部屋の中
エレベーターの扉が閉まると、安彦は階数表示を見上げながら、言った。
「ごめん、吹雪ちゃん。
こんなことになるなんて、思ってもいなかった…」
「謝ることは無いわ。
限られた時間の中で、あんたは最高の仕事はしている。ただ障りは見逃してくれなかった、ってだけで、退魔をやっていればどっちみち、いつか、こういう事になるものなのよ。
問題は、くっついて来ちゃった、あいつらだけでも無事に帰らせられるのか、っていうところね」
「そうだね…」
安彦が頷いたとき、エレベーターの扉が開いた。
目の前に広がったのは、薄暗い廊下だった。
ポツン、ポツンと暗い蛍光灯が灯っているが、闇の方が濃い。廊下の先がどうなっているのか、暗すぎて見えなかった。
その中で、一ヶ所、光が漏れているドアがあった。
ドアが開いているのだ。
「あそこだ!」
安彦は走り出していた。
廊下は深緑のゴムシート張りで、この暗がりでは全くの黒色に見えた。
ぼんやりと赤っぽい光に照らされた部屋に飛び込むように走り込んだ安彦は、驚愕の叫びをあげた。
そこは、人体の標本を集めた部屋だった。
臓器やら、胎児やらの薬漬けやプラスチック張りの標本が、狭い通路の両側に、ずらりと並んでいた。
「あ、風吹ちゃんは見ない方が…」
「馬鹿ね。こんなものでビービー言うような仕事じゃないのよ、こっちは」
吹雪はズカズカと中に入っていく。
列の一番奥まで行くと、縦断通路が伸びていた。
何歩か歩くと、やはり左右に標本が並んだ細い通路が入り口方向に続いている。
縦断通路を歩きながら、標本棚を見て歩く。
「全ての病院に、こんなのがあるのかねぇ?」
「病理標本というのを残さないといけないのよ。
よく言うでしょ、取った腫瘍を見せてもらった、とか。
ああいうのは、標本にしたものを見せてもらうわけよ」
などと話しながら、歩いていると。
一本のスポットライトが当たった標本を見つけた。
「あ…、あそこに光りが当たっている!」
天井のライトが、根元から傾き、標本に光りが当たっていた。
走り寄った安彦は、うわっ、と叫ぶ。
意味は全く分からなかったが、その病理標本のビンの前には、一枚の写真が置かれていた。
モノクロの写真。
あの、滝沢氏のPCの壁紙になっていた沼倉村の三人の子供の写真だった。
「と…、とにかく間違いない! この標本だ!」
ビンを手に取るが…。
「まずいわね。泥が入ってきたわ」
入り口に近い部分を、黒い泥が走ってきた。
「ま…前にもドアがあるよ!」
安彦は走り出す。
「なんでドアがあるなんて分かるのよ?」
「だってほら、入り口が部屋の角の場合、大体、前と後ろにドアがあるだろ?」
吹雪ちゃんは考えたが。
「ま、今日は大当たりの、あんたに賭けるしかないわね」
縦断する通路を走ると、棚の奥に扉が見つかった。
必死に扉を開けると、不意に泥だらけの手が安彦を襲った。
幼い頃から体得した格闘技のさばきで、手を弾くが。
「なんっ…!」
泥人間には、六本の腕が生え、まるで触手のように安彦に腕が襲い掛かった。
安彦は吹雪ちゃんにビンを渡し、叫んだ。
「この先に非常階段があるはずだ」
言いながら、一本の腕を取り、泥人間の足を蹴飛ばした。
腕が何本あろうが、重心を崩せさえすれば、関係ない…。はずだった…。
ずるり、と傾いた六本腕の後ろには、長く続いた泥があり、そこに片側三本の腕が生えていた。
長く続く廊下に対応したかのように、この泥人間は、縦に長く繋がっていたのだ。
その二番目の顔と、目が合った。
ニタリと笑ったように、安彦は感じた。
安彦は、先頭の六本腕と、繋がった片面の三本腕に挟まれてしまった。
一瞬慌てるが。
安彦は後ろに下がって相手の腕を取った。
人間の腕は、背後から決めれば、容易く関節を取れる。一番上の腕の関節を決めながら体重をかけると、先頭の泥人間が、ぐらり、と崩れた。
安彦は、素早く飛び退き、剛体術で標本室のドアを引き剥がした。
それを横にして、盾に使い、泥人間に押し当てた。
ありったけの力で、そのまま押し潰す。
慌てて身を転じ、安彦は走った。
泥人間は、首を切られようが押し潰されようが、すぐに骨の筋肉を再生して起き上がる。
吹雪ちゃんを追って走り出した安彦だが、あるものを見て足を止めた。
消火器だ。
泥に薬物が混ざったら、少しは泥の動きが変わるかもしれない…。
安彦はピンを抜き、泥人間に消火剤を振りかけた。




