかった……」
「あれが本当の五ツ星級という事ですわね」
焦げた絨毯、クレータの出来た床、砕けた柱、落ちたシャンデリア、血痕、血痕、血痕、勇壮で美しかったはずの魔王城のロビーは今や見る影もなかった。
「……ボク、悔しいよ」
「ああ、手も足も出なかった」
「強く、なりたい」
「なりましょう……皆で……」
今回はたまたま運が良かっただけ。見逃されただけ。このまま戦い続けていればいつか押し切られていただろう。
しかし次こそは自分達の実力で以ってこのダンジョンを守ってみせる。
その後、四人の少女達は積極的にレベリングを行い始める。また暇さえあれば戦闘訓練を行い、技術研鑽に務めるようになる。
いつしか<魔王>に並び立つ別格の存在としてその地位を確固たるものとした彼女達は<四天王>と呼ばれ始めるようになった。
「何で、どうして、兄さんが……」
大切な四人娘達が、実の兄と殺し合う様を、マシロはモニター越しに見つめていた。勝気な瞳には今にもこぼれそうなほどの涙が溜まっている。
「助けに、行かなきゃ……」
戦いは拮抗していた。
マシロが加われば形勢は逆転するだろう。彼女はレベル三〇を超える高位のダンジョンマスターだ。ケンゴほど卓越した戦闘能力は持たないが、スキルは限界まで取得しているし、何より失われた古代魔法という強力な武器がある。
しかし、身体が動いてくれなかった。
出て行けばケンゴを殺す事になる。
血の繋がった唯一の兄を――。
生まれて初めて愛した人を――。
マシロがもう少し冷静なら妙案を思いついたかもしれない。あるいはディアがこの場に居てくれれば何らかの策を授けてくれたかもしれない。
思考が空回りしているのを自覚する。
親友か、愛する人か。
マシロは心の天秤に両者を乗せる事さえ出来なかった。選べない。理性では分かっている。助けるべきはシエル達だ。彼女達が居なければダンジョンは立ち行かない。
それにケンゴとの関係修復は絶望的だ。儚い恋心など無視してここは冷静な判断を下すべきだった。
情けなさと無力感で一杯になる。
どうするべきか分かっているのに心が許してくれない。
「誰か、助けて……みんなを、兄さんを……」
マシロはまだ二十歳にも満たない子供だった。
もしかしたら見知らぬ誰かが現れて、上手く皆を助けてくれて、兄との仲を取り持ってくれて、全員が幸せに暮らせる未来を作ってくれる。そんな物語の中にしかない奇跡を願ってしまう。
「お願い、助けて、神様……」
マシロは祈る事しか出来ない。自分はどうしようもない弱者だ。いつまでも無力なまま。あの地獄のような体験から全く成長できていない。
「うん、いいよ」
そんなマシロの悲痛な声を聞き届けたのは、天使めいた愛らしい容姿に邪悪な笑みを浮かべる一柱の神であった。




