お兄ちゃん、男前になる
ワーカー系は、大工さんや土木工事に鍛冶屋さん、漁師さん、そして故郷の村に多かった農家さん辺りが使っている衣服だ。私の実業魔法コースは、学年が進むとこういう服を買う人が多いらしい。
「多い」って言い方になっちゃうのは、実業魔法だと魔法を使った調理師さんや配達業、中には服飾業なんて人までいるので、全員がこちらのお世話になるものじゃない。あと一年生だと、実業魔法コースを馬鹿にする人もいるし、何より将来がよくわかんないからまだ買わない。
見ると紺色と薄緑、ベージュ色が中心で、キャンバス地のような分厚いざっくりとした布が多い。あとポケットがたくさんついていて便利そうな感じ。さらにポケットはふた付きで物を落としにくくなっている。ただ、私みたいな魔法学校生徒から見ると、魔法と干渉しかねないような素材も平気でボタンに使っていたりして、あまり魔法に配慮がない感じはする。
それに何より、いかにも仕事服!って印象だ。ちょっと冒険者向きのものもあるんだけれど、それはそれでどっちかというとちょっと街の悪い人風とか。なんかお姉さんたちに絡んでいそうというか。
でもお兄ちゃんは何枚かの服を引っ張ったり厚みを指先で確認しながら、丈夫そうだね、とほほ笑んだ。
「お兄ちゃん、コストはあとだよ」
お兄ちゃんのお尻を指先でつつくと、お兄ちゃんは適当にはいはい、と答える。ほんとお兄ちゃん本人はそんなに見た目悪くはないと思うんだけど、この興味のなさでだいぶ損していると思う。
「お兄ちゃん、そんなのだともてないよ」
「もてた方が良いのかな」
良いのかなってお兄ちゃんは。言いかけて真正面から見つめてくるお兄ちゃんに言葉を飲み込む。
もてないお兄ちゃんは嫌だけど。
変にもてて女子がたくさんまとわりつくのも、それはそれで嫌だ。例えばカイラみたいなの。って、女子の代表がカイラというのは、お嬢様ぶりといい頭のぼけ具合といい、世間の女子全部からだいぶ外れてる気もする。
とりあえず私は気分を変えてまたお兄ちゃんに似合いそうな服がないかあらためて探しはじめた。
「これってなんだろ」
変なボトムスを見つけた。だぶだぶとしていて裾はブーツに押しこむから、太ももから足首にかけて空気をいれかけの風船みたいに膨らんでいる。
「とび職さんの仕事着だよ。高い所で作業するときに足を動かしやすいのと、強風に気付きやすいから安全なんだってさ」
そういえば高い屋根を工事しているおじさんたちがよく履いているやつに似ている。そういう利点があるんだ。ただのファッションだってばかり思っていたんだけど。この辺りはリルの知識にもない。
世の中は知らないことがたくさんあって、それもリルの知識にもないことがたくさんで。それは小さな日常の中に隠されていて。
だから、他人から見ればただの買い物も、なにかの瞬間に小冒険に変わる。
そんなお兄ちゃんとの時間が、たまらなく愛おしい。
とはいえ、計算ばかりしているお兄ちゃんにこのボトムスは絶対に似合わない。でもなぜかお兄ちゃんはそれをつかんで試着室に入ってしまった。
「アリス、どうだろ。ちょっと強そうに見えないか?」
よりもよって紫色を選ぶとか、もうお兄ちゃんったらセンスないだからって、私はふきだしてしまう。お兄ちゃんも頭をかいて、これはダメだなと言って脱ぐと、元の場所に戻した。
次いでお兄ちゃんはその場を見回し、少し薄手で表面がでこぼこした布のボトムスを手にとった。シアサッカーと書いてある。肌に張り付かないから夏に涼しいらしい。これはどちらかというと現場の人だけじゃなく、店員さんとかも着る服だそうで、足首に向かって細くなっており普段着向けな感じがする。
お兄ちゃんはまた何か怪しい色のやつを掴もうとしていたので、私は慌ててベージュと紺色を押しつける。とくに紺色は本物の植物の紺を使っているそうで、ちょっとお高めだけど深い色合いが魅力的だ。
