白金色
「シッ!」
「な、重い!」
左右から同時に繰り出された袈裟切りにティティは顔を歪ませる。想定していたよりも遥かに重い一撃に足裏が僅かに滑った。
「まだまだ!」
耐える。幾度となく火花が散る。先ほどとは比較にならない鋭い斬撃にティティは次第に押し込まれていく。
猛毒、麻痺毒、そして呪い。<死毒剣>によって付けられた数々の状態異常がティティの肉体を侵食していた。太陽神の巫女が持つ神性によって何とか侵攻は抑えられているものの可能なら今すぐにのた打ち回りたいくらいの痛みを覚えていた。
――なぜ、これほどの強い攻撃が!?
力が出ない。しかしそれだけでは両者の能力差を覆す事は出来なかっただろう。
ティティはその時、ルークが剣を振るう瞬間、漆黒の鎧もまた動き出しているのに気が突いた。
――まさか……武具が協力を……?
三ツ星級<星降の鎧>。アダマンタイト製の強固な鎧だ。ケンゴが装備する<混沌の鎧>のような特殊効果はない。その分、基本性能面は高く同等級のリビングアーマーの中で最も硬く力強い。
ルークが繰り出す攻撃には自身の力に<星降の鎧>の力が上乗せされ、最後に<呪い喰らい>や<死毒剣>といった魔剣の力までが加わっている。一人ひとりの威力なら耐えられてもそれが三つ合わされば油断ならない破壊力となる。
<死毒剣>による横薙ぎが迫る。予兆のない、まるで操り人形が腕を振るったような挙動にティティの反応が遅れた。神経回路に電気を流せば振り被る必要もなく体を動かす事が可能なのだ。何とか戦鎚を傾げて受け流そうとするも失敗、まともに受け止めてしまう。
「軌道が、クッ」
恐らく魔剣の方が自律して動いたのだろう。ルークは驚いた様子もなく――むしろ当然の事として受け止めており、
「<突風>」
合わせるように魔法を放った。強い風が足元から掬い上げるように舞い上がる。
「――ッ! くそ!」
ティティは僅かに体勢を崩されてしまう。その隙を見逃すようなルークではない。<呪い喰らい>が突き出される。最短距離で迫るそれをティティは転がって避けるが、崩れた姿勢では間に合わず、結果、肩口で受け止める事になった。
切っ先から閃光が飛び散り、肩口を焼いた。ルークはその身に宿した高圧電流を流し込んだのだ。
「く、うっ……」
下がる。膝に力が入らなかった。
呪いがまた一段深く侵攻したのだ。<呪い喰らい>は傷つけた敵の魔力を奪う。猛毒や呪いに対抗してくれていた神性を奪っていったのだ。
膝から崩れそうになるのを必死で堪えながら敵の猛攻を凌ぎ続ける。相手が疲れるのを待つ。その後に致命的な一撃を見舞う。それが勝利への方程式。だから、待つ。刃が掠った。呪いが侵攻する。待ち続ける。傷を受けた。毒が体を蝕んでくる。待つ。目が霞んだ。待つ。血が吹き出る。いくらでも待ってやる。まだ待つ。辛い。苦しい。なのになぜ敵は疲れない。
そして気付く。<電子制御>さえあれば疲労など無視出来ると。呼吸をしながらでも好きなタイミングで好きなだけ剣を振える。動き出しさえ分かればあとは鎧と剣が勝手に威力を上乗せしてくれる。
止まらない。ティティの背中にある黒ずんだ傷口から血が噴出す。出血が止まらない。息も苦しい。
朦朧とする意識の中、ルークは左右の魔剣を天高く掲げているのが見えた。
最も威力のある袈裟切りを左右同時に放つ――ルークが得意とするフィニッシュブローだ。
――受け、切れない!
