アリス・リルの戦闘開始
「アデリーヌ、どうして、ここに」「ジュピター、何の目的だ」
私アリス・リルは続けざまに二つの問いを発した。アデリーヌはふんわりと微笑んで答えた。
「国王として、魔道王陛下へのご挨拶に参上したのみですよ。またこの娘ですが、肉体を捨てた私の霊体に奇跡的に相性が良いのです。あの出来の悪い子孫よりずうっとね」
アデリーヌは当然の表情で私と棟梁の間の席に座る。とたんに棟梁の顔が青ざめ、汗をかきはじめた。ジュピターが敢えて解放した魔力の圧力は、並みの人間に耐えられるものではない。
「暑いのですか? 私、冷気の魔法は得意なのでお冷やししましょうか」
「黙れジュピター。アデリーヌの声と言葉で下らない冗談を口にするな。消すよ」
私リルの言葉にアデリーヌ、いや、ジュピターは冷めた視線と嫌味な笑みを私に向けた。
「さすがに陛下も気が弱くなられましたな」
「滅するぞと言っている」
「昔の陛下なら、仰るより先にこの店ごと壊滅させたはず」
私は奥歯が折れそうなほど歯を噛み締めた。私たちの不穏な会話に、他のお客さんは何も気付いていない。ジュピターが永世の王を勤められた理由の魔法なんだと思う。
心配するお兄ちゃんの顔。嫌な表情を浮かべているのに、大好きなアデリーヌの姿。楽しそうにお友だちと笑う店内のお姉さんたち、私より小さい子の口を拭ってあげている若いお母さん。孫の頭を撫でているお爺さんまでいる。
この幸せな店の中で、私たちはなんて不穏な会話をしているんだろう。
この幸せな店を、なぜ壊せるだろう。
この幸せを、知ってしまった私に。
右手が震え、お兄ちゃんがその手を優しく包み込む。
包まれた私はまた、弱くなる。
弱くなってしまう。
「国王陛下、なんですよね。アリスは弱くなんかありません」
お兄ちゃんが震える声で言い返した。ジュピターは目を細めて首を傾げ、だが言葉を発さずにお兄ちゃんを興味深そうに見つめる。それでもお兄ちゃんは言葉を止めない。
「アリスは、魔道王リルは、この幸せな空間を守りたいって思えるほど強くなったんです。自分よりも僕たちを守ろうとするほどに。破壊の衝動を抑えられるほどに」
「詭弁に聞こえるが、見解の相違ということにしてあげようか。カンヴァス君」
お兄ちゃんの首筋に冷や汗が流れる。棟梁ですら厳しい魔力圧に抗して発言するなんて、騎士でも魔道士でもないお兄ちゃんにはあまりにも厳しすぎる。それでもお兄ちゃんは私に優しく微笑んでくれる。ざわつく私の心が落ち着いてくる。
「陛下はこのまま、幸せな時間を平々凡々に過ごしていれば何の問題もないのですよ」
「なんで、病気の人を封じているの」
「妙な魔法生物の影響で、私の存在に気づく人が増えたのですよ。私がこの幸せな国を永久に管理してあげているというのに。全く余計なことをしでかしてくれましたよ、あの魔法発明家の小娘たちは」
魔法生物。私は首を傾げ、すぐに気づく。
「まさかそれって、キノコあたま病?」
ジュピターはものすごく不機嫌な表情を浮かべた。アデリーヌの顔だから、アデルのいたずらに困っているときの顔で、何だか私は気が抜けて吹き出してしまう。
「あの胞子は、この五百年かけて私が仕組んだ幻惑魔法を緩めてしまうのですよ。さらに私の仕組んだ魔法装置まで、キノコの無秩序な成長で破壊してくれまして」
「お前は昔から緻密すぎて足元をすくわれるんだよ。魔法装置なんてさ」
私は笑いかけて、気付いた。魔法装置。王都に来たときに私にだけ反応した攻撃魔法装置。お兄ちゃんを失いかけたあの装置は。そして、お兄ちゃんが言っていた、処理が必要な魔道王時代の危険な魔法の遺物とは。
「お前、この国全部に危険な魔法装置を配置して、またそれを何度も処理だの再設置だのして」
「永久に幸せな国を作るには、静かな監視と小さな犠牲が必要ではありませんか?」
