アリス、筋肉を学ぶ
本日のメインとなる服屋さんに到着した。
「ここは、ちょっと違うんじゃないかな」
お兄ちゃんは店の入口で立ち止まる。でも私はお兄ちゃんの背中を押しながら言った。
「ここ、安いから大丈夫だし。若者向きって書いてあるし」
「でもなんていうか、ほら」
指差したいのを指差せないというしぐさで手を曖昧に振る。
わかる。この店はセーラさんがおすすめの「男子学生向けのお店」なんだもの。
セーラさんだから上品な方のつもりで来たんだけれど、どうもここは狂戦士の方のセーラさんの店らしい。なんか意味不明のトゲトゲ肩パッドしたおじさんや、鎧をまとったごついお兄さんがたくさんいる。店の前にも「本日の筋肉セール」「大腿筋の美学スラックス特売」「上腕二頭筋がよくキレる!」とか胡散臭さ満点な広告が貼られているんだ。
でもごめん、お兄ちゃんのこういうの着た姿、ちょっと見てみたい。どうせ私リルは爆炎騎士・スルトとか見ているから、他の誰だろうが感動しないし。
というか筋肉が薄くても頑張って着るお兄ちゃんとか、ちょっといいよねとか。
「ねえアリス、絶対に今、変なこと考えているよね」
「なんにも変なことなんて考えていないよ」
「じゃあなんで急に赤眼が強くなるのかな」
しまった。子供で正直者のアリスの部分が隠れて嘘つきリルが前面に出ている。でもお兄ちゃんは諦めたように溜息をつき、でも手元の服の値札を見て少し上機嫌に言った。
「たしかに丈夫そうで費用対効果は良さそうな店だよね」
「だからお兄ちゃん、服をコストだけで見るのはさ、今日は禁止だよ」
お兄ちゃんは小さく笑って、右手に握りかけていた算盤をかばんの中にしまい込んだ。
とはいえさすがにお兄ちゃんにトゲトゲ肩パッドを着せる気はさらさらないので店内をあらためて見回す。すると過激な商品が中心とはいえ、さすがセーラさんのおすすめなだけあり、実用重視の商品もそろっているようだ。
「お、カンヴァスじゃないか。お前がこういう店に来るとは思わなかったぞ」
背中から聞いたことのない声がかかる。振り向くと、お兄ちゃんより身長の高い金髪のお兄さんが立って笑っていた。少し肌寒い季節になっているというのに、白い半袖の開襟シャツを着ており、袖口も胸も筋肉でぴったり張り付いている。いかにもこの店の常連だろうという体格だ。
彼は私を見つめて言った。
「君がカンヴァスのお姫様か」
「お姫様?」
私が聞き返すと、お兄ちゃんは慌てて手を振る。
「妹の前で変なこと言うなよ。アリス、彼は僕の同級生のアルマーだよ」
「はじめまして。アリスです」
アルマーさんは快活に笑って言った。
「ごめんごめん。カンヴァスっていくら財務コースとはいえ、この体格で騎士学校だし、いつも寄り道せずに帰るし。なんでなのか聞いたらアリスちゃんの進学に合わせてたどり着いたって話だろ? まるでお姫様を守る騎士だなってことで、俺ら勝手に『カンヴァスのお姫様』と呼んでいたわけ」
はあ。お姫様。残念ながら私、大魔王様だけど。でもお姫様と言われて悪い気はしない。にまにましているとお兄ちゃんが珍しく不機嫌な声で言った。
「うちのアリスを変におだてちゃだめだよ」
「そういうところもなんというか、護衛騎士って感じだよな」
またアルマーさんは笑いつつ、続けて言った。
「さっきは少しカンヴァスの体格を言ったけれどさ、これでも財務コースの体育は一応、ついてきているんだよ。大した奴だよ。むしろ俺より優秀だよ」
アルマーさんは少し眩しそうにお兄ちゃんへ視線を向ける。お兄ちゃんは肩をすくめて説明した。
「彼は元々は一般コースだったんだけど、訓練中に怪我をして、盾を持つ方の左手が弱くなってしまったんだよ。それで僕たち財務コースに移行したから、算術で少し苦労しているんだ」
「カンヴァスが色々と助言してくれるのは助かっているぞ」
「助言は良いけれど、宿題を書き写そうとするのは止めた方が良いよ」
お兄ちゃんの言葉にまた明るく笑う。よく笑う人だ。
でも、本当なら重たい話のわりにそれを笑っている。ふと寮生の人たちを思い浮かべ、こんな風に笑えるだろうかと思ってしまう。セーラさんならもしかしたら、二つの道があるから大丈夫かもしれないけれど。
私は。
私リルは。
