栗拾いと小さな告白
夏祭りの翌日、私はオババに呼び出された。とっさに使った氷の魔法で作った橋について詰問され、こっぴどく叱られた。アデリーヌを救った風の魔法は、見逃されたのか気づかなかったのか、とにかく訊かれずに済んだ。
肝心の両親とお兄ちゃんは、危ないことは止めてね、と言う程度だった。終わりよければ全て良し、というかやはり、アデリーヌのことが大きい。実際、私がオババに呼び出されている間に、アデリーヌのお母さんが来て叱らないで、と言っていったそうだ。
実はお兄ちゃんも舞を演ったんだけど、足を挫いたアデリーヌにつきっきりでお兄ちゃんの舞は見られなかった。お兄ちゃん曰く、姫じゃないし男の舞なんて地味だからいらない、と。私は舞を見たいというよりお兄ちゃんを見たい、お兄ちゃんの傍にいたいだけなんだけど。
私が氷の橋を作った魔法は、現代の子供の言葉で言えば魔法使いの魔法。正式には「開発魔法」と呼ばれているそうだ。リルの時代、魔法は素人が手を出せるものではなく魔法の暴走による死傷者もあった。現代に至る話は学校では少ししか教えてくれないけれど、オババは丁寧に教えてくれた。
「大魔王が去った後、力は小さいが暴走のあり得ない『安定魔法』を三人衆が薦めたのさ」
安定魔法は、呪文体系に最初から歯止めとなる枠をはめ、その枠の中で魔法を構成する。これだと複数の魔法を組み合わせたり魔法を自分なりに改変することは不可能になる代わり、死ぬような大事故は滅多に起きない。アデリーヌの失敗を私が放置していたとしても、悪くて骨折止まりだ。
逆に開発魔法は様々な調整や改良、複数の呪文を組み合わせられることから、新たな魔法を開発したり大規模な工事を行う際にのみ使うのだという。そんなわけで、魔法学校やオババのような専門の魔法使い以外が使う魔法は、ほぼ全て安定魔法だ。とくに子供は安全性を考え、開発魔法は絶対禁止とされている。
でも、私は安定魔法なんてアリスの知識範囲しか無い上に、現代人の言う開発魔法を自由自在に使っていたわけで、大至急となれば開発魔法の方が簡単に使えるというわけ。で。先ほどのオババの説教に戻る。
「どこで開発魔法なんぞ覚えたのか知らんが、これから魔法学校入学まで、絶対に禁止だよ。魔法学校に入っても、先生の言うことをちゃあんと聞いて、先生が使いなさい、と言ったときにしか使っちゃだめだよ。間違いがあったら大変だ」
はあい、と私は殊勝な声を出しつつ、内心で舌を出す。こっちはオババより百年以上も魔法の経験がある。間違いなんてあるもんか。
「実際、アリスを十歳から不老にしておいてアリスが十八歳になったら解除できるなんて、技術はあるくせに間抜けでトンマな魔法使いもいるしね」
私はまた、はあいと答えながらも、とっとと家の布団の中でうわーどうせ間抜けでトンマだよ、と叫んでやりたいほど顔が熱くなった。
夏祭りが終わると、その後は収穫の秋に向かう。そしてこんな辺境の村は雪で閉ざされるため、晩秋には王都で騎士学校と魔法学校の受験も行われる。お兄ちゃんは、アデルのお兄さんからの情報だと油断はできないものの関関は合格圏内に入っているようだ。
私は簡単な面接と魔法の実技試験、基礎試験だけで、オババ曰く合格間違いなし。緊張でリルの開発魔法を使ってしまわないよう、そこが私の注意する点なぐらいで、後は学校の勉強とこっそり個人的に現代社会の分析を進めるだけだ。
いや、違う。もう一つ大きい課題が残っていた。
私はまだ、アデリーヌに飛び級進学を話していない。
ずっと一緒にいたいね、と言ったのに私は何も彼女に告げず、ただ仲良しのアリスのままでいる。
