霊の言葉
「…驚いたわね…」
芹沢奈々枝さんは、赤い恋人を見上げながら、呟いた。
赤い恋人は、見たイメージでは五、六メートル。天井、といった物理上の制約を全く受けずに、虚空に浮いていた。
「ほとんど、霊というよりは精霊になっているわ。しかも…」
手の平を、赤い恋人に向けた。
「完全に安彦君を護るつもりでいるようね。どうしてそうなのか、までは分からないけれど…、これはある意味、本当に愛の精霊と呼べるのかも…」
赤い恋人の、腰まで流れる黒髪は美しく、深紅のドレスも絢爛豪華だ。
だが、顔はミイラで、そのせいなのか、別に何か理由があるのか、顔は棒のように細く、目は漆黒の黒い穴である。
だが、確かに、悪意とか、邪心とか、そいうった曇りはまるで持っていない表情で、安彦を見下ろしているようだ。
「おそらく、ちゃんと心を通わせられさえしたら、かなり強い操魔になることは間違いないようね」
強い操魔…。
安彦は、今まで、あまり真剣に、赤い恋人が自分に憑りついていることを考えていなかった。
大体、安彦の右片には、赤い球体がふわふわ、常に浮いている。
それになにより、今までは廃工場の事で頭が一杯だった。
だが…、エレベーターの中での、あれは…。
「芹沢さん、いや…。
芹沢先生。俺も、あのエレベーターの中であったようなこと、出来るようになれますか!」
芹沢奈々枝さんは、各指にパワーストーンをつけた手で口を押え、笑った。
「どうしたの、急に」
「俺は、倒したいやつがいるんです!」
吹雪が腹を立てて口を挟んだ。
「あんた、なに馬鹿なこと言っているのよ! 操魔の術は喧嘩の道具じゃないのよ!」
「喧嘩じゃないよ! 俺は、小さな頃から祖父さんに武術を習ってきたけど、一度も勝てて無いんだ。
祖父さんは身長も百八十センチもあって、体重も百キロで、その巨体で俺と同じぐらいのスピードで動くんだ。
俺は、この身長だし、どうやって勝ったらいいか、キックボクシングを習ったりしてたけど、全然で。
でも、祖父さんが死ぬまでには、一度ぐらいは、さ…。
勝って、見せてやりたいんだよ。次は見破られたっていいんだ…」
芹沢奈々枝さんは、大きく笑い、言った。
「良いわ。
やってみなさい。
週に一度ぐらいは、見てあげるわよ。
吹雪ちゃん、男の子って言うのはねぇ、油が乗ってないと駄目なのよ。
白身のお魚なんて、全然だめ。
安彦君はオオトロよ。ガンガン突き進めばいいのよ」
一しきり芹沢先生は笑い、やがて指導をした。
「それじゃあ、出した時と反対のイメージで赤い恋人を出した扉を閉めて、霊を戻してみて」
さっきの反対、という言葉に首を傾げながら安彦は右肩を押えた。
赤い恋人は、出た時とは逆に、煙が空中に溶けていくように、消えた。
その最後の微粒子が、くるりと輪を描くように空中に渦を巻くと、その中心が、ピカリ、と光った。
えっ、と同時に三人が光を見つめる、と…。
赤い球体が浮かんだ。
それが、ぽとん、と緑のカーペットに落ちると、赤い染みになった。
そして赤い染みが、滲むように広がると…。
水たまりに空が映るように、染みの中に顔が浮かんだ。
やがて、赤い液体が染みから浮き上がり、その細い腕で、長い髪を持ち上げた。
痩せた、女の人の顔だった。
赤い液体の細い腕が、女の人の首を、髪の毛を掴んで持ち上げていた。
「…おぉ…、が…」
痩せた顔が、頬のこけた血だらけの顔が、顔中にガラス片が突き刺さった痩せた女の顔が、何かを喋ろうとしていた。
「おね…が、い…します…、ふた…ば、を…、助けて…、くだ…さい」
言葉が終わると同時に、顔が破裂するように、赤い液体に戻り、緑のカーペットの上に跳ね広がった。