お兄ちゃんはまた値札を気にしているけど、私は強引にそのまま試着室にお兄ちゃんを押し込んだ。
少ししてお兄ちゃんはまずベージュを履いて見せる。形は似合うけど、なんかお父さんみたい。続けて履き替えて紺色を履いて見せてくれる。細身で頭脳派のお兄ちゃんにしっくりくる。
「お兄ちゃん、これに決めようよ。おすすめだよ」
値札を見てお兄ちゃんは迷ったけれど、でも結局はお兄ちゃんも笑みをみせて答えた。
「今回はアリスの見立てを信じてみるかな」
私は気を良くして、続けて襟付きのシャツに目を向けた。こっちは見てすぐに決める。生成りの麻のシャツ。しわが入っていて、うっすらと卵色がかった白いシャツ。真っ白よりもお洒落な気がする。
まあ、こういう色をお洒落だって話はセーラさんの受け売りではあるんだけど。これもまたお兄ちゃんに試着してもらってぴったりだ。
会計を済ませると、お兄ちゃんにそのままそれを着るようにすすめる。
「すぐ着るなんてもったいないよ」
「もったいなくないよ。せっかくのお休み、お洒落なお兄ちゃんと歩きたいかな」
私の言葉にお兄ちゃんは渋々と着替えた。
いい。やっぱお兄ちゃんは格好良い。他の人からみたら平凡かもしれないけれど、とにかく私にとっては絶対に格好良いし、それが新しい服でさらに良い。
「お兄ちゃん、もて過ぎて困るかもしれないよ」
私が腕を回すと、お兄ちゃんはふきだして応える。
「子守りしている男子学生だと、もてなさそうだよ」
「じゃあ私、もっとくっついてあげる」
二人して笑う。ほんと、なんだか今の時間は楽しくって仕方がない。普段の毎日も楽しいことはたくさんあるけれど、ジュピターが出てきてから色々ともやもやしていた。
でもなんか今の時間は、そういうのがどうでも良いやって感じになった。
村にいた時間とは違う、学校や家とも違う。
外で周りにたくさんの人がいるのに、なんでだか家の中にいるときより、お兄ちゃんを独占できているような気持ちになってくる。それがなんだか、幸せで。
私は意味なくまた笑ってしまった。
「僕はそろったから、次はこっちの店に」
言われて私は首を傾げたけれど、お兄ちゃんはどんどん歩いてしまうので、私は慌ててお兄ちゃんの背中を追った。お兄ちゃんちょっと強引だよ、と言いかけたけれど何か手元のメモを見てすぐに隠す。
「あのお兄ちゃんね」
「あった。ここだ」
パステルピンクの屋根に星と月、そして雪の結晶を壁に描いたかわいらしいお店の前でお兄ちゃんは立ち止まった。
「次はアリスだよ」
「今日は、私がお兄ちゃんを」
「アリスをもっとかわいくしなきゃね」
ほんと、お兄ちゃんたら。私が気づかないようにわざと早歩きしていたんだ。
でもお兄ちゃんは頭をかいて言葉を付け足した。
「実は僕、店なんて見つけられないから、ビアンカさんとセーラさんに教えてもらったんだ。カイラにも、まあ教えてもらいはしたけど」
お兄ちゃんは遠い目で中央広場を眺める。わかる。あのお嬢様、お兄ちゃんの財布を破りにかかったな。
「私たち、庶民だからね」
するとお兄ちゃんは慌てて手を振る。
「いや、高いものだって駄目といきなり言う気はないよ。それよりほら、アリスには清楚な感じが似合うと思って」
お兄ちゃんは慌てて手に握っていたメモ用紙の切れ端を押し込もうとする。私は風の魔法を吹かせてお兄ちゃんから素早く奪い取った。
「なんか変だよお兄……」
それはカイラのメモ付きチラシだった。商品のイラストが描かれている。
水着ですか。それとも下着ですか。
なんでこの魔法使いはビキニとサンダルでコートで魔法マントを羽織る。
「魔力増強、最新トレンドでカイラちゃんオススメ」
私は棒読みして風魔法で宙に浮かべると炎魔法で灰に変えた。
「お兄ちゃん。カイラにファッション、セーラさんに戦闘の避け方、サリーに常識を聞くのは止めた方が良いよ」
「僕も今、すごく思った」
私たちは溜息をつき、再びセーラさんおすすめ二号店へと入っていった。