卑怯かもしれない。でも何て話せば良いのだろう。アリスにはわかんない。リルには一人も友達のいたことが無い。
私は、どうすれば良いのだろう。
「もう落ちてきたよ、拾いに行こうよ」
学校に着いて早々、アデリーヌが満面の笑みで棘だらけの塊をそっと机に置いた。栗が熟してきたようだ。
「早く行かないとおばさんたちに取られるよ。あとリスたちに隠されちゃうよ」
リスは栗を見つけると冬の食糧にと地面に埋めてしまう。とくにこの村近辺のリスは目ざとく、遅くなるときれいさっぱり埋められてしまう。リスが埋めた栗は「リスの宝物」と呼んで、昔から掘り返してはならない習わしだ。
私は二つ返事で栗拾いに行くことにして、続けて言った。
「せっかくだから、お兄ちゃんも連れていきたいな。アデルを連れてきて良いから」
するとアデリーヌは一瞬無表情になり、慌てるように言った。
「アデルを連れて行ったら、イガ栗をぶつけたり滅茶苦茶やるから嫌。あと、たまには二人で山に行こうよ」
「奥まで行くなら私たちだけだと行けないよ」
「落ちてきたばかりだから、麓で十分だよ」
今日のアデリーヌは妙に頑固だ。でも確かに、いつもくっついていてお兄ちゃんに邪魔にされても困る。第一、今のお兄ちゃんは受験で大切な時期だし、私とアデリーヌでマロングラッセを作ってお兄ちゃんに差し入れしたらきっとお兄ちゃん、褒めてくれるし。私は結局素直にうなずいた。
学校が終わって放課後、私とアデリーヌはお母さんに山へ行くと伝え、籠を持って山へ向かった。山と言っても本格的な登山をするような山ではなく、ちょっとした丘に毛の生えた程度の場所だ。
「もう栗拾い? ちょっと早いけど、無理しないで『青壁』から奥は入ったら駄目よ。あと、リスの宝物もいたずらしちゃ駄目」
お母さんは人差し指を立てて私たちに毎回の注意を言い聞かせる。青壁は山の麓と高山部を分ける所に魔法で盛り上げた青色の盛土で、青壁より上は大人しか入れないことになっている。私たちは大人しくはあい、と答えて山へと入って行った。
山はもう紅葉しており、さくさくと落葉を踏みしめながら栗を探した。イガを見つけても空が多く、既にリスの宝物になってしまっているようだ。それでも。
「大きいの見つけた!」
私が最初に栗を見つけた。十分にマロングラッセにできる大きさだ。すぐにアデリーヌも自慢げにあったよ、と栗を掲げる。そこから先は私とアデリーヌの競争になった。足でイガを踏んでは中身を確認し、あった栗はすぐに自分のカゴに入れる。何度も空に遭うとちょっとけなしてみたり。
アデリーヌと一緒にいると楽しいな。ずっと一緒にいたいな。
でも私は、この秋が終わる頃には。
「アリス、ところでお話は無いの?」
急にアデリーヌが真面目な声を発した。気づくと私たちは青壁ぎりぎりまで登っていた。私は戸惑い、黙り込んで青壁の外側に座り込む。
「もう少ししたら、魔法学校の試験があるよね」
アデリーヌの声が冷たい。私は何も言えずアデリーヌを下から見上げた。アデリーヌは私より小さい体を背伸びして話を続ける。
「何でアリスは友達でずっと一緒にいたいとか言っておいて、私に何も言わないのかな。中央の魔法学校に行くくせに」
「何でその話」
「オババから聞いた。夏祭りでアリス、氷の橋を作ったでしょ? アリスはすごいねってオババに話したら、アリスは飛び級するからねって」
オババ、余計なことを。別に隠す気はなかったけれど、話しそびれていただけで。
「アリスのためにお兄ちゃんも頑張らせているって聞いたよ。アリスって結構、我がままだよね」
「そんなことない!」
私は怒った口調で言った。私の事情を知らないくせに。ずっと十歳でいるなんてこと、知らないくせに。