アデリーヌの顔で酷薄な笑みなんて浮かべないでほしい。気持ちがざらざらする。リルの闇がまた淀む。と、棟梁の青かった顔が元に戻り、毅然とした表情でジュピターを睨みつけながら叫んだ。
「独善の幸せってえ奴は、俺のご先祖様が禁止していた話だな」
ジュピターはアデリーヌのかわいらしい声で笑うと立ち上がった。
「でも皆さん、こんなに幸せな国にいるでしょう。魔道王治世以前よりも、魔道王治世時代よりも幸せで戦いのない平和な国。常に戦いの芽を先に摘んでしまうのですから」
私たちも立ち上がる。ジュピターはアデリーヌの舞の動きで飛び下がると、いきなり彼女は魔法を天井に放った。そのまま彼女は外へと飛び去ろうとする。けれど私は棟梁とお兄ちゃんもまとめて空中に飛び上がった。
「さすがは魔道王、単純な飛翔魔法では逃げられませんか」
「五百年経ってもこの速さとは、ずいぶんと成長が遅いなジュピター」
「貴女のような魔法の化物と張り合うのは難しいですよ」
化物、という言葉に胸がちりっとする。リルのどろりとした悪意が湧き上がりそうになり、でもお兄ちゃんの指先に触れて気持ちが再び静まっていく。
大丈夫。私は大丈夫。
空中にて睨みあい、私は捕縛を狙って呪詛を放とうとした。けれどジュピターは左手の人差し指を立て、右手に握ったクリスタルの魔法杖で大地を指した。
そこは、私の行きたいと思っていた遊園地。
楽しそうに遊んでいる子どもたちの姿が見える。そして色とりどりに輝く魔法石。
魔法石。爆炎の紅、氷結の青、毒草の緑、隕石の黄。
「子どもたちは無邪気ですよね。光るものが大好きですから。それが何かは知らずにね」
「ジュピター!」
「あの子たちも、今日遊園地に来ていなければ貴女のように楽しい学園生活を送れたかもしれない」
「ジュピター貴様!」
「いや最高ですね。見知らぬ子どもたちすら人質として効果があるとは、本当に貴女は魔道王の恐怖を喪失したようだ。私が仕掛けた幸せな国、子どもの学園という仕組みが貴女を変えられた!」
棟梁が剣を構えて声をかける。
「国王陛下よ、あんたはそんなに魔道王が怖いのか。そしていつまでもこの国の権力が欲しいのか」
「権力というより、この国を私が永遠に導き続ける、その美しさこそが至高なのですよ。そのためには、魔道王は本当に目障りな存在です。ですが私にも転生を防ぐような魔法は使えませんからね」
「なぜそこまで、自分で導こうとするの?」
「それは、私がこの国で最も全てを知っているからですよ。それに魔道王、貴女は無法な貴族を誅殺してくれましたが、ろくな内政をできていなかった。私ならできるし、そして今の誰よりも私ができる」
親離れできない母親のようなことを言う。思ったけれど口にはしない。人質を思うとできない。と、お兄ちゃんが突然、私をぎゅっと抱きしめた。
「サリーに連絡した」
これだけ言ってお兄ちゃんは私の頭をわざとらしくなでる。さすがのジュピターも今の声は聞き取れないはずだ。
「美しい兄弟愛ですか。少し距離が近すぎるきらいはあると思いますがね」
「ジュピターとは、違う世界ぐらいの距離感がちょうど良い気がするよ」
私はくだらない言葉で時間を引き伸ばす。お兄ちゃんがどんな連絡をしたかわからないけれど、とにかく私は時間稼ぎを選ぶことにした。さすが棟梁は先に何かを察してくれたみたいだ。
私たちは睨み合い、だがジュピターは溜息をついて頭をかいた。
「ひとまず、少しは痛みを感じていただきましょう」
ジュピターはいやらしい笑みを浮かべ、足元の遊園地にいる一人の少年を魔法杖で指した。
と、いきなり少年の頭にキノコが生えた。
「なん、だ」
ジュピターがアデリーヌの甲高いかわいらしい声で叫ぶ。と、次々と遊園地の子どもたちの頭にキノコが生え、さらに遊園地の土地からはタケノコも生えて遊具を抑え込んだ。
「天才、着いたですよ!」
足元で叫び声が聞こえる。そこにはセーラさんに背負われながら怪しげな虹色の粉を振り撒き魔法杖を振る、サリーの笑顔があった。




