幸せな小探検
「本当にたまには、まともな魔法も開発していますのね」
サリーの使った魔法を見たセーラさんが開口一番言った台詞がこれだった。
「もう少しましな評価をしてくれても良いんじゃないかな?」
「我が寮でも停学三回目は前代未聞ですわよ?」
不満を口にするサリーに、セーラさんはにべもなく言い切るとビアンカさんが腹を抱えて笑った。
「帝都改造史総論」の発見はカイラを通じてすぐにビアンカさんに伝達され、ビアンカさんがサリーとセーラさんを伴って図書館までやってきたのだ。そして私、お兄ちゃん、ビアンカさん、セーラさん、サリー、カイラが揃った時点で他の面々はビアンカさんが適当なことを言って煙に巻いて帰宅させてしまったというわけ。
そのあとサリーの放った魔法が文字複製魔法。本の中身を一瞬で別の紙の束へと写し取るという魔法だ。今回はビアンカさんが予め用意してきたノートに全文を写し取った。なかなかすごい実業魔法なんだけれど、サリーは今のところこの魔法の存在自体を秘匿しているそうだ。
「私だけで独占している方が色々と都合が良いのと、広がると確実に犯罪に使う人が出てきて私が迷惑しそうな気がするもので」
「よくサリーがそんなところまで考えて秘密にしているね」
お兄ちゃんの言葉にサリーはちょっと恥ずかしそうにしてビアンカさんに目を向ける。
「これ、私の助言なんだよ。この子は本当、魔法の研究以外は何も考えないから」
そっぽを向いて笑うサリーの表情を見て、なんとなくサリーとビアンカさんの力関係が見えた気がする。どうも他にも色々とやらかしているもので、ビアンカさんがなるべく根回しして丸め込んでいるみたいだし。そういえばセーラさんもわりとビアンカさんに従っている。ビアンカさんは猛獣使いみたい。
小さく私が笑うと、ビアンカさんは目を細めて私に言った。
「猛獣使いとか危険物管理者とかよく言われるよ」
「言われるんだ」
「君もじゅうぶん猛獣の一角だと思うけれど」
ぼそっと言われて私も視線を逸らし、お兄ちゃんも一緒に苦笑する。ビアンカさんは全員を見回して言った。
「これで中身は写し取ったから、中身を読み解けば何かわかってくるだろうね」
言ってビアンカさんは私にノートを預けようとする。私も手を伸ばしかけ、でもすぐに手を引っ込めた。ビアンカさんは首を傾げる。私はおずおずと答えた。
「できればこの本、ビアンカさんに読んで欲しい」
「魔道王に捧げられた本だよ?」
私はその場の全員を見回し、ゆっくりと答えた。
「この本は魔道王リルに捧げられた本だけれど、魔道王リルはこの本の大切な中身を見落とすと思うの」
「それは、なぜ?」
なぜ、と訊かれると困っちゃう。間違いないとまで言える自信はない。でもなんとなく、これは直感として正しいと思う。リルの直感もそうだけど、アリスの直感がむしろ今は信用できる。
「あのね、島でダークマターに会ったとき、遺跡でスルトと会ったとき。どちらもリルだけでは解決できなかったの。この二人に関係することはきっと、リルだけじゃ解決できないんだと思うの。それはたぶん」
私は言葉を切って目を閉じる。私リルは転生直前の記憶を呼び覚ました。
おそらく、現代の歴史には一切伝わっていないはずの話。
魔道王リルと暗黒神官ダークマター、爆炎騎士スルト、そして氷魔導士ジュピターの四人だけが、否、もしかしたら魔道王リルと暗黒神官ダークマターのみが知る言葉。
私リルはゆっくりとまぶたを開ける。魔力が瞳に燃え立ち、その場の全員を威圧しつつ告げた。
「魔道王リルが三人衆に滅された際、魔道王は最期に『どうか幸せな第二の人生を』という言葉をダークマターより告げられた」
「まさか、三人衆は初めから、今の状況を想定していた?」
「凡ての呪文、転生の時期まで予測できていた可能性は極めて低い。ただし魔道王が転生し、違う人生を歩むはずであることまでは予想の範囲だったということだ」
私リルの言葉に、全員が沈黙する。私は少しだけ言い淀み、それでも言葉を続けた。
「そして魔道王が、三人衆とは全く異なる仲間を手に入れる可能性を想定していた、のかもしれない」
私リルは最後の語尾を曖昧に濁した。本当にそこまで予測していたのだろうか。
「きっと、それは本当に希望だけだったんじゃないかな」
お兄ちゃんは言って私の頭をそっと撫でた。
「たぶん、そうならない可能性の方が大きいと思っていたから花の島は試練の形だったし、スルトの遺跡も奥深く隠されていたんじゃないかな」
言ってお兄ちゃんはまた私の頭を撫でて続けた。
「でもアリスが、魔道王陛下がそう思うということは、今のみんなのことを」