まして、大魔王から転生した孤独を知らないくせに。
「何でそんなことない、なの? アリスのお兄ちゃん、地元でゆったりお仕事探すって言ってたって、うちのお兄ちゃんから聞いてるよ」
「私だって、ちゃんと行かなきゃ駄目なんだもん!」
「ちゃんと理由があるのに、私には教えてくれないんだ。相談もしてくれないんだ」
アデリーヌの言葉に、私ははっとなる。アデリーヌは唇を噛み、栗の入った籠を地面に置いて膨れっ面で続ける。
「ずっと一緒にいたいって言ってたのに、すぐに離れて行っちゃうんだ」
「そんなことない。今でもアデリーヌと一緒にいたいの」
じゃあ、何で。それはリルとしての肉体を取り戻すため。違う。完全なリルに戻る理由が、今の私には不明確だ。リルとして考えれば、目的が定まらないのにただ前にしゃにむに前に進もうとしているとも考えられる。
むしろアデリーヌとお兄ちゃんとお父さんとお母さんと村のみんなと一緒にいることの方がずっとずっと大事だもの。そう考えたら、何で私はそこまで慌てて魔法学校に行こうとしているんだろう。
私はアデリーヌと目を合わせておられなくなり、背中側に目を背けた。すぐに青壁が目に入る。大人になれないと越えられない青壁。今の私たちには越えちゃいけない青壁。
今の私たちには。
じゃあ、十年後の私は。
アデリーヌが青壁を越して栗を拾えても、十歳の私は青壁を越えられるんだろうか。
亜麻色の髪をなびかせた二十歳のお姉さんを見送る、十歳の私が頭に浮かんだ。
独り、壁の外側で待つ私がいた。
「ねえアリス、私、そんな怒る気じゃ無いよ」
アデリーヌがおろおろしている。こんな下らない子供の我がままなのに。
でも独りぼっちの私が頭から離れない。
独りぼっちなんてリルの頃にはすっかり慣れていたのに。
十歳のアリスには、独りなんて耐えられなくて。
「私、このまま十歳から大きくなれないんだもん! 私だけ十年後も青壁を越えられないんだよ! 十年経ったら私を置いていくのはアデリーヌなんだもん。だから私、魔法学校で呪文を解除してアデリーヌと一緒に青壁を越えて行きたいの!」
何を言っているんだ私。言っていることが滅茶苦茶だ。でもこれが。これがきっと今の私の本当の気持ち。アリスとリルの、本当の気持ちなの。私は青壁にもたれかかってハンカチで洟と涙を拭いて、それでも涙が出てくるからもうハンカチなんて面倒臭くて袖で拭いて。
アデリーヌが私をぎゅっと抱き締めた。
「ごめんアリス。何も知らなくてごめん。アリスがそんなことになってるなんて知らなくてごめん」
アデリーヌも泣き始める。アデリーヌの涙が首筋に温かい。私のこと、お兄ちゃん以外にもわかってくれている。たぶんお兄ちゃんには勝てないだろうけど。でも私のこの、痛い気持ちが。寂しくてたまらないこの体がふわっと温かくなってくる。
アデリーヌは私から体を離すと、真面目な顔で言った。
「アリス、魔法学校に行って。そしてその変な魔法に勝とうよ」
「応援してくれるの?」
「応援なんてしないよ」
アデリーヌは変なことを言い、次いで指先を立てると氷を空へと吹き上げた。その魔法は、今までアデリーヌが見せたことの無い強いものだった。
「私だって魔力はあるの。どうせアリスは魔法学校に行ってもしばらく十歳でしょ。私、魔法学校に進学してアリスに追いつくから。一緒に変な魔法に勝とうよ。私が解除してあげるよ」
アデリーヌが解除してくれる。論理的に言って無理な相談だ。でも私の心はすっかりふわふわ優しくなった。
「ごめんねアデリーヌ。きっと待ってる」
私たちはお互い涙を拭くと手をつないで下山した。今日のマロングラッセは絶対成功する気がした。