だから、ティティは最後の力を振り絞ると戦鎚を手放した。
「あああぁぁぁぁ――ッ!」
普通に戦って勝てる相手ではない。<大天使>アルファエルやその眷属達との戦いを見た時からルークはそう確信していた。
ルークの眼には彼の<巨いなる暴君>は金色に輝いて見えた。幼い見た目や言動に騙されがちだが、彼女は豪快ながら恐ろしく堅実的な戦い方をする。油断しない。無理もしない。敵の攻撃をがっちりと受け止め、その豪腕で叩き潰す。生まれながらの強者、己の能力に絶大な信頼を寄せる者だけが取れる王者の戦い。
それだけにルーク単独で勝利する事は不可能だった。手も足も出ないだろうというのが<眼>による分析だ。大人と赤子の戦い。大人の方が転んで自滅するような奇跡でも起きない限り。
魔剣や鎧達の力を借りた所で、大人と子供の勝負になるくらいで全く足りない。
どうしても倒したいのなら策を巡らせる必要がある。
幸いルークには強力な手札がある。<死毒剣>だ。複数の毒が体中を駆け巡ればその身体能力は半分以下になるだろう。
問題は高位の魔物だとだいたいが各種毒物に対する状態異常耐性を持っている事だ。<巨いなる暴君>ぐらいになれば<死毒剣>で切り付けたくらいでは容易にレジストされてしまうだろう。
そこで<呪い喰らい>の出番だ。同じ箇所へ同じタイミングで傷を付けてやればいい。<吸魔>の効果により傷口を中心にした箇所は一時的に魔力が枯渇するため状態異常耐性を切る事が出来るのだ。
まともに相対するのでさえ難しい格上相手に左右の剣を同時に傷付けるなんて正気の沙汰じゃない。
幸いな事に魔剣達は武具であると同時に、自らの意思を持ち、自律可能なモンスターでもあった。ダンジョン内では宝箱や宝物庫の中に紛れ、冒険者を狩る擬態系モンスターだ。不意打ちや騙まし討ちは大得意。意識さえ完全に逸らせてやれば見事に奇襲を成功させてくれるに違いない。
完全に油断させたところで背中から突き刺す。
そのためには筋道が必要だ。魔剣が背後に落ちていても不自然でない状況を作り出す必要がある。
だからこそ<決闘>だ。遭遇戦の場合、違和感なく魔剣を手放せるとは限らない。確実に倒すには場を整えるのが必要だ。
決闘が開始されたと仮定する。まず戦いの直前に聖光灯を消す。黒く目立たないという理由で<呪い喰らい>を投げつけやすくなる。更に影縫いで背後を取り、強襲する。
強襲は失敗する。それでいい。予備の武器<疾風剣>に取り替える。投げた武器についてはもう使わないだろうと判断するはずだ。
ルーク単独で真正面から切り込む。<死毒剣>の特殊効果を狙い軽くて速い連続攻撃を繰り返す。受け止めきったら強大な一撃を放ってくる。きっと受け切れない。<死毒剣>は場外へ吹き飛ばされ、再利用されないものと判断される。
予備の<疾風剣>を取り出し、今度は空中戦からの魔法攻撃を仕掛ける。視界を封じる<濃霧>あたりは堅実な戦いを好む彼女は嫌いそうだ。そうやって敵の位置を調整していく。
完全に意識をこちらに傾けてもらえるのであれば一番いいのだが、今の実力では難しいだろう。どこかで仕切り直したい所だ。戦闘中というのは集中しているため僅かな違和感さえ察知してしまう事がある。
被弾覚悟で距離を取り、再び近づく。生粋の王者たる<巨いなる暴君>は追撃なんて無粋な真似はせず、泰然と挑戦者を待つだろう。
そこで会話の一つでも出来るなら最高だ。集中が緩まる。そして戦闘再開、その直前に最後の手札<電子制御>を披露する。こちらに意識を向けた所で魔剣に襲わせるのだ。
ここまでは思惑通り。
ルークは電気を制御する。引き攣るような痛みと共に身体が動作する。魔剣や鎧が威力を上乗せする。鋭い一撃を満身創痍の王者が防ぐ。
――長くは、持たない。
ルークは己の身体が壊れていく事を自覚していた。
『それは使わない方がいい』
<電子制御>はケンゴから教えられたスキル活用法の一つだ。そして開発者であるケンゴ自身からそう警告された。
理由は簡単。ルークが未熟だからだ。神経回路に直接電気を流し込むこのスキルは非常に危険なものだ。尋常ならざる緻密なコントロールが必要になる。
例えば神経回路に一〇〇の電力を流し込まねば発動しないとして、ルークはその場合、一〇五を目安にして電力を流している。彼の腕前ではどうしてもプラスマイナス五程度の誤差が発生してしまい、一〇〇を下回ると失敗するため遊びを容易してあげる必要があるのだ。
それはつまり五%もの過剰供給が発生しているという事だ。制御をミスれば一〇%もの過剰供給になる。この誤差はどこに行くのかといえば電力を流し込まれた神経回路が負担する事になる。ようするに過剰供給の分だけ神経が傷付けられるという事だ。
ケンゴはそれをスキルを購入する事で解決した。<魔力制御>を最大レベルまで獲得する事で誤差を一%未満にし、高レベルの<雷撃耐性>を身に付けることで神経へのダメージを極限まで減らしているのだ。ついでに言えば<自動回復>によって自然治癒力を向上させているため実質ノーリスクで<電子制御>を使う事が出来ている。
好きなスキルをいつでも好きなだけ購入出来るダンジョンマスターならではの解決法と言えよう。
一方、ルークにそんな便利な能力はない。地道にスキルを使い続けて誤差を減らし、過剰電力による痛みに体に慣れさせ、バランスの良い食事や充分な睡眠を取る事で自然治癒力を上げるしかない。最後のダメージ自体は回復薬や魔法によって何とかなるが、白兵戦の真っ最中にのんびり薬瓶を開ける余裕などあるわけがない。
故に一〇〇回。それ以上は身体が先に自壊する。
ルークは我武者羅に剣を振る。攻撃回数は既に五〇回を超えている。満身創痍であるはずの敵はそれに耐えている。六二、剣が初めて相手に触れた。七六、ようやく初めて傷を与えた。八九、二回に一回は当たる。九九、もう限界だ。
ちょうどその時、ルークの<眼>が色の変化を捉えた。徐々に曇っていた金色が突如として光り始めたのだ。
――来る! 最後の、最強の一撃が!
