十歳アリスちゃんは元大魔王でした
距離、角度、魔力、風向、ジュピターの魔力濃度、大地の魔力反射、変動し続けるキノコの魔力拡散。
アデリーヌの魔力とジュピターの魔力の間隙。
私の、ともすれば揺らぐアリス・リルの溶け合った魔力。
その全てを関数化してお兄ちゃんの脳内に注入し続ける。
返ってくる解にしたがって魔力調整。再び観測、関数修正。
方形の魔法陣が青みを高めていく。
時間が迫っている。
私の右手に堆積した暗黒が紅に変わり、私すら初めて描く複雑な円形の魔法陣が私の眼前に展開される。
「終わりですよ」
ジュピターが呟き、方形の魔法陣が一際輝いた。
「大丈夫」
私は微笑みを浮かべ、円形の魔法陣を完成させた。
広大に展開される方形の魔法陣の端、たった一点を私の魔法陣が削り落とす。
轟音が鳴り響いて方形が一気に崩壊し、さらに王都の方形魔法陣の欠片も共鳴して崩壊していく。
「何を、何をした!」
「完全に解呪した。ジュピター、お前が五百年前から仕掛けた王都の魔法は全て解呪したんだ」
「私の、永久に幸せな国が!」
「お前の、牢獄の魔法が崩壊するだけだよ」
私はさらに演算を加える。お兄ちゃんに目を向けると、苦痛のせいかお兄ちゃんは歯から血を流していた。
私は、悪い妹だ。でもお兄ちゃんごめん。今は、わがままを言っちゃう。
「演算再開」
お兄ちゃんが海老反りになり、そして私の脳内に解が流れ込んだ。
「おしまい」
私は魔法杖を振るう。再びアデリーヌの口を開けさせていたジュピターの巨体がアデリーヌから分離する。
巨人から人の姿へ、そして光球へ。
最後に氷柱へと変化して転落していく。
「爆炎!」
私の叫びに、棟梁が剣を振り抜いた。おぞましい叫びをあげる氷柱の中から氷のコウモリが飛び出す。けれどセーラさんがコウモリを両断した。
視力を喪いそうになるほどの青白い光が私を貫き、そしてジュピターの魔力が全喪失した。
五百年の国王、ジュピターが滅び去ったのだ。
「アデリーヌ!」
地上に降りたとたん、私は叫んだ。あんな高さから落下したらアデリーヌは。
「大丈夫っすよー。このお嬢さんですよね」
サリーが自慢げな顔でアデリーヌを抱えていた。アデリーヌの全身は大量のキノコにたかられていた。
「持っている限りの胞子を急速成長させて、クッションにしたんすよ」
「ありがとう! でもなんか、すごいね」
「すごい、ですわね」
もちろんアデリーヌの頭にもキノコが生えている。まあ、まだジュピターの魔法の残渣が残っていても、このキノコがあれば消滅するか。
私はお兄ちゃんを抱きしめる。ごめんお兄ちゃん。
「はーい、ここからは私の仕事だよー」
なんか呑気な声が私の頭越しに聞こえ、頭に柔らかくて重いものが覆い被さる。
「医療魔法だけはお任せっていうことで!」
カイラが両手を振った。お兄ちゃんを中心に、王都全体へ魔力が広がっていく。
癒しの魔力が染み込んでいく。
その魔力は私にも。
私にも?
「私の、体が、癒されている」
私は呆然とする。魔道王リルとしての姿なのに、癒しの力が私を蝕むことなく、むしろ癒されていく。
私は。
大魔王リルが癒しの力を受容できるだなんて。
「アリスは僕にとって、かわいい妹だ。昔は大魔王リルでもね。それは終わったお話だよ」
お兄ちゃんが起き上がる。慌てて手をとるけれど、もう傷跡もない。
「十歳アリスちゃんは元大魔王でした。でも今は、魔法が得意な普通の女の子です。めでたしめでたし」
お兄ちゃんの言葉に泣きそうになる。お兄ちゃんはそっと私の頭に手を置いて撫で、私を抱き上げた。
ん? 抱き上げた?
私は慌てて胸に手を当てる。ぺったんこ。手をじっと見つめる。かわいいおてて。ぶっかぶかの靴。
恐る恐る、自分の肉体年齢を測る魔法を起動する。十歳。
「どういうことよー!」
私は魔法杖を振る。確かに魔力は普通にリルの魔力を全力で使える。
深呼吸する。
ひとまず呪力を戦闘服に込めて十歳の体にフィットするよう変形させた。
「すごいですね、服を変化させる魔法ですか」
「ダークマターからの貰い物なの。っていうかどういうことよ!」
私は地団駄を踏み、お兄ちゃんが大笑いした。すると瓦礫の陰からビアンカさんが顔を出して言った。
「いや、良かった良かった」
「何が!」
「国王最後の呪詛がこれだけで済んで」
「国王、最後の呪詛〜?」
「最後に青白い光が走ったじゃないか」
私は思い返した。あのときはお兄ちゃんと私、ともに全力の演算で何が起きていたんだか。
「ほらこれ」
ビアンカさんは何か箱を放り投げてきた。記憶箱。魔導士が見た光景をそのまま外部記憶できる魔法装置だ。
「私、王宮の闇アルバイトしていてさ。いわゆるスパイってやつ。まあ途中から足抜けしていたけれど、こういう道具と観察は続けていてね」
胡散臭いな、ビアンカさん。私は記憶箱の中身を見る。
なるほど。最も幸せだった年齢に戻る魔法。
「それじゃあ十歳しかないな」
私は溜息をついて、胡座をかいたお兄ちゃんの脚の中に座り込むと背中を預け、そして小さく笑った。
もう少し続きます。