逃亡
前に双葉さんが訪れた時には、沼倉村はまさに沼になっていた、というが、五月になってから雨は一度も降っていない。
川沿いの広い土地は一様に乾き、地面には罅が入っていた。
山が動き、うねり、生えていた木や内部の石が吹きあがっていたが、幸い平地は安定していた。
安彦たちは必死に走り、村の中央部まで到達した。
五十嵐老人が、ああっ、と喘ぎ、倒れてしまう。
怪我は無さそうだったが、これ以上走るのは無理のようだった。
振り返ると、山の木は全て倒れ、土砂が沸騰したように沼倉村へ流れてくる。
とはいえ、元々幼児が遊べるほどの山、というか丘だったので、安彦たちのところまでは土は到達しなさそうだ。
安彦たちは五十嵐老人を囲むように集まった。
茫然と、今だ蠢き続ける山を見ていたが…。
「…ちょっと、あれ…」
高嶋裕が低く囁いた。
彼が指さしているのは、地面だった。
罅割れる程に乾いた土、にしか見えなかったが…。
なにか、小さな白いものが、今しも、土の中からモゾモゾと這い出てこようとしているのが、分かった。
見ていると、それが一つではない。
一瞬、あの巨大ウジ虫か、とも思ったが…。
安彦は、足元の白いものを触ってみた。
石のようだが、もっと軽いものだ。
土の中から、何かが地表に現れようとしている。
その白いものが、数センチ、土から現れたところで、牧名正が叫んだ。
「おい! これ、白骨の指なんじゃないか?」
牧名正の声と同時に、片腕が、罅割れた地面を砕くように飛び出した。
橈骨と尺骨二つの骨に支えられた手根骨、まごうことなき人間の腕の骨だった。
腕の骨は、何かを掴むように、ぐにゃり、と動いたが。
見ているうちに、骨の周囲に、泥で出来た筋組織が纏い付き、その外を泥の皮膚が覆った。
罅割れた地面を突き破って泥の奔流が現れ、そこに数十人の泥人間が立ち上がった。
あまりのことに唖然としていた安彦に、吹雪ちゃんが叫んだ。
「霊障よ! 赤い恋人で対抗して!」
ああ、と安彦は、左手で右肩を開くように触れた。
ごう、と風が撒き、巨大な霊が現れた。
赤い恋人の腕の一閃で、泥人間は吹き飛んだ。
だが…。
「わぁ! こいつら、一瞬で復活するよ」
粉々に砕けても、すぐに泥が骨を包み込み、見る間に泥製の目をぎらつかせた、泥人間に再生し、安彦たちを取り巻くように包囲した。
白尾春奈ちゃんが、「任せて」と言いながら、ポーチから白い紙を取り出した。
それは普通の正方形の紙のようだったが。
春奈ちゃんが空中に投げると、紙が二つに折れ、四つに折れ、ぺらり、とめくれると…。
一羽の折鶴になった。
鶴は一回、パタリ、と羽ばたくと、そのまま宙を飛び、泥人間の首を落とし、別の一体の腕を切断し、次の泥人間の腹を切り裂き、春奈ちゃんの元に戻ってきた。
「凄い…」
安彦が呟くが。
「窪田君の方が凄いわよ。操魔を使って何日もたってないんでしょう?」
「くだらないお喋りは後よ! とにかく逃げないと、いずれ泥につかまるわよ!」
吹雪ちゃんが叫んだ。
吹雪ちゃんは、いつの間にか、小さな弓を手にしていた。
弓を引くと、そこに矢が発生し、矢を泥人間に命中させると、泥人間が爆発する。
「川に向かおう! 水に入れば、泥人間は溶けるかもしれない!」
安彦が叫ぶ。
五十嵐老人を高嶋裕が背負い、全員は沼倉村を抜けて、その先にある川に向かって走った。




