螺旋回廊の戦い
「見えたぞ」
<ヒポグリフ>に跨りながらケンゴは言った。遠く白亜の城が見える。崖の下に広がる城下の町並みを睥睨するように存在している。
「あれが……」
その威容にヒロトは息を飲んだ。ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を思わせる瀟洒な構造。見た目こそ似ているがその規模が尋常なものではなかった。
ドラゴンでさえも飛行できない高々度、そんな高みからでもなおはっきりと視認できるほどの巨大さだ。街一つを城内に収めてなお余裕がある。
「私の島もそうだが、魔法というのは本当に凄まじいものだな」
ゴロウ大佐が呟く。
「臆している場合じゃない。急ぐぞ」
「じゃあ、大佐。あとはよろしくね」
ケンゴが口を開き、ヒロトが頷いた。<ヒポグリフ>の首を叩くと、鷲とも馬とも付かない声で鳴いた。
馬の蹄が地面を蹴る。スピードに乗った騎獣は勢いよく眼下から飛び出すと真っ白な翼を広げて滑空を始めた。
<ヒポグリフ>は<俺も乗せて>が召喚可能な<隠れ種族>である。頭部と翼を持ち、馬の下半身を持つそのモンスターは人間を乗せながら飛行可能な希少なモンスターであった。
騎乗可能な飛行ユニットとしてはグリフォンやワイバーン、ドラゴンなどがいるが、それらは最低でも三ツ星級上位の存在であり、召喚コストも非常に高く設定されている。
召喚コストが高いという事は維持コストも高くなるわけで、数を揃えようとした場合、大変な出費となってしまう。
一方、<ヒポグリフ>は二ツ星級であるため召喚コストが安く抑えられる上、馬との合いの子であるため気性も大人しく、騎獣としては最高のユニットなのだ。
魔王討伐を決めた半年前から鍛えている彼等は成長限界までレベルアップしているため戦闘面でも頼れる相棒になりつつある。
上空では次々に<ヒポグリフ>が飛び立ち始める。
「ヒロト、先に行くぞ」
そんな中、ヒロトを追い抜いて行ったのは<王の剣>である。彼は殆ど自由落下のような角度で一直線に<魔王城>へと迫る。
そして中空で愛剣<デュラン>を抜く。魔剣<魂喰らい>が陽光を浴びて禍々しく輝く。
「はあああぁぁぁぁッ!」
一閃。黒々とした刃が虚空を切り裂く。蒼白い火花が散る。ヒロトがスキルで手に入れた<魔眼>には無残に切り裂かれたヴェール――<魔王城>上空に掛かっていた侵入者防止用の結界――が映っていた。
ダンジョンを守る強固な結界はダンジョンマスターが繰り出す一撃によっていとも容易く壊されてしまった。
再構築は可能だろうか。しかし修復を終えるまでに恐ろしい時間と手間が掛かるのは間違いない。メラミから貰った魔導書を読み、古代文明の魔法の真髄を覗いたヒロトとしては少し勿体無い気持ちになってしまう。
一方、生粋の剣士であるケンゴは気にした風もなく魔王城へ突貫している。ヒロトはため息をつくと手綱を操り、魔王城へと侵入を果たした。
ケンゴが<ヒポグリフ>を停めたのは魔王城の中で一際大きく背の高い塔、その中腹にあるバルコニーだった。バルコニーは広く、襲撃部隊である<ヒッポグリフ>三〇頭が降り立ったというのにまだ余裕があった。
ヒロトは塔を見上げる。<魔眼>によれば<魔王城>の魔力は一度、この塔へと集められ、循環するようになっていた。つまりこの最上階に魔王の居住区であるコアルームが存在している可能性が高い。
「本当、ダンジョンマスター泣かせだね」
大幅なショートカットだ。魔王が苦心して造ったであろう迎撃装置はほとんど無視されてしまっている。
「ヒロト、感心していないで手伝ってくれ。流石にダンジョンまでは切れない」
ケンゴは<魂喰らい>を窓枠に叩き付けながら言った。刃が窓枠に触れると凄まじい火花が散った。だというのに窓ガラスにはヒビ一つ入っていない。
<魔王城>はダンジョンそのものであるため非破壊オブジェクトになっているようだ。後付の防御装置である結界のように破壊して侵入する事は不可能となっている。
力づくで押し通るなら迷宮神の権能を超える出力が必要だ。かの神によって<破壊出来ない>と定義されたオブジェクトなのだからより強い力を叩き付けて突破するしかない。
もちろん、抜け道はある。彼の神は全知全能とは程遠い。たとえばの窓のような開閉可能オブジェクトであればちょっとした工夫で突破する事も可能だ。
