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神鳴りさんと夕立ちの午後  作者: 六青ゆーせー
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日記6

しばらくの間、幻聴は気にならなかったようだ。


滝沢氏は、落語や講談のCDを楽しみ、ラジオも気に入った番組が増えていった。それ以外にも、若い頃、流行っていたジャズを改めて聴きなおし、セロニアス・モンクのジャズピアノに感動した。


そのまま滝沢氏は、視力は回復しないものの、昼間であれば列車にも乗れるぐらいの目の状態でも人生を楽しみ始めていた。


聴く、喜びに目覚めたのも確かだが、僅かではあるが視力が戻ったと思えたのも滝沢氏には大きかった。

PCならば画面が光っているので文字も読めたし、部屋の電気を明るくすることでCDを使う程度の日常を取り戻せたのだ。


ある日、大学の同窓会に何年かぶりに行くことになった。

旧友が幹事を買って出てくれ、滝沢氏のために昼間に会を開いてもらったのだ。


有名な中華料理店で久々の酒を飲み、楽しい時間を過ごした。

つい二次会、三次会、と遊びまわり、遅いタクシーで家に帰った。


電話で奥さんには寝ていいと言ってあったので、家は滝沢氏のためにすべての電気が煌々と灯っているが、静かだった。


滝沢氏は酔いも手伝い、上機嫌でパジャマに着替え、歯を磨こうと洗面台に立った。


そこで、ふと滝沢氏は気が付いた。


自分が、あの民謡を口ずさんでいたことを…。


夢中になって調べているうちに覚えてしまったのか…、と思うと、可笑しかった。

楽しい気分のまま、滝沢氏はベッドに入った。


「夢を見た。


子供の頃、野山を走り回って遊んだ頃の夢だった。


その昔、滝沢家の財を築いたという工場と、裏の山は子供の私たちの良い遊び場だった。


私と…、そう、隣村の子供だという三人の子供たち。

幼い頃は毎日、遊んでいたのに、名前が全く思い出せない子供たちだ。


おそらく、私は三歳から幼稚園に入ったので、それからは園の仲間と遊ぶことが多くなったのだろうが、田舎のこともあり、近所の友達と言えば彼らだけだったと思う。


幼児だったのだから、通称か何かで呼んでいたのだろうが、それにしても全く名前が思い出せないのが不思議だ。


ともかく、夢の中で私は、彼ら、兄弟の二人の男の子と、女の子、その三人と裏山を走っていた。


山の頂には先祖が祭った祠があった。


そう、そこから右に曲がって山を降りていくと、川沿いに彼らの村があった。


一度、彼らに誘われて、彼らの村に行ったこともあった。

今時、茅葺屋根の家が建ち並ぶ村は、とても珍しく感じたものだ。


トウモロコシの団子をもらった。


とても美味しかった。

子供の頃の私はアンコが苦手だったのだが、サツマイモを磨り潰したものがアンコの代わりに入っていて、素朴な甘さが気に入った。


いつだったか、母に作ってくれ、とねだったが、そんなものは戦争中ぐらいにしか食べたことはない、とつっぱねられた。母にしてみれば、粗末なもの、という印象の食べ物だったようだ。


その日は、彼らの村で遊んだ。

風変わりな、石を積み上げたものを、彼らはカシマサマと呼び、子供の守り神なのだと教えてくれた。


その日は夕方まで楽しく遊び、家に帰ったのだが、家に帰ると母にひどく叱られた。


いつの間にか…、本当に覚えがないのだが…、私は体中泥だらけだったのだ。


「沼倉村には行ってはいけないと、あれほど言っているでしょう!」


そう叫ぶ、母のヒステリックな声で、目が覚めた。

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