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神鳴りさんと夕立ちの午後  作者: 六青ゆーせー
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日記9

一週間ほどのち、滝沢氏のもとに、娘さんからの郵便が届いた。

五枚ほどのCDで、パソコンに入れるとモノクロの写真が大量に入っていた。


もはや紙のアルバムに写真を貼る手間もなく、かさばるネガフィルムを保存する場所もいらない時代になったのか、と滝沢氏は驚いた。


PC画面なら、鮮明に、では無いものの滝沢氏にも見ることができた。

自分の父親や母親は、若い時の写真でも、それ、と分かるのが不思議だった。


どこかに旅行に行った時の写真、何かの記念らしい親族の集合写真、滝沢氏は時を忘れてPC画面を見た。


と、一枚の写真で滝沢氏の手が止まった。


額を汗が伝った。


それは、滝沢氏が夢で見た、沼倉村の写真だった。


屋根までは写っていないが、木造の家屋。

妙にがらんとした、広い道。


そして、子供の守り神というカシマサマと呼ばれる、顔を彫った石を積み上げた、像とも塔とも言えないようなものの前に立つ三人の子供。


三人の子供?


彼らは不思議と、滝沢氏が裏山で遊んだ三人によく似ている。


夢を見た直後だから、いっそう、そう思うのだが、三人は、まさに、あのときの三人のようであり、年頃も夢のままだった。


しばし、滝沢氏は茫然と画面を見つめ…。

PCをそのままにしてソファーに向かい、震える手でパイプに煙草を詰め込んだ。



「椅子に深く腰を掛け、煙を深く吸い込むと、だんだん落ち着いてきた。


そう…。

時代的には、私の友達よりも、写真はずっと古いものなのは明らかだ。滝沢氏の視力でも、他の写真よりも古いものなのが分かる。

だが、同じ村なのだし、写真も影の深いモノクロ画像なのだから、子供が同じ人物に見えたとしても、さほど異様なことではないのかもしれない。

血も繋がっているかもしれないし、村は私が遊びに行った時も、この写真と何も変わっていないように見える。

おそらく経済的にも苦しかったのだろうし、私の友達たちも、その当時は見かけない和装だった。


子供の服など、すぐに着られなくなることを思えば、もしかしたら着ているのは同じ服である可能性も、無いとは言えない。


それに…。


私は夢に出てきた時のイメージで、勝手に写真と同じ年頃と思ってしまったが、彼らとは小学校に上がるまでは、ずっと仲よく遊んでいた。

自分も育っており、彼らも、同じように育っていたのだ。


私は、あまりにも夢のイメージと写真の映像が近かったことで、あらぬ勘違いをして動揺していたのだ。

その過ちに気が付くと自分の怖気を、自分で笑った。


写真は、今や泥に埋まっているという沼倉村を、私が見た時のまま、よく残していた。

忘れないように、この写真を壁紙にして、娘が帰ってきたら見せることにした。

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