「ちょっと退いて――『我が腕は眼前に非ず』――」
ヒロトが魔法語を唱えると目の前に小さな穴――時空の裂け目――が生まれた。
古代魔法<時空魔法>の一種、<転送>と呼ばれる魔法だった。メラミから受け取った魔導書を読み解き、習得した古代魔法の一つである。
<転移>を習得するための前段階の魔法であり、目の届く範囲にアイテムを移動させる事が出来る。
ヒロトは中空に出来た裂け目に杖を投入する。柄頭に鋭い爪が付いた杖で、深い青色の魔石が封じられている。
<ヴァナルガンド>と呼ばれる魔杖だ。三ツ星級の武具モンスターで魔獣<フェンリル>の魂を封じたとされる杖だった。
次元の裂け目を通った<ヴァナルガンド>は吐き出し窓の向こう側から現れると、杖の先端を器用に使って解錠する。
ヒロト達は開け放たれたバルコニーの窓から堂々と侵入する。
「ありがとう」
再びヒロトの手に収まった魔杖が小さく震えた。どうやら褒められて喜んでいるらしい。
塔の内部は巨大な螺旋回廊となっていた。回廊は大きく陸上トラックよりも遥かに広い。どうやら敵はこちらの侵入経路に既に気が付いているようで階下から複数の足音が聞こえてきていた。
「どうする、ヒロト」
「部隊を二つに分けよう」
<ヒポグリフ>は帰りの足だ。誰かが残って守ってやらなければならない。それにここは敵地のど真ん中。魔王との戦闘中に背後から襲われるなんてたまったものじゃない。
「ここは僕が残るよ。ケンゴ君は先に行って」
「すまん、頼んだ」
ケンゴは配下の<ミスリルドール>のおよそ半数――<シルバードール>の進化個体――一五体を従えて、上階へと続く螺旋階段を登り始めた。
一方、ヒロト率いる足止め部隊は回廊を少し下って踊り場のような広いスペースに出る。
「整列、戦闘準備」
大盾を持たせた<ミスリルドール>が通路を塞ぐようにして並んだ。自身は少し上段の高い位置で護衛役の<ミスリルドール>と共に敵を待ち受けるのだった。
「<凍りつく荊の園>!」
ヒロトが魔法を行使した瞬間、踊り場に氷で出来た荊が生まれる。
悲鳴が上がる。氷の荊は彫像が如き見た目に反して素早く動き、無数の蔦によって敵を絡め取ったのだ。
「<血吸いの薔薇園>」
蔦から氷の棘が伸び、捕らえた魔物を串刺しにする。再び広場に悲鳴が満ちる。透明な蔦が赤く染まる。内部の管を通して敵の血肉を啜っているのだ。
魔力が満ちる。荊のそこかしこから真紅の薔薇が咲いた。
「<雪月花の園>!」
花弁が砕け落ち、無数の刃となって敵へと襲い掛かった。花弁は鋭い刃となって強靭な魔物の肉を切り裂いては更なる被害者を生み出していく。
ヒロトが放ったのは魔導書に乗っていた<冱てる死人達の薔薇園>と呼ばれる古代魔法であった。ひとつの魔法で幾つもの効果を発動させる珍しい魔法である。
<冱てる死人達の薔薇園>は氷属性の魔法であり、愛用の<ヴァナルガンド>との相性も抜群だ。同じ氷属性の<フェンリル>の力を封じたとされるこの魔杖は氷結魔法の威力を倍近くまで高めてくれる。
失われた神代の魔法に、高位のダンジョンマスターたるヒロトの魔力、魔杖のブーストまで加わった魔法の威力たるや尋常なものではなく、踊り場に来た敵部隊一〇〇名の命を一瞬にして奪い去ってしまった。
「何だコレ――ひぎゃあぁぁぁ――ッ!」
そして再び回廊に姿を現した増援部隊から悲鳴が上がる。そしてこの魔法の本当に恐ろしい所は、敵から奪った魔力によって効果が持続するという事だろう。
この魔法には荊の棘から吸収した魔力を溜め込んでおく核が存在している。この魔法を消滅させるためには核を潰すしかない。
そしてこの核は既に二〇〇名近い三ツ星級モンスターの命を奪っている。この魔力量なら一〇〇年くらい魔法を維持させることが可能だ。
踊り場側に立たせた<ミスリルドール>達はこの魔法の護衛役だった。三ツ星級の<シルバードール>の進化個体である。
等級こそ三ツ星級ではあるものの成長限界までレベルアップした個体ばかりだ。よほどの実力者でも来ない限りこの螺旋回廊を突破するのは不可能だ。
――まあ、敵もそんな甘くはないだろうけどね。
ヒロトの<魔眼>は階下より迫ってくる強大な気配を捉えていた。