お兄ちゃんがいたから、笑えている。
私は何だか、アルマーさんに少し親近感が湧いてきた。
「アルマーさん、今日はお兄ちゃんを格好良くする日なんだけど、格好良くて実用的な服ってどこかな」
「格好良いといえば……アリスちゃんなら広背筋かな? それとも大胸筋か、少し好みは分かれるけれど下腿三頭筋?」
「何でそこで筋肉名」「僕を解剖でもする気か」
私とお兄ちゃんが同時に突っ込む。この人、スルトと気が合いそうだ。エルマーさんはううん、とうなって手を合わせて叩く。
「やっぱりそうだよな。こういう投げかけに反応してくれるのは戦女神ぐらいだよな」
「戦女神?」
なんとなく予想はついているけれど私はあえて訊き返した。エルマーは満面の笑みで答える。
「戦女神といえば当然、君らの寮にいるセーラ様だよ。美しく上品かつ情熱的で勇猛」
やっぱりそうきたか。少し面白いから聞いてみる。
「もしかしてセーラさんってやっぱり、騎士学校だともてるわけ?」
「女子学生からは人気だが、俺ら男子学生からは何というか、高嶺の花だな。彼女を剣で魅了できる男になれたら男の本懐というか。まあ、あの人だと時代が違えば爆炎の騎士スルトとも戦いそうだし」
うんごめん。既に戦っているよ。
「いや、戦女神は俺ら一年生とも筋肉で一緒に盛り上がってくれるんだが、さすがにそれは他の女子もひいていてな。同じ寮生なら、と思ったんだがやはり戦女神は規格外だったな」
「なんていうかそれ、風評被害だよ」
私たちは規格外じゃないと言いたいけれど、たぶん私が最大の規格外なので言葉を飲み込んだ。お兄ちゃんも私の考えを読んだのか、私に視線を向けて苦笑している。
エルマーさんは少し考えて奥の二つを指差した。
「まず、左奥が作業服とかワーカー系の服だな。街着ってのは宮廷着と作業服、軍服なんかを混ぜて着るところに源流があったりする。気取った奴らの服だと魔道士の魔法衣なんかも混じっているな」
「気取った奴らなんだ」
私の言葉にエルマーさんは慌てて言い繕った。
「いや、アリスちゃんが気取り屋だって言ってるわけじゃないぞ? なんかほら、魔法学校って少し頭を鼻にかけてる奴とか、たまにだよ? たまにはいるだろ」
「氷の魔道士ジュピターとか?」
私の言葉にエルマーさんは苦笑した。
「いきなり大物を引っ張りだすね、お姫様は。まあでも大魔王と三人衆の中ではそんな印象はあるな」
「魔道王は、違うの?」
さらっと私は言い換えて訊き直す。するとエルマーさんは眉をひそめて言った。
「歴史書や絵画じゃいつも同じ、真っ黒な革製の魔法衣だろ。なんかあの時代の他の魔道士たちとも違って戦闘一辺倒っていうか。なんつうか、殺すことしか考えていないような」
私が口を開こうとしたとき、お兄ちゃんが強く私の手を握った。少し荒くなりかけた呼吸が収まる。だいじょうぶ、お兄ちゃん。この印象は、当時から言われていたもの。
私自身が作り上げた姿。
いや、もしかしたら、ジュピターに操られたリルの。
私リルの虚像。
私は自身が今着ている藤色のワンピース型魔法衣に視線を向け、心を完全に平常に戻した。
「あ、ごめんな。女性だと印象違うかもな。つか俺も筋肉屋さんだし」
慌てた言い訳に私は吹き出してしまう。何その筋肉屋さんって。エルマーさんも一緒になって笑い、続けて右側を指差した。
「あっちの方はアウトドア趣味の方だな。高級品は冒険者用とかになっている。登山とか釣りとかそういう感じ」
「学校の実習で漁船に乗ったことあるよ」
私の言葉にエルマーさんは優しくほほ笑んだ。
「漁船ってもしかして、実業魔法コースか。子供なのに、ずいぶんと地味なの選んでいるんだな。兄妹ともに目立つのが嫌いなのか?」
「別に目立たなくても良いよ。役に立てば良いもの」
「費用対効果の範囲でね」
私とお兄ちゃんの言葉にエルマーさんはまた苦笑する。
「俺なんかは仕方なく財務って思っているんだが、お前さんみたいなお嬢ちゃんが割り切ったことを言っていると、ちょっと俺も恥ずかしくなるな」
さっきはちょっといらついたけれど、エルマーさんって実は良い人なのかも。っていうか筋肉な割にファッションの基礎とかさっき少し語っていたような。
私たちはエルマーさんと別れ、まずはワーカー系の方へ向かうことにした。