理性は<影縫い>を選んだ。王者が放つ一撃は強大無比。人間たるルークでは抗いようのない一撃。だというのに、
ルークは我知らず両手を天高く掲げていた。
<天剣>。それは最も威力ある袈裟切りを左右同時に放てる必殺の構え。一見すればすきだらけのそれは命を賭して敵を殺す覚悟の表れでもあった。
<天剣>。ずっとその名で呼ばれるのが辛かった。あの頂きに立ててない自分如きが天を冠するなんて不遜だと思った。
『ルーク君の構えは翼を広げた白鳥みたいだね』
ふと思い出す。
はて、この言葉を最初に言ったのは誰だっただろうか。
『ルーク君は凄いね、天才じゃないか』
シルバースライムを初めて一人で倒した時、そう言って褒めてくれたのは誰だろうか。
『天剣か……良い名前だね。ルーク君にぴったりだ』
そう言われて飛び上がって喜んだのは何故だったのだろうか。
――マスター、だからだ……。
嬉しかったのは褒められたからじゃなかった。
あの人が喜んでくれたからだった。
地獄の底から僕を救い上げてくれた人。
僕等を育み、親の愛を教えてくれた人。
僕が強くなりたかったのは何でだろう。毎日毎日、飽きもせず剣ばかり振るっていたのは何故だろう。
あの人を護りたい。あらゆる脅威から、あらゆる害意から、苦しみから、悲しみから、解き放ちたい。
――強くなりたい!
不意に視界に色が映る。その色は白金。溶けず、変わらず、輝き続ける不変の色。
瞬間、黒く塗りつぶされた<星降りの鎧>が光を放った。禍々しい<呪い喰らい>の刀身が、怪しげな至極色の<死毒剣>の刀身が神聖に輝き始める。
<巨いなる暴君>が武具を捨て右腕を繰り出してきた。単純な打撃。彼女の矮躯からでは決して届かないはずのそれが伸びてくる。巨大化していく。
眼前に迫る巨大な拳。王者が繰り出す不可避の一撃は恐ろしいほどの速度でルークに迫った。恐らく腕部だけ封印を解除したのだろう。これが巨人の力、今の彼女が持ち出せる最高の一撃。
ルークは踏み込む。何の確証もなく勝負に出ていた。分の悪い賭けだと思う。敵が繰り出す拳は巨人の力を持っている。ただの巨人ではない。竜ですら容易く屠る<巨いなる暴君>の拳である。
ルークは迷わない。最強の一撃を、最強の一撃で迎え撃つ。
「あああぁぁああぁぁぁぁ―――ッ!!」
白金色の誓いと共に――
気が付けばルークは仰向けに倒れていた。割れた<聖光灯>の残骸がぼんやりと見える。
「ルーク様、オツカレ様、デシタ」
視線を向ければ部隊の副官役をお願いしていたゴブリンキングの姿が見えた。後ろには回復役の<ゴブリンクレリック>達が控えていて、ぎぃぎぃとゴブリン語で呪文を詠唱していた。どうやら決闘の最中、離れて見守ってくれていたらしい。
「敵は――ッ!?」
身を起こそうとして失敗する。回復魔法の回復量は術者によって異なる。一度や二度の魔法では直しきれなかったようだ。
「大丈夫デス、マズオ体ヲ」
「……ごめん、お願い」
心得たとばかりに<星降りの鎧>が動き出す。
独りでに上体を起こして回復薬をバッグから取り出す。蓋を外し、口元まで持ってきてくれる。ちょっとした老人介護のようだ。
飲み下す。酷い味。全身が痺れるように痛んだ。鎧は追加の回復薬を頭から被り、二降りの剣にも飲ませている。
追加の回復魔法が到着することでルークはようやく体を動かせるようになった。
痺れが残る身体で起き上がり首を回す。
視線の先には仰向けに倒れ込むティティの姿があった。彼女の状態は更に酷い。小麦色の肌には無数の傷があった。赤い血肉が露になった傷もあれば、毒に侵されて真っ黒になった傷もある。一〇〇回の攻撃で全身をなます切りにされた彼女は生きているのが不思議なくらいの傷を負っていたのだ。
膨らんだ肩から生える不自然に巨大な腕。徐々に太くなっていくそれは二の腕から消失していたのだ。
最後の瞬間、ルークが放った<天剣>によるものだった。白金に彩られた刃は敵の拳を十字に切り裂いたばかりか、勢いそのままに腕部そのものを吹き飛ばしてしまったのだ。
ゆっくりと近づく。
虫の息というのはこういう事を言うのだろう。意識こそあるようだが、自力で動く事は不可能に違いない。
長い睫毛に縁取られた黒い瞳が此方を見た。
「トドメヲ」
副官が言う。
ルークは小さく頷き、黒剣を喉元へ向けた。




