神鳴りさんと夕立の午後
安彦は、膝をついて苦悶の表情を浮かべた。
「みんな、ごめん…。
廊下が見えていたんだ…。
そしたら繭が…、あーゆう繭がいっぱいあって…、でも、俺、もうお札を持っていなくて…」
倒れるように、腕を床に付いて俯いた。
風車が、悲鳴のような音を立て、猛烈な勢いで回り始めた。
双葉さんの病室の、開いたままの戸口に、三本の指が、ぺたり、と覗いた。
子供の指だ。
だが、何か禍々しいのは、爪が異様に伸びているせいだろうか…。
それとも、その指の間隔が、なにか尋常ではない感じがするからなのか…。
「ひやぁぁぁ!」
伊沢直樹が叫んだ。
「早く、窪田君を結界の中に!」
白尾春奈ちゃんが叫んだ。
牧名正と伊沢直樹が、安彦を結界の中に引き入れた。
部屋の入り口から、異様なものが、入ってこようとしていた。
白っぽい肌の皮膚には、ほとんど体毛がなく、全体が粘液で湿って艶やかだ。
人とも、馬ともいえる奇怪な頭部は、つるん、と長く、その顎の先端に馬のような口が半開きに開いている…。
だが、口の中に除く歯は、馬ではない。
確かに人間の、子供の歯と見えるものが、ダラダラと涎を垂らしながら、震えていた。
体は十歳前後の子供だろうか。しかし、手足は異様に長く、手の甲、足の甲が、第三の足関節のようになって長く伸びていた。
とうぜん、そんな姿では、満足には歩けず、子供、は、入り口で、ぐしゃり、と潰れるように倒れた。
細い手足をバタバタと痙攣とも見える速さで動かし、子供は立ち上がろう、とするが、思うように動けず、床をズルズルと這いながら、それでも双葉さんのべッドに近づいた。
風車は廻り、再びガタガタと棒を揺らし始めていた。
「おいおい、どうするんだよ!」
牧名正は棒にしがみつきながら問うが、誰も答えられない。
五十嵐老人は、ひやぁぁぁ、と手を合わせて蹲り、ナンマイダブ…、と必死に拝み始めていた。
ガタン、
入り口で大きな音がし、それ、が姿を現した。
全身が、まるでフジツボに覆われてでもいるようにただれ、血を吹いた、頭が異様に大きな子供だった。
その頭部は、部屋の入り口に通れない程にデカい。
それ、は、キィ、キィ、とヒステリックに叫びながら、入り口と格闘していたが、不意に頭を傾けた瞬間、部屋に侵入してきた。
「ま、まさか、俺が見た仮面をつけた少年って…」
しばらく、肩で息をして倒れていた安彦だったが、少し落ち着いたのか身を起こし、結界の外を見て言った。
「象徴的な意味での、異形、というような意味合いの仮面だったのかもね…」
吹雪が呟くように言った。
そうしている間にも、奇怪な、顔の片側だけが肥大した子供や、整った顔だが口だけが馬、といった異形の子供たちが、ぞろぞろと双葉の部屋に侵入し、結界を取り囲んでいく。
部屋に入りきれないほどの、子供、が安彦たちの周囲を包囲していた。
「と…、とにかく、やっつけよう!」
安彦は、孝江さん、と囁きながら赤い恋人を外に出した。
白尾春奈ちゃんも折り鶴を飛ばし、吹雪ちゃんも弓を取り出す。
赤い恋人が巨大な手を一閃すると、一体の、子供、が、耳に刺さるような甲高い悲鳴を上げ、血飛沫を上げて消滅するが、その都度、新しい子供が部屋に入ってくるだけだった。
「ああっ! 皆さん! 天井から!」
山本さんが叫んだ。
吹雪ちゃんの退魔の術で吹き飛んだ天井を伝い、妙に手の長い、子供、が、ひょろひょろと猿のように渡ってくる。その背後にも、子供、たちが天井の隙間から、安彦たちを見下ろしていた。
風車は悲鳴を上げて回っている。
安彦は必死に赤い恋人を操って、子供、を粉砕していたが、急に咳き込み、蹲った。
ガハッ、と口から吐き出されたのは大量の血液の塊だった。
「…あれ…」
安彦は口を拭った手を見た。
「赤い恋人は強力な霊よ。
体力が落ちたら、いくらあんたでも、そうなるわ。引っ込めなさい!」
「で…、でも…、今は、そんなこと言ったって…」
「あ、私も折り鶴を作る紙が、もう切れちゃったみたい…、ごめんね…」
風車は狂ったように回り続けている。
「な…、なんか、別の札とかないのか?」
牧名正が、妙に落ち着いた声で聞いた。
「…ごめんね…」
吹雪が呟く。
「うわぁ!」
安彦が泣き叫んだ。
「皆ごめん!