私は慌てて全員に背中を向け、耳を塞いで言った。
「お兄ちゃん、その先はきっと恥ずかしい台詞っぽいから言わないでね!」
全員が暖かく笑う。まだ何も大きな問題は何一つ解決していないのに、今の私リルは。
本当に、幸せな第二の人生に入っていると思った。
そして。
アリスとして私は。リルと一緒になって、むしろ幸せだったかもしれないと思った。
「王都の探検?」
二週間後、ビアンカさんとサリーが私たちの部屋に押しかけて一つの提案をしてきた。
「二人ともさ、もう秋だっていうのに学校ばかりで王都の中を遊んでいないだろう。ちょっと遊んでおいでよ」
ビアンカさんの言葉にサリーが一緒にうなずく。楽しい話だから良いとは思うけれど、こういう話をしてくる配慮の人といえば、普通はビアンカさん以外はセーラさんのはずだ。
お兄ちゃんも同じ考えなのか、私と一緒にサリーをじっと見つめる。サリーは頰をかいて笑って言った。
「先日の帝都改造史総論、ビアンカに頼まれて私も一緒に読んでいるわけですよ。それで私とビアンカで話し合った結果として、実際に新しい王都に体当たりしてもらった方が良いのではと」
「体当たり、するの?」
私は意味がよくわからず首を傾げ、とりあえず右手に氷結呪文、左手に爆炎呪文を呼び出す。ビアンカさんは慌てて手を振って言った。
「体当たりって、手当たり次第に壊したり滅したりしてみろって話じゃないよ」
そっか。そうだよね。なんか危ない勘違いをしかけちゃった。というかそういう勘違いしそうな言い方する方が悪い気もするんだけれど。ビアンカさんはサリーの頭を小さくこづいて話を続けた。
「一つは、ノートを預けてくれたときの話にあった『第二の人生』かな。現代の王都住人としての視点が大事な気がするってこと。もう一つは学園祭が近いから」
私とお兄ちゃんは揃って首を傾げる。するとビアンカさんは柔らかい笑顔で続けた。
「年一回、秋に魔法学校と騎士学校は合同で学園祭をやっているんだよ。そこで両学校の成果を国民にお披露目して、あとみんなで楽しむんだよね。主なお客さんはもちろん、王都民ではあるけれど」
「つまり、僕たちに市場調査をしておけという話ですか」
お兄ちゃんの言葉に、ビアンカさんは満足そうに膝を叩いてうなずいた。
「さすがカンヴァス君は鋭いね。寮も出し物をしたいし、君たちはもっと普通に学生した方が良いよ」
「普通に学生と言っても、色々と」
「そりゃ難しい問題は抱えているけれどね、今はどうせ情報がなくて手も足も出ないし、むしろ学生している方が向こうさんも変な手出ししてこない、って言っていたよね?」
ビアンカさんは即座にお兄ちゃんの疑問へ返す。続けてビアンカさんは私に目配せして言った。
「ところでカンヴァス君には足りないところがあると思うんだけど、どこかわかるかな」
「優しくって素敵な人すぎるところかな」
「アリスに聞いた私がばかだったか。もう少し直接的に聞こう。カンヴァス君が街を歩いていて、他の騎士たちに負けている点があると思うんだけど、どうかな。一応言っておくけれど、剣の腕前じゃないからね」
ビアンカさんが苦笑してまた私に目配せしてお兄ちゃんの袖口をじっと見つめる。一緒に見ると、袖口が少し擦り切れていた。
「お兄ちゃんも少し良い服を買った方が良いと思う」
私の言葉にビアンカさんは少し声を大きくして言った。
「そのとおり。騎士コースはしっかりと身なりを整えている生徒が多いし、財務コースは大商人の子弟も多いからね。実家の服をそのまま大事に着ていると正直、少しみすぼらしいかな」
ちょっと言い過ぎだよと怒りたいけれど、ビアンカさんの作戦っぽいから私は我慢して黙っておく。ビアンカさんはさらに言葉を重ねた。
「最近、君の家計は厳しくないはずだよね。最近はサリーの変てこ魔法商品を上手く商売につないであげて、その手数料をもらったりしているし」
そんなこと、いつの間にしていたんだろ。でも昨日のハンバーグ、ちょっと良い肉を買っていたっけ。
「それはそうですけれど、アリスの将来も含めて節約は大事だと思うんですよ」
「アリスのお兄ちゃんたるもの、あまりみすぼらしいとアリスが可哀想じゃないか? ただでさえアリスの周りにはセーラやカイラなんてのがいるわけだし。商売の関係もあって、アリスがサリーの同類と見られると」
「僕、少し買ってこようかな」
お兄ちゃんが苦笑して頭をかく。そしてビアンカさんはあらためて私の頭を撫でて言った。
「じゃあアリス、カンヴァス君を男前にする王都冒険へ旅立っておいで」
私は笑って、お兄ちゃんの背中を軽く叩いた。




