日記2
十一月二十六日
最初の薬には何の効果もない事が分かった。
こういうのを、分かるというのか…。
もはや、娘の顔さえ満足に見れない。
それは、仕方がないのだが、空耳が聞こえてしょうがない。
例えば、風呂でシャワーを浴びているとき、その水音が、体に響き、なぜか子供が喋っているように聞こえてしまうのだ。
高い声だが、娘を育てたものとして思うと、男の子の声のように感じる。
ザンザンというシャワーの音が、しきりに「お歌、歌ってけろ…、お歌、歌ってけろ…」と懇願する男の子の呟きとして、耳に残って仕方がない。
今度、病院に行ったときに、山口医師に、そういった副作用でもあるのか、聞いてみた方が良いだろう…。
「歌って、そういう事だったのか…」
本人の言葉を読んで、初めてなにか合点がいった気がした。
常に聞こえているのではなく、何かの拍子にシャワーの音や、また換気扇、列車が鉄橋を渡るときに響く金属音などが「お歌、歌ってけろ…」と、言う男の子の声に聞こえてくる、というのだ。
滝沢氏の、この幻聴は少しづつ悪化していったようだ。
十一月三十日
最近、蛍光灯のかすかな音が気に障って仕方がない。
たぶん、視力が落ちている分だけ、聴力に頼るようになっていることも多分に影響しているのだとは思うが、空気を締め付けるようなキーンという蛍光灯の音が気になると、もう、いけない。
「お歌、歌ってけろ…、お歌、歌ってけろ…」と男の子の声が、本のかすかに蛍光灯の音に重なって聞こえてくる…。




