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神鳴りさんと夕立ちの午後  作者: 六青ゆーせー
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6つの繭

安彦は、心の中で呼びかけていた。


「孝江さん…。今は動かないで…」


孝江とは、かの赤い絵の画家、藪方魚鱗の恋人だった人の名だ。


安彦は、赤い恋人を自分の操魔にする、と決めてから、この恋人の名を調べていた。

かなり苦労して、魚鱗の地元の郷土史家のホームページで、やっと分かった。

茅野孝江さんという人だった。


今は、常に孝江さん、と赤い恋人に心の中で呼びかけていた。


回転しすぎて、キュンキュンと金属的な悲鳴にも似た音を立てている風車の横を抜け、結界の外に足を踏み出す。


もぞり、と地下駐車場で靴と靴下を脱いでいた素足が、カイコを踏む。

が、カイコはゴムのような弾力があり、全然潰れなかった。


しかもカイコたちは容赦なく安彦の足に這い上がって生きた。

ズボンの外側ならいいのだが、カイコは問答無用で脛の皮膚を這って登ってくる…。


こそばゆい…、と、同時に、なにか、痺れるような、鈍い重みが皮膚に広がった。


(…うーん、これ…、上に上がってくるんだろうなぁ…)


虫ではなく霊障、と思ってはいても、やはり気色が悪い。


数歩をゆっくりと歩き、安彦は結界の外に出た。


ポトリ、ポトリ、と天井からカイコが降ってくる。

頭に這い、肩に這い、腕に這う。


走ったり散々していたので、シャツの袖を捲ったことを後悔しながら、安彦は双葉さんのベッドの足元にある、一番近い繭に辿り着いた。


お札は、長い短冊状の紙に筆で文字を書いただけのシンプルなものだ。吹雪がよく言うように、いわゆるお札らしい絵のような文様を描いたものなどは、ありがたく見せかけるための演出に過ぎないのだろう。


別段ノリが付いている、とかではなかったが、お札は繭にペタンと貼り付いた。


次、と思いながら安彦は部屋を見渡した。


頭、肩、腕、足、いや体中にカイコが這いまわっていた。

体が、とてつもなく重い。

これは、考えて歩き、最短距離を進まないと、途中で力尽きてしまいそうだ。


直近の繭は部屋の右手、入り口のすぐ近くにあるが、そちらに寄ると三つめの繭に歩く手間がかかる。

三つめから部屋の一番奥にある三個の繭に歩き、帰りに二番目の繭に貼る方が最短になる、と安彦は読んだ。


甲冑でも着けているように重い足を、一歩、一歩、踏みしめ、歩いていく。


カイコは、安彦が思った通り、太ももに這い上がり、その上にも問答無用で登ってきた。自分がトランクス派だった事を、今ほど後悔したことは無かった。

たぶんブリーフ派だったら、何とか守られていた部分に、虫にしか思えない霊障が入ってきた…。


やばいな…。


安彦は、子供の頃より窪田流剛体術を学び、年上の子供でも、いや大人でも、恐れたことなどないのだが…。

この部分だけは人並みに弱点だった。


これは…まじ、ヤバイ…。


そこに注意が集中していたせいか、あまり体の重さを気にすることもなく、安彦は第三の繭にお札を貼った。


カイコは、幸い、今のところは窪田安彦の最大の弱点には気が付いてはいないようだ。


顔を殴られても、骨が折れても何とかなるのだが、この部分だけは我慢が出来ない。


思いながら、第四のお札も無事に張り終えた。


よし、次だ…。


思って足を踏み出した瞬間、体に重みがかかってきた。


これは、ちょっと、十キロや二十キロの重さではなかった。

安彦も小学校高学年から、六十キロの米俵を背負って走っていたが、それより重い。

体中に重さがかかり、一歩歩くにも体中が軋んだ。


お札を三枚持っているだけの左腕も、その重さに悲鳴を上げている。


これが霊障ってものなのか…。


よく心霊スポットで肩が重い、とかいう人間を見て、どういう状態なのか理解できなかったが、たぶん今のようなことを言っていたのだな、安彦も合点がいった。


これは確かに辛い。


安彦は足を引きずるように歩いた。


もはやパンツの中のことなど気にもならなくなっていた。


体が石化したようだ。


第五の繭まで、何分もかかった気がした。


お札を貼り、一番右奥にある第六の繭に向かう。


だんだん、ただ重いというより、意識が危なくなってくる。

熱が出たように体がだるく、朦朧として休みたくなる。


あれ…、あと何枚お札を貼ればいいんだっけ…。


それが判らなくなり、左手を見下ろす。


カイコまみれの手に、お札が二枚ある。


あれ…、一番奥に歩いているのに、札が二枚ある?


もしかして、どこかに貼り忘れたのか…?


心配だが、ともかく奥の繭に向かって進む。


進んで…、良いのだろうか…?


戻って、…確かめた方が良いんじゃないか…?


もし貼っていなかったら、全て…。


…全て、どうなるんだっけ…?


戻ったら…。


戻らないと…。


あ…!


オタマジャクシが死んじゃう…!


そうだ、と安彦は思い出した。


石神井池でオタマジャクシを取った。


百匹以上いた。


家の裏のバケツで、飼っていた。

いたのに…。


みんな死んじゃった…。


百匹全部、死んじゃった。


水を変えなかったからだ。


水が腐って死んじゃったんだ…。


戻らないと…。

腐って死んじゃう!


みんな、腐って死んじゃう…!


足の生えかけた奴もいたのに…。


皆、皆…、みんな…、…死んじゃう…。


安彦の動きが止まった。

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