オタマジャクシ
安彦は、黄色く焼けた畳の上で、ぽつん、と立っていた。
透明プラスチックのバケツと、オタマジャクシを掬う網を持って。
初夏のある日、風見さんと石神井公園にオタマジャクシを取りに行った。
小学校の三年だった。
一日遊んで帰ってくると…。
お母さんがいなくなっていた。
リコン…とは、安彦には分らない出来事だった。
実は、お父さんとお母さんは仲が悪かったらしい。
男だらけの道場のある旧家に嫁ぐというのは、相当に大変だったのだろう。
今なら判る。
だが、当時の安彦には分らなかった。
畳の上で、ポツン、と小三の安彦が立っている。
オタマジャクシの入ったバケツと、網を持ったまま、ずっと…、立っている。
部屋は広い。
気が狂いそうなほど…。
二百畳あるのだという…。
広い、広い、部屋の中に安彦は立っていて、部屋の中には何もなかった。
ただセミが鳴いていた。
アブラゼミだ。
漫画のように、ミーン、とは鳴かない。
ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジ…。
どこまでも終わらない、ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・とひくい声で、
ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・といつまでも、いつまでも、
ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・と…、安彦は立っていた。
手の中のバケツは、オタマジャクシでいっぱいだ。
百匹はいる。
だけど、お母さんはいない。
ジ・ジ・ジ・ジ・ジ…。
真っ赤なプラスチックのたらいの中で、黒いオタマジャクシが死んでいた。
黒い小さなオタマジャクシが…、死んでいた。




