桑畑
メタリックブルーの大型ワゴン車が、廃工場に滑るように停まった。
まだ昼前の日差しの中で見る廃工場は、スレート張りで所々に赤錆の浮いた、夕方に見た時よりも陰気な建物だった。シャッターも、よく見ると錆と汚れで、薄汚いまだら模様になっていた。
だが、今日の用事は廃工場ではない。
「あんたたちは車に残ってなさいよ」
吹雪は言ったが、白尾春奈ちゃんはのんびりと。
「あら、車の中は安全、って事でもないんでしょう? むしろ、皆一緒に行動した方が良いと思うわ」
と提案し、受け入れられた。
工場の敷地はコンクリートで整地されていたが、あちこち雑草が茂り、歩きにくかった。
安彦たちは、廃工場を回り込み、裏の山に向かったが、横手にはゴミの不法投棄などもされていて、思った以上に荒んでいた。
足元の良さそうなところを選んで安彦は進んだが、草をかき分けると、巨大な物体が行く手を塞いでいた。
「うわぁ、でっかいトラックだねぇ」
伊沢直樹が鷹揚に声を上げる。
「鉄錆びてるよ。いったいいつのトラックだ?」
牧名正が、全体が赤錆の塊になっている物体を見上げていいた。
「たぶん昭和だよ」
安彦も苦笑する。
しかし、さすがにこんな物まで平気で捨てているとなると、あながち、よその土地から来た奥さんに対する悪意で工場に泥を撒いた、という話も、信憑性を帯びてくるな、と安彦も思わざるを得ない。
だが吹雪は鼻で嘲って。
「こんなの土建屋しか持ってないわよ。
大方近在の土建屋が捨てたんでしょうけど、僅かなお金を惜しんで、わざわざ大きな障りを引き取って帰るなんて、馬鹿な真似をしたものね」
なるほど、言われてみれば、ナンバープレートも外してあったし、タイヤは別の車でも使えると思ったのか、全て取り去られていた。
いわば赤錆びた大きな鉄塊だった。
「残念だねぇ、タイヤがあれば、あの木の枝にぶら下げれば、良いブランコになるのにねぇ」
伊沢直樹が、トラックの奥に生えていた巨木に近づこうとすると。
梢が、がさり、と震えた。
悲鳴に近いような叫びが響き渡り、黒い鳥が伊沢直樹に襲い掛かった。
安彦は伊沢直樹の襟首を引いて、横に倒し、巨大なカラスに掌底を打ち込もうとした。が…。
野生の動物は、さすがに迂闊に人間の攻撃などは喰らわなかった。
が、十分な威嚇にはなったと見え、カラスは怒りの声を上げながら飛び去って行った。
「ちょうど今頃は、カラスが巣をかける時期なんだよ。
巣を護るカラスは獰猛になって、だれかれ構わずに襲い掛かるんだ」
「ビビった…。
話には聞いていたけど、カラスって、怖いんだねぇ…」
伊沢直樹は、転んではいたが、さすがに受け身を取って無傷のようだった。
トラックが天然の障壁になったものか、その先はゴミもなく、やがて安彦たちは今井の殿様が鍵を開けてくれた横手の搬入口に辿り着き、裏の山まで歩いた。
「で、どの葉が桑だって言うのよ?」
吹雪の声に、安彦も困惑した。
明らかに、山は雑多な木々が立ち並ぶ雑木林のようだった。
「これが桑の葉らしいんだけど…」
安彦はクリアホルダーに入れて、ハート形の木の葉を持って来ていたが、周りには見当たらないようだ。
「残念ね、たまたま桑の葉が服に付いていただけだったようね」
確かに、桑畑には見えなかった。
「昭和五年でしょ。百年近い年月が経っていたら、分からないわよ。
うちも大きな神社だから分かるけど、鳥が運んだりして、木ってものは勝手に生えてくるものなのよ。
ここが桑畑だったとしても、おかしくはないわ」
「それを何かで証明できなければ、さすがに師匠の手を煩わせるわけにはいかないわ。
それとも、社まで登ってみる?」
安彦は溜息をついた。
「いや…。
一日中探したって、この有様じゃあ何も分からないよ。
ちょっと勇み足だったみたい…」
「じゃあ、とっとと帰りましょ」
「いや、滝沢さんの家を調べたいんだ。
その方が、古い証拠が出てきそうだよ」
「あのねぇ、家宅侵入って法律があるの知らないの?」
「いや、でも、奥さんから双葉さんを助けて、って言われてるんだし…」
吹雪ちゃんは溜息をついて首を振った。
安彦たちは来た道を戻った。
安彦が、採取した木の葉をクリアホルダーに入れているのを見て、吹雪ちゃんが怪訝な顔をする。
「いや…、せめて、何の木か調べた方が良いかな、と思って」
吹雪ちゃんは首を回して、呆れ果てていた。
カラスの巣を避け、安彦たちは車に戻った。
「いやぁ、思った以上に足元が悪かったねぇ」
伊沢直樹が足早にワゴン車に戻ろうとした。
安彦たちが返ってくるのを見て、運転をしてくれていた山本さんがスライドドアを開けてくれた。
そのタイミングで、突然、何か重いものが車の天井に落下した。
車は、一つの巨大な太鼓になったように音を響かせ、伊沢直樹は今日二度目の転倒をした。
あまりの轟音に驚いたのだ。
みんなが黙って、メタリックブルーのワゴン車を見つめた。
天井から、赤い液体が、ポタポタと流れ落ちてくる。
安彦は、車に足をかけて天井を見、ゆっくりと、巨大な黒い物体を持ち上げた。
近くで見ると、カラスはニワトリほどもある立派な猛禽だった。
「さ…、さすがだなぁ、窪田。
さっき、こいつにパンチを打ってたよな…」
引き攣った笑い声を、牧名正があげた。
「いや…」
安彦は、カラスの嘴を指でつまんだ。
「こいつ、なんか、刃物のようなもので、首を切られてるよ」
見事な切断面から、血が滴っていた。