俺が判りもしない障りに、調子に乗って近づいたばっかりに!」
廊下を遮っていた壁が、ごぅ、と音を立てて崩れ落ちた。
無数の、子供、が一気に結界に群がった。
全員が、悲鳴を上がるが…。
「なによっ!
いったい、あんたは何だって言うのよ!」
吹雪だけは怒鳴っていた。
自分の右肩の上に漂う、六角形に見える立体形をした、神にである。
「人を散々、弄んで!
私から、家も、家族も、肉親も、全て奪って!
そうして、いつも、いつも、あんたはそうして浮いているだけ!
私がどんなに泣き叫んでも、面白い物を見るように、人を見下ろして…、そんなに笑いたいなら、せめて、声を立てて笑ってでもみせたらどうなのよ!」
「吹雪ちゃん…」
安彦は吹雪に近づこうとするが。
「ええっ、そうやって、人を試して喜んでいるなら、やってやるわよ、この馬鹿神め!」
吹雪は、泣き、喚きながら、自分の神様を素手で殴ろうとした。
パァン。
その手と神の間に、安彦の顔が飛び込んでいた。
「…痛ったいなぁ…。吹雪ちゃん…」
「安彦! 邪魔をしないでよ!」
へへっ、と安彦は笑い。
「俺は君の邪魔をする。
ずっと、そうしてきたじゃないか?」
吹雪は、安彦を見つめ、ポカポカと殴り始めた。
「…い、痛いよ、吹雪ちゃん…」
「煩いわね…、黙って…」
言葉を失うと同時に、吹雪は慟哭した。
安彦が吹雪の頭をいだいた。
その瞬間、空が震えた。
全員が、それこそ結界の外の、子供、までもが、一瞬、動きを止めた。
綺麗に澄み渡った夕空の上、まだ明るい青空には、金色に染まった雲が、いくつも、細く光っている。
そのはるか上空で…。
大気が、数センチ、動いた。
一つの空気が、数センチ動くという事象は、数万メートルの大気が、一気に雪崩を打って落ちていく、という事だった。
青く澄み渡った空に、白銀の閃光が縦に走り…。
━ガッ…━
一瞬のうちに、秩父総合病院の半壊のビルディングに向けて、天空から電流が迸った。
世界の全てが白く染まった。
白銀の稲妻が、双葉の部屋を焼き尽くした。
子供、たちが閃光に貫かれていく。
双葉さんにつながった、全ての電子機器が、紅蓮の火を上げて爆発した。
そして…。
風車の音だけが、カラカラと、涼しげに回っていた。
茫然と座り込んだ、安彦の頬に、ぽつり、と雨粒が当たった。
あ…。
綺麗に澄み切った青い空から、大粒の雨がバラバラと降り注ぎ、やがて周囲を白くけぶらせるほどの雨になった。
隣りの人間とも会話できないような雨音の中、安彦は、声を聴いていた。
「吹雪。
神鳴り様は、決して一人では鳴らなかったのだよ。
あなたの周りの人々に感謝をしなさい。
そして、これからは、神鳴りさんとして、退魔の道をあやまることなく、進んでいきなさい」
土砂降りの雨の中、声が確かに聞こえた。
これが、七代目神鳴りさん、中島吹雪の、初めての退魔だった。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
これで、一応の完結です。
次からは、赤いキューピーの呪い、を書きます。
どうぞよろしくお願いします。




